多幡雄一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/07 18:39 UTC 版)
Honda硬式野球部 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 石川県七尾市 |
生年月日 | 1982年7月20日(41歳) |
身長 体重 | 172 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について |
多幡 雄一(たばた ゆういち、1982年7月2日 - )は、石川県七尾市出身の元社会人野球選手(内野手)、野球指導者。
来歴・人物
七尾市立有磯小学校3年の時に野球を始め、七尾市立涛南中学校までは捕手[1]。星稜高等学校2年時に内野手に転向した[1]。
高校卒業後は立教大学に入学。東京六大学野球リーグでは3度のベストナインを獲得し[1]、4年時の2004年には第2回世界大学野球選手権と第33回日米大学野球選手権大会の日本代表に選ばれた[2][3]。
大学卒業後の2005年に社会人野球のHondaに入社。2009年の都市対抗野球では長野久義・西郷泰之らとともにチームを優勝に導き、大会優秀選手に選ばれた。
2012年から3年間は日本代表の主将を務めるなど[1]社会人野球屈指の内野手として活躍。2015年からはコーチ兼任となり[1]、2016年限りで現役を引退した[4]。
現役引退後は社業に専念したのち、2020年にHondaの打撃コーチに就任[5]し、2022年よりヘッドコーチに配置転換となった。2024年より監督に就任する[6]。また、社会人野球日本代表のコーチも務めている[7]。
日本代表キャリア
- 第33回日米大学野球選手権大会日本代表(2004年)
- 第2回世界大学野球選手権日本代表(2004年)
- 第23回アジア野球選手権大会日本代表(2005年)
- 第16回アジア競技大会野球日本代表(2010年)
- 第26回アジア野球選手権大会日本代表(2012年)
- 第17回アジア競技大会野球日本代表(2014年)
- 第27回アジア野球選手権大会日本代表(2015年)
- 第4回ワールド・ベースボール・チャレンジ(2016年)
- 第29回アジア野球選手権大会日本代表(2019年)
主な表彰・タイトル
- 社会人ベストナイン:3回(2009年、2013年、2015年)
脚注
- ^ a b c d e “【決断番外編】Honda・多幡 野球も仕事も「できる男」に”. スポーツニッポン (2016年12月12日). 2023年1月7日閲覧。
- ^ 第33回 オールジャパンメンバー
- ^ 公益財団法人 日本学生野球協会
- ^ “Honda多幡が現役引退へ 日本代表で3度主将務める”. スポーツニッポン (2016年10月27日). 2023年1月7日閲覧。
- ^ 選手・スタッフ紹介 | SPORTS | Honda
- ^ “Hondaの開田成幸監督が退任へ 20年の都市対抗野球で優勝”. 毎日新聞. (2023年12月6日) 2023年12月8日閲覧。
- ^ 多幡 雄一|侍ジャパン選手プロフィール|野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト
関連項目
外部リンク
- 多幡雄一のページへのリンク