受け身表現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:59 UTC 版)
受け身の表現において、人物以外が主語になる例は、近代以前には乏しい。もともと、日本語の受け身表現は、自分の意志ではどうにもならない「自然生起」の用法の一種であった。したがって、物が受け身表現の主語になることはほとんどなかった。『枕草子』の「にくきもの」に すずりに髪の入りてすられたる。(すずりに髪が入ってすられている) —『枕草子』 とある例などは、受け身表現と解することもできるが、むしろ自然の状態を観察して述べたものというべきものである。一方、「この橋は多くの人々によって造られた」「源氏物語は紫式部によって書かれた」のような言い方は、古くは存在しなかったと見られる。これらの受け身は、状態を表すものではなく、事物が人から働き掛けを受けたことを表すものである。 「この橋は多くの人々によって造られた」式の受け身は、英語などの欧文脈を取り入れる中で広く用いられるようになったと見られる。明治時代には 民子の墓の周囲には野菊が一面に植えられた。 —伊藤左千夫『野菊の墓』1906年 のような欧文風の受け身が用いられている。
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