1984年-現在
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「聖座とアメリカ合衆国の関係」の記事における「1984年-現在」の解説
1984年1月10日、アメリカ合衆国と聖座は外交関係の樹立を発表した。長きにわたる強い国内反対の年譜とは対照的に、今回は議会、裁判所、そしてプロテスタント団体からの反対がほとんど無かった。1984年3月7日、上院議会はウィリアム・A・ウィルソン(William A. Wilson)を最初の在バチカンアメリカ大使として承認した。 ウィルソン大使は1981年におけるレーガン大統領の教皇への個人的な特命公使以来のこととなった。聖座はピオ・ラギ(Pio Laghi)大司教を最初のアメリカの教皇大使(大使に相当する)に指名した。ラギ大司教は1980年以来、アメリカにおけるカトリック教会のヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)の使徒代表者であった。ロナルド・レーガン大統領と教皇ヨハネ・パウロ2世の関係は、反共主義の共有及びソビエトをポーランドの外へ追いやることへの強い関心から、特に緊密であった。この両名はまた、1981年春にわずか6週間違いの暗殺未遂事件をお互い生き延びたことで、共通の絆を培った(レーガン大統領暗殺未遂事件及びヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件を参照)。 アメリカ同時多発テロ事件に続いて2001年からアメリカの対テロ戦争が始まると、バチカンは一般的に対テロ戦争への批判を、特にイラクにおけるアメリカの政策を批判した。2009年7月10日、バラク・オバマ大統領とベネディクト16世 (ローマ教皇)はローマで会談した。在バチカン米国大使館を在イタリアアメリカ大使館と同じ場所に移転する計画案は、一部の元アメリカ大使からの批判を巻き起こした。2014年3月27日、オバマとフランシスコ (ローマ教皇)はローマで会談した。 これは2015年9月におけるフランシスコ教皇の2015年北アメリカ訪問につながり、そこでキューバを訪問した後に彼はアメリカ合衆国にもやって来て、フィラデルフィアで開催された世界家族会議(英語版)に参加し、ワシントンD.C.やニューヨーク市にも来訪した。 2015年6月、アメリカと聖座は税務情報の自動交換を通じてオフショアの課税回避を削減することを目的とした、最初の政府間協定を締結した。
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