高島屋との資本・業務提携と統合の模索
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「エイチ・ツー・オー リテイリング」の記事における「高島屋との資本・業務提携と統合の模索」の解説
髙島屋から持ちかけられて2008年初頭から経営企画担当者同士で情報交換をし、同年4月1日から社長同士も話し合いを重ねるなど同社と経営統合を目指して本格的な協議を始め、同年10月10日に高島屋と3年以内の経営統合を前提に資本・業務提携を結ぶと発表した。 両社の経営陣が出席して月に1回の業務提携委員会を東京と大阪で交互に開いて経営統合を目指して協議を進めると共に、発行済み株式の10%を相互に保有したほか、2009年4月10日には相互に社外取締役を選任して経営統合作業の円滑化を目指すと発表し、経営統合を目指した。 この資本・業務提携に伴う具体化の第1弾として2009年4月15日から高島屋と当社傘下の阪神百貨店と阪急百貨店のインターネット通信販売サイトで共同の販売促進活動を展開し、第2弾として13ブランドからスケールメリットを生かして婦人服の共同仕入れを始めて同年9月23日に両社が展開する百貨店のほぼ全店にあたる30店舗で発売したほか、歳暮の共通化や備品・資材の共同購入などの規模メリットの出やすい分野での業務提携が進められた。 しかし、当社の前身の一つである阪急百貨店が同業他社に先駆けて年功序列制度の廃止や成果主義的な制度の導入を進めて40歳代後半の役員も多くなっていたのに対して、年功的な部分も残して人材面での新陳代謝が当社より遅れていた高島屋側と平均年齢も約5歳の開きがあるなど人事制度は擦り合わせが極めて難しく、その点が交渉の大きな隘路となった。 また、全国の店舗の効率展開を目指す高島屋と大阪・梅田を中心に一極集中で地域密着型の営業を展開してきた当社の間で交渉を進めるほどに店舗運営や商品政策などでの考え方に差異が広がり、限られてくる投資可能な資金の配分など基本的な課題で対立が深まる結果となった。 これらの基本的な課題での対立や共に勝ち組とされてきた会社同士で両社共に切迫感がなく、共にワンマン経営者としてとして知られる当社の当時の会長椙岡俊一と当時の高島屋社長鈴木弘治の両者が折り合うことも難しく、企業価値を反映する統合比率やトップ人事などでも意見の一致点が見付からなかった。 そのため、2010年3月25日に当社と高島屋は別々に会見を行い、経営統合の中止を発表し、同日付で相互に派遣していた非常勤取締役を引き揚げた。一方で、この経営統合構想そのものが2011年に開店するJR大阪三越伊勢丹への高島屋による対抗措置であり、本当に統合することが目的ではないという見方もあった。 ただし、発行済み株式の10%を相互に保有して資本提携をそのまま続けるほか、同日付で新たに業務提携を結んで商品開発や備品・資材の共同購入の継続と売り場の共同開発や中元・歳暮の商品共通化など規模メリットの出やすい即効性のある分野での業務提携を引き続き行っていくことになった。 統合協議後の業務提携の一環として2010年の中元シーズンにギフト商品として洋菓子ブランド「PURE FOREST(ピュアフォレスト)」を共同開発して2011年3月から両社の百貨店内の常設の店舗での営業を開始したほか、同月から共同開発した婦人服の3ブランドの店頭での販売を開始するなど商品の共同開発は引き続き進められている。 2015年3月23日、高島屋との株式相互保有を発行済み株式の5%相当に引き下げることを発表、同年3月末までに高島屋の当社株式保有割合は5%に引き下げられた。
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