7CV,11CVと外観変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:26 UTC 版)
「シトロエン・トラクシオン・アバン」の記事における「7CV,11CVと外観変化」の解説
トラクシオン・アバンの基本メカニズムである前輪駆動など新機構が理論上理想的であったのは確かであったが、実際には改良すべき点は多く、最初の7Aが顧客の手に渡ってからも、ユニバーサル・ジョイント、ギヤ・ボックス、リヤ・サスペンション等に種々の弱点をさらけ出したという。試作車をテスト不足のまま量産して顧客に販売したようなもので、このため当初は不評も買った。 これらの評判を打ち消すために、車を崖の上から落下させて、破損の少なさでモノコックボディーの強度の高さを実証してみせるなどのデモンストレーションが図られている。 1934年5月にデビューした7Aのエンジンはボア×ストロークφ72mm×80mmの1,303ccであったが、すぐに7Bでφ78mm×80mmの1,528cc、7Cでφ72mm×100mmの1,628cc、さらに7Sでφ78mm×100mmの1,901ccと、次々に拡大した。7S型エンジンは後継モデルであるID/DSにもヘッドのクロスフロー化改良で流用されたものが1966年まで、また1935年発売でロングセラーとなった後輪駆動小型トラックのタイプ23にはターンフローヘッドの原形のまま1968年の生産終了まで使用された長寿命エンジンであった。設計はモーリス・サンチュラにより、何れもOHV直列4気筒・3ベアリング型である。 7Sは11ALになり7Cとともにパリ・サロンに発表された。いずれもberline,roadster,fau-cabriolet(coupe),11にはfamilialeがあった。 発表時の外観はエンジンルームの換気用ボンネットフラップは前後とも後方開きで、トランクリッドは無く、内側から荷物を出し入れしたので、ナンバープレートはリヤバンパー上の中央にあり、「ダブルシェブロン」はクロームグリルの後方にある。 1936年1月には、換気用フラップは前側が前方に開くように、また車外からアクセスできるトランクリッドが作られたのでナンバープレートは左リアフェンダー後方に移動した。フロントグリルは塗装されたので「ダブルシェブロン」は前に出された。同年5月からステアリング機構は、従来のウォーム・アンド・ローラー式に替えて、ラック・アンド・ピニオン式に変更された。 1937年1月、大きな変化は無いが、名称は 11BL(レジェ)と 11B(ノルマル)になった。車種はベルリーヌ、ロードスター、クーペ、ファミリアール、リムジンがあった。 1938年、ピロトホイールが付き、11C コメルシアルが「商用車」として加わったが、重量配分による駆動力制約を伴う前輪駆動が短所となり「シトロエン・ロザリー:AU11」(Citroën Rosalie )等の在来型後輪駆動車が同時生産されていた。この結果、前輪駆動のままでドライブトレーン配置に変更を加えて駆動力を確保したキャブオーバー型のHトラックの開発が促されることになった。 1939年、7Cは10%経済版のECOが、11BLには高速モデルPerfoが加わり最高速度は120km/hになった。 1941年の製造中止後、11B系は1945年に製造再開したが、塗装は黒一色、従来クロームメッキを用いていたヘッドライト周りのパーツも塗装化されるなど資材不足対策が顕著であった。また戦後は軽量・経済性へのニーズから、ショートホイールベースで軽量なレジェ(11BL)が、本来通常型とされていたノルマル(11B)よりも常に販売台数を上回った。 1952年、リアのトランク部分をボックス状に突出させてトランク容量を増やすマイナーチェンジを行い、戦後開発の競合車種への対抗措置を図った。
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