大韓民国の政党
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大韓民国の政党(だいかんみんこくのせいとう)では、大韓民国における政党の特徴(政党制)について説明していく。個々の政党について調べたい場合は「韓国の政党一覧」を参照。
注釈
- ^ 政府党は「行政機構と一体化した政党」を指す言葉で、政治学者である藤原帰一によって提起された概念である(藤原帰一、1994「政府党と在野党」、坂本義和編『講座現代アジア3』岩波書店)。厳密には「組織・人員・財政支出において、行政機構のソースを排他的に利用し、行政機構との区別がつかなくなった政党」と定義されている。李承晩政権与党の自由党や朴政権与党の共和党も、行政機構をフル活用し農村部を支持基盤に野党に対して圧倒的優位な立場を占めることができた。
- ^ a b c d e f :出典:(『分断後の韓国政治』)や(『韓国現代史 : 大統領たちの栄光と蹉跌』)、朝鮮日報及び聯合ニュースのサイトを元に、権威主義・開発独裁時代と民主化以後、支持基盤、政治理念傾向を踏まえて作成した。
- ^ 金泳三派の別称。金泳三の私邸がある上道洞(상도동)から由来している。
- ^ 金大中派の別称。金大中の私邸がある東橋洞(동교동)から由来している。
- ^ 金大中は全羅道地域では圧倒な支持を得ていたが、ソウル市を含む首都圏以外の地域、特に慶尚道地域では彼に対する拒否感情が強く、過去二回の大統領選挙ではいずれも敗北していた。しかし、1997年大統領選挙では忠清道に強い影響力を有する金鍾泌と連合(DJP連合)することで、全羅道以外の地域で支持拡大することに成功し、念願の大統領の座を手にすることができた。しかし、慶尚道での得票は10%台に留まり、金大中に対する拒否感情の強さが改めて示された。
- ^ 韓国では現在でも「左派」という言葉に対し忌避する傾向が強いため、「進歩」という言葉を代用で使うことが多い。保守・進歩の二分法を使う場合、民労党は民主党を「保守」としてセヌリ党などと括って批判する反面、民主党は保守のセヌリ党と区別するため自らを進歩的とすることになる。出典:参照元脚注3の資料107頁
- ^ 韓国を代表する財閥グループである現代グループの名誉会長であった鄭周永が1992年2月に結成した政党。
- ^ 1991年4月に平民党と新民主連合(在野)が統合して結成。
- ^ 1990年の3党合同の際、民主自由党への合流を拒否した李基澤や盧武鉉など統一民主党の議員や無所属議員が結成した政党。
- ^ 2000年総選挙までは有権者は地域区候補者のみに投票(一票制)し、比例区は地域区候補者が得た得票を政党票として換算して議席配分していた。しかし2001年7月、一票制は憲法で保障された直接選挙の原則に違反するとの判決が憲法裁判所によって下された。その後、2002年3月の選挙法改正で広域議会選挙において、そして2004年3月の公職選挙法改正によって国会議員選挙でも二票制が導入された。
- ^ 総選挙における比例代表候補者を選出するために行われた予備選において、旧・民労党系を主体とした主流派に有利となるよう、代理投票など大規模な不正選挙を行った事件。詳細は統合進歩党#比例代表候補予備選不正を参照。
- ^ ハンナラ党(2000年、2004年、2008年)と自由民主連合(1996年、2000年、2004年)が3回、新千年民主党(2000年、2004年)と民主労働党(2004年、2008年)が2回である。
- ^ 一方で、新軍部勢力によって光州事件が「暴動」として認識され広く流布されたことで、嶺南地域を初めとする地域住民の湖南地域出身者への差別感情も強化された。
- ^ 本来小選挙区制は、大政党に有利で中小政党にとっては不利な制度である。しかし、その政党が特定の地域において強い支持基盤を有している場合は、中小政党であっても一定の勢力を議会内に占めることが可能となる。事実、大統領選挙直後に行われた第13代国会議員選挙において、野党平民党は得票率では第3党であったにもかかわらず、湖南地域とソウル特別市で効率的に議席を獲得した結果、議席数で統一民主党を抑えて野党第1党となった。
- ^ この時採用された選挙制度は小選挙区比例代表並立制であるが、全国区(比例代表)は小選挙区で得た議席数に比例して配分される仕組みとなっていた。そのため比例代表本来の機能が弱く、小選挙区的要素が強い制度であった。
- ^ 政党や候補者の得票数を選挙人数で割って算出した得票率。政党の投票動員能力や有権者の政党に対する忠誠度を調べる場合、有効得票総数で割って算出する相対得票率よりも、棄権した有権者も含む絶対得票率が適している。
出典
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- ^ “得票率2%未満の政党登録取り消し 違憲審査が必要”. KBSワールドラジオ. (2012年10月26日) 2012年10月27日閲覧。
- ^ “韓国憲法裁‘政党登録取り消し規定’は違憲”. KBSワールドラジオ. (2014年1月28日) 2014年1月28日閲覧。
- ^ “"政党取消条項 違憲" 緑色党など党名維持”. ハンギョレ. (2014年1月28日) 2014年2月2日閲覧。
- 1 大韓民国の政党とは
- 2 大韓民国の政党の概要
- 3 特徴
- 4 政党法制
- 5 政党への国庫補助と政治資金
- 6 脚注
- 大韓民国の政党のページへのリンク