高崎山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 18:43 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動高崎山 | |
---|---|
北西から | |
標高 | 628.4 m |
所在地 | 大分県大分市・別府市 |
位置 | 北緯33度15分7秒 東経131度31分27秒 / 北緯33.25194度 東経131.52417度座標: 北緯33度15分7秒 東経131度31分27秒 / 北緯33.25194度 東経131.52417度 |
種類 | 溶岩ドーム |
最新噴火 | 約50万年前 |
プロジェクト 山 |
高崎山(たかさきやま)は、大分県大分市最西部の別府市および由布市との境界にある山である。標高は628.4m。
概要
由布岳、鶴見岳等が連なる火山群の南東端にあたり、別府湾にせり出すように屹立する。現在は火山活動を終えているが、約50万年前の更新世中期に活動した溶岩ドームである[1][2]。
瀬戸内海国立公園内に位置し、日本山岳会東九州支部が選定した大分百山のひとつである。別府湾側の山麓には、山中に生息する野生のニホンザルを餌付けした高崎山自然動物園がある。また、別府湾とは逆側に位置し、田ノ浦海岸や柞原八幡宮等からアクセスできる南登山口からは、高崎山セラピーロードと呼ばれる頂上まで続く登山道が整備されている[3][4]。
歴史
四方を見渡せることから、古くは四極山(しはつやま)と呼ばれ、それが転じて柴津山とも呼ばれた。明治時代にも、四極山という呼び名が高崎山よりも一般的であったことが窺える記録がある[5][6]。
奈良時代には烽(とぶひ)が置かれた。山頂に築かれた高崎山城は難攻不落として知られ、南北朝の戦乱や島津氏の豊後侵入に際して大友氏の拠城となった。高崎山城は1593年の大友氏の廃絶により廃城となり、現在では遺構のみが残っている[7]。 別府湾にせり出した高崎山のために、大分と別府の間は難路として知られていた。かつて別府・大分間の交通は高崎山の裏側の銭瓶峠や赤松峠を超える峠道が主で、近道をしようとすれば海路を選ぶか、干潮を待って崖下の隘路を歩いて通るしかなかった。1694年(元禄7年)にこの地を訪れた貝原益軒は『豊国紀行』に「別府より船にて府内に行。漕出し後は日よりもしづけし。高崎山の麓を行。高崎山は別府の東南の海辺に有。山上に大友の城跡有。陸地を行ば高崎の西の方。赤松嶺をこす。難所なり。」、「歩行にて行ば、東の海辺なる、がけ道を行よし。道細くして危しと云。」と記している。別府・大分間に湾岸沿いの道路が開通したのは1875年(明治8年)のことであった[8]。
その後、別府湾沿岸を整備して国道10号別大国道が、裏手の峠道を整備する形で大分県道51号と東九州道(旧大分道)が整備された。
脚注
- ^ 高崎山 日本の火山(産総研地質調査総合センター)
- ^ 高崎山 第四紀噴火・貫入活動データベース(産総研地質調査総合センター)
- ^ 森林セラピーロードマップをご利用ください![リンク切れ] 大分市
- ^ 高崎山南登山口アクセスマップをご利用ください![リンク切れ] 大分市
- ^ 懐かしの別府ものがたり: No602 絵葉書特集 今日新聞、2009年1月9日
- ^ 懐かしの別府ものがたり: No1143 今日新聞、2011年1月18日
- ^ 高崎山の歴史や四極山(しはつやま)という由来を知りたい。[リンク切れ] 大分県立図書館
- ^ 大分今昔 第十八章 白木かいわい (PDF) 渡辺克己
関連項目
外部リンク
高崎山(たかさきやま)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 20:37 UTC 版)
「おかみさん 新米内儀相撲部屋奮闘記」の記事における「高崎山(たかさきやま)」の解説
春日部屋所属力士(三段目→廃業)。 大分県出身。本名は臼木慶二郎。四股名の由来は大分県大分市・別府市の境界ある同名の山と見られる。自他が認めるサルのような風貌で、明るい性格で弟子同士の宥め役を務めたり、しゃべり・歌のうまさを活かし部屋の宴会部長を務めたりする。しかし早い段階で自分の実力の限界を悟り、20代半ばで引退を決意。はつ子や近所の保育園の子供たちに励まされて一度は続投の意思を示したものの、26歳で引退。最高位は三段目7枚目。引退後は春日親方の要望により、部屋のマネージャーに就任、事務・来客対応・スカウトなどの仕事に励み、第二の人生を歩む。後述する経緯で知り合ったシングルマザーの女性・林由美子と結婚。 力士として出世はしなかったがそれなりに腕っ節は強く、引退後、単行本7巻で谷をスカウトする為にはつ子と共に大分に赴いた際、谷が刃物を持ったチーマー5人を相手に喧嘩をしようとした所を止めに入り、直後に襲い掛かってきた全員を一人で叩きのめしてしまい、谷を驚かせ、駆けつけた警官も困惑させた。更に、単行本16巻ではスカウト中に立ち寄ったパチンコ店でフリーランスの悪党を称する刺青を彫った大柄な青年と意気投合した際には、その後同伴した居酒屋で腕相撲勝負を申し込み、見事に勝利して青年を唖然とさせた。 力士として出世できなかった理由は、闘争心が欠如していたことにある旨を自覚しており、上述のスカウトの為に大分に滞在中、母校(中学校)に赴き恩師と再会した際には、恩師にも人が好過ぎる性格が力士に適していなかった旨を指摘され、その人柄を証言すべく校庭の花壇を率先して手入れしていた逸話も披露された。
※この「高崎山(たかさきやま)」の解説は、「おかみさん 新米内儀相撲部屋奮闘記」の解説の一部です。
「高崎山(たかさきやま)」を含む「おかみさん 新米内儀相撲部屋奮闘記」の記事については、「おかみさん 新米内儀相撲部屋奮闘記」の概要を参照ください。
高崎山と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 高崎山のページへのリンク