オーロラの喪失
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詳細は「オーロラ号の漂流」を参照 マッキントッシュは1915年1月25日に補給所設置の旅に出発するときに、オーロラを一等航海士ジョセフ・ステンハウスの指揮に任せた。ステンハウスの任務で最優先事項は、エバンス岬とハットポイントの間に突き出ていた氷舌より南では停泊するなというシャクルトンの指示に従って、冬の停泊地を選定することだった。その探索は長く障害の多い手続きになった。ステンハウスは湾の中を数週間操船し、最終的にエバンス岬の基地に近い場所に停泊することに決めた。3月11日にハットポイントを訪れ、補給所設置の旅から早く戻っていた4人を拾い、船をエバンス岬の前に移して、錨と太綱で固定し、その後は岸の氷に閉じ込められるに任せた。 5月7日夜、激しい風が起こり、オーロラをその係船地から吹き流し、大きな浮氷と共に海に出て行かせた。無線通信で陸の部隊と接触しようとしたが無駄だった。オーロラは氷にしっかりと掴まれ、エンジンは動かず、エバンス岬から北に向かって漂流を始め、マクマード・サウンドを出てロス海に入り、最後は南極海に出て行った。エバンス岬では10人の隊員が孤立して残された。オーロラは96年2月12日になった氷から離れ、ニュージーランドに向かって、4月2日に到着した。
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オーロラの喪失
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「イニーアス・マッキントッシュ」の記事における「オーロラの喪失」の解説
「オーロラ号の漂流」も参照 マッキントッシュと補給所設置部隊が6月半ばにやっとエバンス岬に到着したとき、オーロラが強風の時に冬の係留場所から流されたことを知った。オーロラには18人の隊員が乗船したままであり、陸上部隊の物資と装備の大半も積んだままだった。マクマード入江の氷の状態が船を呼び戻すことを不可能にしていた。陸上部隊10人は事実上孤立し、物資も劇的に枯渇していた。しかし、補給庫に必要な物資の大半は揚陸していた。それ故にマッキントッシュは次のシーズンも任務を実行できると考えた。物資はロス棚氷を越えてベアドモア氷河まで運ばれることになっていた。この部隊は以前の遠征で残された物資を回収することで、物資と装備の不足を補おうとした。特にスコット大佐がエバンス岬に滞在した時のものがあった。隊の全体はこの任務の支援を約束したが、それを成し遂げるために南極行という記録破りの功績を必要とした、とマッキントッシュは記していた。しかし、マッキントッシュにとって長い準備期間というのは難しかった。隊で唯一の士官として隊員と密接な関係を造りだすのが難しいことが分かった。その立場は次第に孤立し、特にジョイスから公然と批判されるようになった。
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