カリフォルニア部隊の作戦行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:42 UTC 版)
「太平洋岸戦線 (南北戦争)」の記事における「カリフォルニア部隊の作戦行動」の解説
南北戦争ではカリフォルニアが主戦場と遠く離れていたために、小さな役割しか演じられなかった。開拓者の中にはアメリカ連合国に同調する者もいたが、彼等は組織を作ることを許されず、その新聞も休刊にされた。元合衆国上院議員で南軍の同調者ウィリアム・M・グウィンが逮捕され、その後にヨーロッパに逃亡した。カリフォルニア政界をその鉱山、輸送および財力で支配した強力な資本家が、新しい共和党を通じて州内を支配した。兵卒として志願した者のほぼ全員が西部に留まり、その施設を守った。南軍はニューメキシコ準州南部にアメリカ連合国アリゾナ準州を設立し、さらにニューメキシコ準州北部やコロラド準州を手に入れて金鉱と港湾のあるカリフォルニアを目指そうというニューメキシコ作戦を立案した。しかしカリフォルニア部隊約2,350名が1862年にアリゾナを越えて東部に行軍し、アリゾナとニューメキシコから南軍を追い出した。カリフォルニア部隊は敵対的インディアンと戦うことにその多くのエネルギーを費やした。
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