9城の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/09 14:20 UTC 版)
睿宗2年(1107年)、尹瓘が元帥、呉延寵が副元帥として、別武班含む17万の大軍を引き連れ、千里長城の東北方、咸興平野の東女真征伐に向かった。高麗軍は、十分に準備が整っていたため、今回の征伐では135の村落を占領し、5000名を捕虜とする戦果を挙げた。尹瓘は、占領した咸州(함주)を始め、福州(복주)・英州(영주)・吉州(길주)・雄州(웅주)・通泰鎮(통태진)・真陽鎮(진양진)・崇寧鎮(숭녕진)・公嶮鎮(공험진)の9城を築き、南方の6万9000戸余りを植民として移住させたが、現在それらの詳しい位置は未だ明らかにされていない。
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