ふるた‐おりべ【古田織部】
古田織部
古田重然
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古田 重然(ふるた しげなり[1]、ふるた しげてる[2])は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、茶人、芸術家。古田 織部(ふるた おりべ)の通称で知られる。南山城・東大和1万石の大名。官位は従五位下・織部助。
注釈
- ^ 天文13年(1544年)生まれの説もある。
- ^ 丹羽基二著、樋口清之監修『姓氏』によると古田氏は藤原氏の庶流とされ、その発祥地は伊勢国員弁郡古田邑と記されている。
- ^ 尾張国出身説もある。
- ^ 重然の女系の子孫が所蔵。
- ^ この通説の根拠は、『秀吉事記』にある同年7月13日に福島正則、石田三成らが論功を受けたことによる。しかし黒田孝高などは、天正14年に従五位下に叙されており、古田織部が1585年に福島正則らと同時に叙されたとは断定できない。しかし天正16年(1588年)の聚楽第行幸で古田織部も石田三成ら74名と同じ従五位下のグループで供奉しており、天正16年4月までには、従五位下に叙されたと類推されている。
- ^ 三井記念美術館蔵
- ^ 国宝、東京国立博物館蔵
- ^ ただし、掛物を切断する行為は他の茶人も行っており、織部が常習犯のように器物を壊していたわけではない[14]。
- ^ 重要文化財
出典
- ^ 桑田 1990, p. 15.
- ^ 戦国人名辞典編集委員会 編『戦国人名辞典』吉川弘文館、2006年、848頁。
- ^ 『茶人系譜』、210頁。
- ^ 『竜宝山大徳寺誌』
- ^ 桑田 1990, p. 17.
- ^ a b 『古田家譜』
- ^ 『豊後岡藩古田家譜』
- ^ 『信長公記』より。
- ^ 「山城国上久世荘御年貢米御算用状」東寺百合文書」収録
- ^ 桑田 1990, p. 27.
- ^ 桑田 1990, p. 240.
- ^ 桑田 1990, p. 62.
- ^ 桑田 1990, p. 70.
- ^ 桑田 1990, p. 181.
- ^ “茶室・露地”. 藪内家の茶. 藪内燕庵. 2016年5月23日閲覧。
- ^ “藪内家の歴史”. 藪内家の茶. 藪内燕庵. 2016年5月23日閲覧。
- ^ “燕庵修復工事について”. 藪内家の茶. 藪内燕庵. 2016年5月23日閲覧。
- ^ 桑田 1990[要ページ番号]
- ^ 海音寺潮五郎「日本の名匠」中公文庫
- ^ 『続武家閑談』
- ^ 矢部 1999, p. 17.
- ^ a b c 日本放送協会. “細川忠興が記した書物の裏に石田三成らの自筆書状”. NHKニュース. 2021年9月17日閲覧。
- ^ 矢部 1999, p. 28.
- ^ 『不染斎(古田広計)随筆』
- ^ a b 久須見疎安『茶話指月集』
- ^ a b 『茶話真向翁』
- ^ “古田織部の大胆さに憧れ…漫画・茶会・美術館”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2014年7月13日) 2014年8月7日閲覧。
古田織部(ふるた おりべ)
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「利休にたずねよ」の記事における「古田織部(ふるた おりべ)」の解説
利休の弟子。利休に学びつつも一線を画し、大胆で雄渾な茶を心がけている。
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