神石郡
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人口7,553人、面積381.98km²、人口密度19.8人/km²。(2023年11月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 神石高原町(じんせきこうげんちょう)
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 庄原市の一部(東城町新免・東城町三坂)
- 神石高原町の大部分(桑木・階見および父木野・坂瀬川の各一部を除く)
歴史
郡名の由来としては神事が行われた土地を意味するというものや、古代日本語で「石の多い谷」の意とするものがありはっきりしていない。古代には「かめし」と発音された。
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 1村 | 古川村 |
藩領 | 備後福山藩 | 15村 | 時安村、坂瀬川村、亀石村、大矢村、井関村、近田村、花済村、上野村、李村、上豊松村、中平村、東有木村、西有木村、小野村、笹尾村 |
豊前中津藩 | 22村 | 安田村、西油木村、東油木村、下豊松村、新免村、三坂村、永野村、草木村、阿下村、光信村、小畠村[1]、常光村、光末村、父木野村、上村、高蓋村、木津和村、田頭村、福永村、牧村、高光村、相渡村 |
- 慶応4年5月16日(1868年7月5日) - 幕府領が倉敷県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治5年6月5日(1872年7月10日) - 深津県が改称して小田県となる。
- 明治8年(1875年)(36村)
- 明治9年(1876年)4月18日 - 広島県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、行政区画としての神石郡が発足。郡役所が小畠村に設置。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。[ ]は合併した村。特記以外は全域が現・神石高原町。(30村)
- 明治30年(1897年)7月11日(23村)
- 明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。「芦品神石甲奴郡役所」が芦品郡府中町に設置され、同郡・甲奴郡とともに管轄[要出典]。油木村に郡役所が置かれる[注釈 1]。
- 大正6年(1917年)8月1日 - 油木村が町制施行して油木町となる。(1町22村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止され、内務省告示第82号により神石支庁が設置される。
- 昭和15年(1940年)11月10日 - 牧村・草木村・福永村・田頭村が合併し、改めて牧村が発足。(1町19村)
- 昭和17年(1942年)4月1日 - 小畠村・上村・阿下村・常光村・亀石村が合併し、改めて小畠村が発足。(1町15村)
- 昭和18年(1943年)4月1日 - 高光村・古川村が合併し、改めて高光村が発足。(1町20村)
- 昭和19年(1944年)1月1日 - 高蓋村・木津和村・父木野村・光末村・光信村が合併し、改めて高蓋村が発足。(1町10村)
- 昭和24年(1949年)7月1日 - 高蓋村が芦品郡大正村の一部(桑木)を編入。
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)3月31日 - 油木町・仙養村が合併し、改めて油木町が発足。(3町1村)
- 昭和34年(1959年)7月1日 - 三和町が芦品郡藤尾村の一部[2]を編入。
- 平成16年(2004年)11月5日 - 油木町・神石町・豊松村・三和町が合併して神石高原町が発足。(1町)
行政
- 神石郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)11月1日 | |||
明治32年(1899年)4月30日 | 廃官 |
- 芦品・神石・甲奴郡長[3]
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 齋藤次郎 | 明治32年(1899年)5月1日 | 明治42年(1909年)6月24日 | 前職は芦田・品治・神石・甲奴郡長 |
2 | 小林正敏 | 明治42年(1909年)6月24日 | 明治45年(1912年)3月30日 | 前職は比婆郡長 |
3 | 黒川林之助 | 明治45年(1912年)3月30日 | 大正4年(1915年)7月3日 | 前職は神石郡長 |
4 | 藤崎供隣 | 大正4年(1915年)7月3日 | 大正9年(1920年)4月1日 | 前職は広島県警視 |
5 | 石栗巍 | 大正9年(1920年)4月1日 | 大正12年(1923年)2月26日 | 前職は島根県飯石郡長 |
6 | 柏四郎九 | 大正12年(1923年)2月26日 | 大正15年(1926年)6月30日 | 前職は世羅郡長 郡役所廃止により廃官 |
脚注
注釈
- ^ 十三神石郡 油木町(中略)郡役所所在地なり『広島県史 第1編』660頁~661頁
出典
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 34 広島県、角川書店、1987年2月1日。ISBN 4040013409。
- 旧高旧領取調帳データベース
神石郡
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「広島県小学校の廃校一覧」の記事における「神石郡」の解説
神石高原町立上野小学校(2005年神石高原町立油木小学校へ統合) 神石高原町立近田小学校(同上) 神石高原町立安田小学校(同上) 神石高原町立三和小学校〈旧〉(2011年統合により神石高原町立三和小学校〈新〉へ) 神石高原町立高蓋小学校(同上) 神石高原町立二幸小学校(同上) 神石町立田頭小学校(1961年神石町・三和町学校組合立二幸小学校新設に伴い廃校) 三和町立木津和小学校(同上) 神石町立福永小学校(1965年統合により神石高原町立神石小学校〈当時:神石町立〉へ) 神石町立古川小学校(同上) 神石町立高光小学校(同上)☆旧校舎は廃校後、1966年7月まで神石小学校の校舎として活用された。 神石町立永野南小学校(1994年神石小へ統合) 神石町立相渡小学校(1998年神石小へ統合) 神石町立牧小学校(2000年神石小へ統合) 神石町立永野小学校(2002年神石小へ統合) 神石町立草木小学校(同上) 三和町立小畠小学校(1960年統合により三和小へ) 三和町立上小学校(同上) 三和町立高蓋小学校光信分校(同上) 三和町立井関小学校(1984年統合により神石高原町立来見小学校〈当時:三和町立〉へ) 三和町立時安小学校(同上) 三和町立坂瀬川小学校(同上) 三和町立父木野小学校(1988年休校、1994年高蓋小へ統合)※ 三和町立三和小学校阿下分校(1994年) 油木町立小野小学校(1984年休校、油木小へ事実上統合され、2001年廃校) 油木町・東城町学校組合立新坂小学校(1992年廃校、児童は油木小と東城町立東城小へ委託) 豊松村立有木小学校(1968年神石高原町立豊松小学校〈当時:豊松村立〉へ統合) 豊松村立上豊松小学校(同上) 豊松村立笹尾小学校(同上)
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