たくはつ‐しゅうどうかい〔‐シウダウクワイ〕【×托鉢修道会】
托鉢修道会
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托鉢修道会(たくはつしゅうどうかい)は、ローマ・カトリック教会における修道会の形態のひとつであり、修道会会則により、私有財産を認めていない修道会をいう。特に、ドミニコ会、フランシスコ会、聖アウグスチノ修道会、カルメル会のことを指す。
- 1 托鉢修道会とは
- 2 托鉢修道会の概要
托鉢修道会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 15:59 UTC 版)
13世紀には托鉢修道会の興隆が見られた。托鉢修道会は生計のために人々の施しに直接頼る修道会である。原則として時間とエネルギーの全てを宗教活動に費やすためにイエス・キリストが辿った道を真似る最も純粋な生活方法であったと信じて個人的にせよ集団にせよ(集団貧困参照)財産を持たない。 フランシスコ会(「弟修道士」、英語では一般にGrey Friarsとして知られている)は1209年に創設された。聖フランシスコが聞いた説教により12使徒の貧困生活に完全に自らを捧げることにした感銘を与えた。緩やかな服をまとい、裸足で、福音的訓示の後は杖を持たず、悔い改めの説教を始めた。間もなく活動で得た全てを寄付した有名な市民Bernardo di Quintavalleや一年で11人に達したと言われる仲間が加わった。 カルメル会(カルメルの聖処女マリアの隠修士、英語では一般にWhite Friarsとして知られる)は1206年から1214年にかけて創設された。1190年代以前のカルメル山の隠修士に関する記録はないが、カルメル会の伝統は、古代イスラエルの預言者の一門を継承したカルメル山の隠修士のコミュニティーに修道会の起源を重ね合わせている。この時期までにある一団がカルメル山のエリジャの井戸に集まった。この男達は巡礼や十字軍兵士としてヨーロッパからパレスチナに行った男達で、そこがエリジャの伝統的な家であるために一部カルメル山を選んだ。基礎は聖処女マリアに捧げられたと考えられている。 ドミニコ会(伝道師修道会、英語では一般にBlack Friarsと呼ばれる)は1215年に創設された。アルビジョア十字軍の後で聖ドミニコは都市の萌え出る住民の宗教問題に耳を傾けるベネディクト会のような古い型の托鉢修道会の献身や組織だった教育を行うが托鉢修道会や世俗の僧侶より柔軟な組織を持つ新しい型の修道会を創設しようとした。ドミニコの新しい修道会は、日常の言葉で説教するよう訓練された説教修道会であった。男子修道院が行った広大な農地で暮らすよりも、新しい修道士は、説得力のある説法で自らを「売り込み」、物乞いで生き残ろうとすることになる。 聖アウグスチノ修道会(聖アウグスティヌスの隠修士、一般にアウグチノ修道士と呼ばれている)は1256年に創設された。アウグスティヌスに因んで名付けられ、この修道士は黙想と12使徒的な聖職者の合わさった宗教上の生活を実践し、聖アウグスティヌスの修道規則に従っている。
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