せい‐かん〔‐クワン〕【生還】
せいかん〔セイクワン〕【生還】
生還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 23:21 UTC 版)
生還のきっかけは千葉兵長が木に登ってパパイアをちぎっているところを見つかったことだった。千葉兵長が捕まったという知らせを聞いて土田たちが現場に駆け付けると、千葉兵長が1人の男と格闘しているところであった。土田たちが銃を撃ちかけると格闘相手は逃げだした。あとで分かったことだが、この格闘相手は残存日本兵を探しに来た島民だった。米軍はこの格闘事件を受けて旧日本軍の軍人に説得を依頼した。海軍第4艦隊参謀長の澄川道男少将が米軍の依頼を受けて島に来た。澄川少将は手紙を書いて日本兵の隠れ処と思しき場所に投げ込んだ。多くの仲間はこれを敵の欺瞞工作かと疑ったが、土田は冗談めかして「参謀長が会おうという手紙だから、私に行けというなら命懸けで行ってきます」と言った。笑い話にしなければ仲間に殺される雰囲気だった。 1947年(昭和22年)4月、仲間が調達に出かけ、自分1人が見張りに残った機会をとらえて、1枚の書き置きを残して仲間の元から脱走した。初め銃を持って島民のところに行ったが埒が明かず、いまさら仲間の元に帰っても殺されるに決まっているから、思い切って米兵のジープを止めた。澄川少将と面会し、日本が負けた証拠を見せろと迫った。アンガウル島に連れて行かれ、そこで日本人と米国人が一緒に働いているのを見て初めて日本の敗戦を納得した。澄川少将が日本兵の隠れ処に何日も呼びかけたが、誰も出てこなかった。土田は悩んだ末に仲間4~5人の実家を知っていることを思い出した。その家族に終戦の証拠となる手紙を書いてくれるように依頼した。折り返しで手紙が届くのを待って、仲間の隠れ処の前でこれを読み上げた。土田が手紙を一生懸命読むうちに、中から「よーし。分かったー」という声がした。山口少尉の声だった。澄川少将が武器を持たずに中に入った。「陛下はいかがなされましたか」、それが山口少尉の最初の質問であった。土田も仲間も自分たちが昭和天皇から御嘉賞(お褒めのお言葉)を2回賜ったことを知っていた。2回の御嘉賞で元気百倍で戦っていた。土田を含む残存日本軍将兵34名全員が帰順したのは1947年(昭和22年)4月22日のことだった。 同年中に復員し、浦賀港に到着した。帰国後、御嘉賞の回数が合計11回であったと聞いてびっくりした。ペリリュー島から日本に生還した34名の将兵で戦友会「三十四会(みとしかい)」を結成した。しばらくはペリリュー帰りというと「凄く抵抗した島じゃないですか」と驚かれた。しかし次第に忘れられていった。
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生還
「 生還」の例文・使い方・用例・文例
- 打って2人のランナーを生還させる
- 彼のライトへのシングルヒットは三塁から走者を生還させた
- 彼は9回にヒットを打ち走者を2人生還させて勝った
- 彼は無事に生還します。
- 彼が打ってランナーを3人生還させた。
- 大病からようやく生還した私の目には、森羅万象が美しく映った。
- 打って走者を生還させる[3 塁に進める].
- 彼らが生還する見込みはあまりない.
- 死んだと思った我が子の思いがけない生還に母親はうれし涙にかきくれた.
- 一塁手の失策で加藤は生還した.
- 三塁手がライトからの送球を後逸する間に彼は一塁より一挙に生還した.
- 彼は月から生還して一躍時の人になった.
- センターにシングルヒットを放って 2 者生還させた.
- 生還は期するところにあらず
- 元兵の生還する者僅かに三人
- 生還する
- 野球で,走者を生還させて得点となる安打
- 野球で,走者の生還を防ぐために本塁へ送球すること
- 野球で,本塁に生還して得点する
- 野球で,場内に打った打球が返球される前に,打者が本塁まで生還すること
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