異星人についての直接の話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 09:40 UTC 版)
「ロズウェル事件の目撃談」の記事における「異星人についての直接の話」の解説
1990年代前期に始まり、数人の個人が異星人を見たという直接の話を与えた。 フランク・カウフマンFrank Kaufmannはロズウェル基地でさまざまな義務を持ったと主張した。彼の話は1991年に出版された、UFO Crash at Roswell から現れ始めた。1993年にカール・フロックによってインタビューされたとき、彼は、「現場に出向く」、即ち墜落した異星人の乗り物とその乗組員の場所に行く許可を受けた人たちの、9人チームの一人であったと主張した。現場はロズウェルの北であったと主張したが、ただし彼は他所では現場はフォスター牧場だったと主張した。カウフマンによると彼のチームは現場に行き墜落した乗り物が割れ開いていて、1人の異星人の死体が枯れ川の壁に対して投げ出され、もう1人が乗り物からぶら下がり、もう3人の異星人の死体が乗り物の内側にあるのを発見した。全員が、「ウェットスーツのような」、「非常にぴったりフィットするつなぎ服」の制服を身に纏っていた。それは「銀白色」でそれぞれが普通はベルトバックルがあるところに「明らかなもの」を持っていた。異星人は(ヒトと比べて)より小さな鼻、眼および耳を持ち、髪はなく、ほっそりした体格で、身長約5フィート3であり、「普通の」手を持つ、と叙述された。彼らの肌色は「淡く、灰色がかっていた」(p.73-4)。 ジェラルド・アンダーソンGerald Andersonは、6歳の子供のときに、アグスティン平原Plains of Agustinで異星人を見たと主張した。そこはバーニー・バーネットBarney Barnettが異星人を見たと言った場所でもあった(以下を見よ)。彼の話は最初、1992年に出版されたCrash at Corona の中で最初に取り上げられた。彼は、彼の家族と一緒に、「銀色の物体が…丘腹へと押し込まれていた」のを見たと言った。彼は異星人を見たことを叙述した: 「これらの乗組員たちのうち3人が地面に横たわっていた…1人は真っ直ぐに座っていた…。彼らは包帯を巻いているように見えた」。彼は考古学者たちの到来、次いで陸軍の到着を叙述した(p.90-6)。 フレデリック・ベンソール軍曹Frederick Benthal、写真専門家、は彼とアル・カークパトリック伍長Cpl. Al KirkpatrickがワシントンD.C.から飛び、異星人の残骸と死体の写真を撮ったと主張した。彼らは最初に一つの現場に向かって街の北へと車を走らせ、そこでベンソールによると彼はある種の残骸を運ぶ隠れたトラックを目撃した。次いでカークパトリックはもう一つの現場へと送られそこで彼らは欠片を拾い上げた。ただしベンソールは近くのテントに連れて行かれた。テントの内側ではホルムアルデヒドのような何かの変な臭いがした。カークパトリックは後に他の現場から残骸を積んだトラックに乗って戻った。全ての彼らの機器とフィルムは没収された。彼らは基地に戻りワシントンへと飛んで戻り、情報を聞き出され彼らが何も見てなかったことにするよう言われた(pp.130-132)(pp.103-105)。 トーマス・ゴンザレス軍曹Sgt. Thomas Gonzalesは、UFO雑誌の編集者ドン・エッカーDon Eckerのインタビューの中で、彼が墜落現場を警備するのを手伝い死体と乗り物を見たと言った。エッカーはゴンザレスが「小さな人」を見たと言ったと書いた。彼らはヒトの外見だったがヒトより僅かに大きな眼と頭を持っていた。乗り物は「翼」の設計だった(p.13)(pp.38-39)。 ジム・ラグズデイルJim Ragsdaleは異星人と彼らの乗り物を直接目撃したと主張した。彼の話は1994年のThe Truth About the UFO Crash at Roswell の中で最初に現れた。彼は、ロズウェルの約30マイル北で女友達とともに野外キャンプしていたあいだに、頭上を飛行し墜落した物体を見たと主張した。彼は乗り物が部分的に地面の中にめり込んでいるのを見たと叙述した。乗り物の近くには「死体または何かがそこに横たわっていた。彼らの背は高くなかった…最大でも4または5フィートだった」。彼と彼の女友達は残骸の一部を彼らのジープへと放り込み、陸軍が到着すると同時に離れた(p.7-8)。 ウォルター・ホートWalter Haut、ロズウェルの一般情報将校。ホートは基地の空飛ぶ円盤のプレスリリースを発表するのを助けた人で、それは事件について他の直接知られているあらゆることのほとんどを否定するものだった。ところが、彼の最初の宣誓供述書の中で彼はこう述べた。「私は回収された物体が外宇宙からのあるタイプの乗り物であったと確信している」。それから彼が死ぬ(2005年12月)数年前に、彼はその供述について詳しく述べた。ともに彼の死の後に発表されることとなった、2000年に研究家ウェンディ・コナーズWendy Connorsとデニス・ボルセイザーDennis Balthaserをともなって行われた、記録された後述歴史と2002年の宣誓供述書の中で、彼は彼が宇宙機と異星人の死体について直接の知識を持っていたと述べた。「ブランチャード大佐は私を個人的に、ターマック滑走路の東側に位置するB-29格納庫である、第84棟へと連れて行った。…私はそれが外側と内側の両方で厳重な警備の下にあったことを観察した。内側に入ると私は街の北で回収されたばかりの物体を安全な距離から直接観察することを許された。それは長さおよそ12から15フィートで、幅はそれほどなく、高さ約6フィートであり、むしろ卵形だった。…離れたところから、私はカンヴァス地の防水布の下の2体の死体を見ることができた。頭だけが覆いからはみ出ていて、私はいかなる特徴も見分けられなかった。頭は普通より大きく見え、死体を覆うカンヴァスの輪郭は10歳の子供の大きさを示していた。…[後にブランチャードは]その身長を示すために彼の腕を床から上に約4フィート広げて見せた。私は回収された死体を安置させるために一時遺体安置所が設けられたと聞かされた。…私は私が個人的に観察したものは外宇宙からのある種の乗り物とその乗組員だったと確信している」(pp.217-9)。 イライアス・ベンジャミン上等兵PFC Elias Benjaminは第390航空業務飛行大隊の憲兵だった。7月7日月曜日の朝、ロズウェル基地病院への台車つき担架の上でシートに覆われた3人または4人の死体を護衛する任務で配置された。1人は動いていたように見えた。移動の間、1人のシートがずり落ち「私にはヒトだとは思えなかった種の灰色がかった顔と膨れた、毛のない頭を明らかにした」。後に基地病院で、シートが取り払われ、彼は「その体に見合わない大きさの卵形の頭をもつ非常に小さな人物」を見分けられた。…今の私の記憶の中で目立った唯一の顔面の特徴はそれがツリ目の眼、その鼻があるべきところに二つの穴、そしてその口があるべきところに小さな裂け目を持っていたということだ。私がそれが生きていたと思う。「後に」、私は簡潔に報告させられ秘密保持宣言にサインした。…私は私がそれについて話したら、何かひどいことが、私だけでなく私の家族にも起こるぞ、と言われた」(pp.136-139)。
※この「異星人についての直接の話」の解説は、「ロズウェル事件の目撃談」の解説の一部です。
「異星人についての直接の話」を含む「ロズウェル事件の目撃談」の記事については、「ロズウェル事件の目撃談」の概要を参照ください。
- 異星人についての直接の話のページへのリンク