分領家(14戸)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 15:29 UTC 版)
上杉氏譜代 白井長尾氏(席次第6位、藩内1000石:池黒)長尾景広=景泰(中条三盛次男)-景光-景貞-景将=景風(岩井組織次男)-景好=景明(景好弟)=景保(芋川正令四男)-景敏-景直-景孝-国丸 千坂氏(席次第8位、藩内1565石:簗沢、朴沢)千坂景親=高信(満願寺仙右衛門)-高治(高信次男)-高房-尚親-安親-興親=高敦(廣居清応長男、安親外孫)-清高-高容=興高(高容の弟)-高明(興高次男)-高雅-智次郎(高雅次男) 越後衆 毛利安田氏(席次第13位、藩内2166石:川井)後に毛利に復姓。 安田能元(安田顕元の弟)=俊広(那波顕宗次男)-清元-通広-宦元-貞広-毛利雅元(貞広四男)=隆元(芋川正令の弟)-方元-興元-業広 揚北衆 本庄氏(席次第5位、藩内1666石:鮎川)侍頭と福島城代(のち鮎貝役屋将)を兼任。 本庄繁長-充長(繁長次男)=重長(繁長六男)-政長-英長-義長=職長(平林恒広次男)-祗長=精長(職長三男)-為長-寛長-昌長-勝長=孝長(昌長三男) 中条氏(席次第7位、藩内900石:山口新地)中条三盛(中条景泰長男、中条藤資の外曾孫)-盛直-知資=清資(島津通忠次男)-親資-備資-総資=至資(竹俣秀周三男)=達資(色部至長次男)-明資(達資の孫)-清資 - 敦 色部氏(席次第12位、藩内1666石:窪田)屋敷跡は現在、米沢簡易裁判所。戊辰戦争の戦後処理で一旦断絶となるが、明治16年(1883年)に赦免。 色部光長(色部長真長男、色部勝長の孫)=利長(安田俊広次男)=清長(武田勝信次男)=安長(長尾景光次男)-隆長-政長-照長=至長(政長五男)-致長=篤長(香坂好昌次男)-久長-康長 竹俣氏(席次第17位、藩内1000石)屋敷跡は現在、九里学園高等学校。屋敷門が林泉寺の山門として現存。 竹俣利綱(竹俣慶綱養子)=房綱(市川房綱次男)-吉忠=義澄(竹俣義秀長男)-充綱-本綱(不家督)-当綱-厚綱=良綱(竹俣秀賢次男)-紀綱-久綱 竹俣西氏(席次第27位、藩内600石)竹俣氏分家、初め保科氏を称する。竹俣義秀(竹俣房綱次男)-斉秀(竹俣義澄の弟)-森秀=英秀(鮎川近長長男)-寿秀-周秀-忠秀=保秀(周秀弟)=陳秀(本間秀豊次男)-有秀=順助(斎藤篤信次男) 信濃衆 須田氏(席次第9位、藩内1000石→200石:高梨)七家騒動で侍組平侍に降格。 須田長義(須田満親次男)-秀満-義当-義宣-義成=知義-満主-満清-満照=満親(計見伝右衛門次男)-義比-義遥=義道(本間高純次男) 市川氏(席次第18位、藩内1066石)市川房綱-房忠(房綱三男)-房則-房行-英房-兼雄-盛房-英房-房郷-房隆-房煕-慎一郎 清野氏(席次第19位、藩内1416石)清野長範(平田常範の子)-秀範-重範=範佑(長尾景貞次男)-秀佑-祐秀(不家督)-邦秀-秀将-秀貞-秀雅-秀趨(秀雅次男)=秀彪(秀趨弟) 芋川氏(席次第20位、藩内985石→200石)七家騒動で侍組平侍に降格。 芋川正親=元親(芋川守親長男)-綱親(正親長男)-高親-正親-正処-英親-正令-延親-親生-親和=尊親(竹俣秀興の弟)-愛親=憑親(下条親喜三男)-宗親 信濃長沼島津氏(席次第21位、藩内1116石→500石→800石:一本柳)島津忠直-義忠=利忠(岩井信能の子)=通忠(中条盛直次男)-友忠-房忠=行忠(房忠の弟)-昌忠-知忠-親忠-玖忠-教忠-容蔵 平林氏(席次第30位、藩内850石→1000石:笹子平、焼平)平林正恒-正興(正恒次男)-正信-正包-恒広-正相-正村-正在-正賀-正亮-正名-正国
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