トランスヴェスタイト
異性装
異性装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 03:44 UTC 版)
幼少期から好んで女性の服装をしていた。自身が異性装者であると自覚したのは10代の頃であった。ペリーは頻繁に公の場で女装の姿を見せ、女性のオルター・エゴである「クレア」について説明している。ある時は「19世紀の社会改良をめざす家母長、またある時はイングランド中部のNo More Art運動の抗議者、他にも模型飛行機の制作者、東ヨーロッパの自由を求める戦士」、そして「バラット・ホームに住む40代の女性、インスタント食品を食べ、ボタンの縫い付けしかできないような女性」など、さまざまな言葉で描写している。作品の中には、女性服を纏った自身の写真も含まれている。例えば"Mother of All Battles"(1996年)は東ヨーロッパの民族風の、戦争を連想させる刺繍が施されたドレスを着たクレアが銃を持っている写真で、「2002年ゲリラ戦」展にて展示された。ある評論家はペリーを「地獄から来た社会批評家」と呼んだ。 クレアが着ているドレスのほとんどはペリー自身がデザインしたものであり、ロンドン芸術大学のカレッジの1つであるセントラル・セント・マーチンズでファッションを学ぶ生徒たちは、年に一度のコンクールでクレアが着る新しいドレスをデザインしている。2017年11月から2018年2月の期間には、"Making Himself Claire: Grayson Perry's Dresses"展がリバプールのウォーカー・アート・ギャラリーで開催された。
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