駿府
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駿府(すんぷ)は、駿河国(現在の静岡県中部)にあった都市。現在の静岡市葵区の静岡中心市街地にほぼ相当する。
- ^ “家康公の生涯 - 隠居でなかった家康の晩年”. www.visit-shizuoka.com. 2020年11月2日閲覧。
- ^ “駿府のまちづくり”. 静岡市. 2020年12月5日閲覧。
- ^ “静岡まつりと駿府九十六ヶ町 | 静岡まつり公式ページ”. shizuokamatsuri.com. 2020年12月5日閲覧。
- ^ a b c 『日本地名大系 静岡県の地名』(1988年)平凡社
- ^ “駿府城跡、豊臣方の「幻の城」天守台の石垣見つかる”. 毎日新聞 (2018年10月16日). 2018年10月17日閲覧。
駿府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/23 10:36 UTC 版)
駿府城内外の建造物の営繕、材木の管理を掌った役職。定員2名で、役料として30人扶持が支給された。配下に下奉行4名ずつと駿府城代と駿府定番付属の同心8名(10石3人扶持)が付属。 寛永16年(1639年)に書院番による駿府在番が開始されて以来、在番衆の出役による破損奉行2名が城の営繕の職務を担当したが、宝永4年(1707年)3月に、庄田主税安清と勝金左衛門正甫の2名が奉行として任命された。宝永7年(1710年)に廃止され、城の修繕は再び駿府在番の所管となったが、寛政2年(1790年)に在番が廃止されるに伴い駿府町奉行掛破損方へ移管。享和3年(1803年)に駿府武具奉行の榊原平兵衛が破損奉行との兼帯を仰せ付けられ、以後武具奉行との兼役となった。 破損金は当初は無制限だったが、享保元年(1716年)より3000両とされ石垣・橋・瓦塀など100間に及ぶものは臨時の公用とされた。同14年(1729年)には1000両、宝暦5年(1755年)には700両、明和7年(1770年)には350両と時代を下るにつれて減額されていった。
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