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Chicagoとは? わかりやすく解説

シカゴ【Chicago】

読み方:しかご

米国イリノイ州ミシガン湖南西岸にある商工業都市米国中部行政・経済文化交通の中心地。超高層建築ウィリスタワー旧称シアーズタワー、110階建て、高さ443メートル)がある。人口行政区2852008)。

[補説] 「市俄古」とも書く。

シカゴの画像

シカゴ 【Chicago】

アメリカ合衆国中部イリノイ州北東部都市地名語源インディアン言葉でニンニク・タマネギから来ており〈強い〉という意味をもつ。一六七三フランスの探検家でもあったマルケテ牧師が他の同行者と共にシカゴ川発見シカゴ大学社会学者シカゴ学派呼ばれ第一次大戦後から一九三〇年代まで隆盛だったが、神学部でも歴史学的・社会学的方法での神学主張され、これを神学におけるシカゴ学派と呼ぶ。

Chicago

名前 シカゴ

シカゴ

(Chicago から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/22 08:29 UTC 版)

シカゴ市
City of Chicago

上から: ダウンタウンウィリス・タワーシカゴ・シアターシカゴ・Lネイビー・ピアフィールド自然史博物館ミレニアム・パーク
市旗 市章
愛称 : 風の街
2番目の都市
シャイ・タウン
CHI
標語 : "Urbs In Horto(庭園の街)
I Will"
位置

シカゴ市の位置(イリノイ州)
座標 : 北緯41度54分 西経87度39分 / 北緯41.900度 西経87.650度 / 41.900; -87.650
歴史
設立 1837年3月4日
行政
アメリカ合衆国
   イリノイ州
  クック郡
デュページ郡
 市 シカゴ市
市長 ブランドン・ジョンソン英語版
民主党
地理
面積  
  市域 606.2 km2 (234.0 mi2)
    陸上   588.3 km2 (227.1 mi2)
    水面   17.9 km2 (6.9 mi2)
      水面面積比率     3.0%
  市街地 5,498 km2 (2,122.8 mi2)
  都市圏 28,160 km2 (10,874 mi2)
標高 179 m (587 ft)
人口
人口 2010年現在)
  市域 2,695,598人
    人口密度   4,447.4人/km2(11,864.4人/mi2
  市街地 8,711,000人
  都市圏 9,461,105人
その他
等時帯 中部標準時 (UTC-6)
夏時間 中部夏時間 (UTC-5)
公式ウェブサイト : www.chicago.gov

シカゴ英語: Chicago[ʃɨˈkɑːɡoʊ, ʃɨˈkɔːɡoʊ, tʃɨˈkɑːɡoʊ] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国イリノイ州クック郡にある都市。クック郡の郡庁所在地である。

イリノイ州最大にして北アメリカ屈指の世界都市。国内ではニューヨークロサンゼルスに次ぐ人口を持つ。シカゴは150年以上、全米で最も混雑する鉄道中心地であり続けており、鉄道車両の4台に1台はシカゴを経由するか起点・終点としている[1]

概要

19世紀後半から20世紀中盤までアメリカ国内における鉄道航空水運の拠点として、また五大湖工業地帯の中心として発展し、ニューヨークに次ぐアメリカ第2の都市となっていた歴史を持つ。摩天楼がそびえ立つアメリカ型都市の発祥とされ、ダウンタウンの高層建築はシカゴ派として知られ、近代建築史における重要局面をなした。1973年に建てられたシアーズ・タワー(現在はウィリス・タワーに改称)は1998年まで世界一の高層建築であった。マコーミック・プレイスコンプレックスは北アメリカ最大のコンベンション・センターであり、オヘア空港は全米有数の過密な空港として知られる。

2017年にアメリカのシンクタンクが発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界12位の都市と評価された[2]。アメリカの都市ではニューヨークロサンゼルスに次ぐ3位である。2017年3月の調査によると、世界7位の金融センターである[3]2014年都市の経済規模(GDP)では、世界9位となっている[4]

日本語の漢字表記は「市俄古」である。また、シカゴに住む人々は「Chicagoans(シカゴアンズ)」と呼ばれている[5]

「シカゴ」の語源は、この地に先住するアルゴンキン語族インディアンの言葉の、Shikaakwaであると言われており、シカゴ川流域に自生するヒガンバナ科ネギ亜科に属する、日本のギョウジャニンニクに似た植物[注釈 1]Allium tricoccum)のこと[6]

歴史

ポンチキの箱を手にするシカゴ元市長ラーム・エマニュエル(右、2006年のイリノイ州下院議員当時)と、元ミシガン州下院議員のジョン・ディンゲル(左)
シカゴの古い町並み
アル・カポネが行った失業者向けのスープキッチンに並ぶ人々(1931年)

シカゴはニューヨークが対西ヨーロッパから国際都市、ロサンゼルスが対中央アメリカアジアへの交易窓口として発展したのに対して古くから内陸交通の要衝として発展し、アメリカの産業・文化の発展と共に都市形成が行われてきた経緯がある。また、イリノイ川河口地点は古くからインディアン部族の交易の場として機能していた。一番古い記録では1673年フランス人伝道師が訪れている。

1779年ドミニカの毛皮商が入植し、1803年には軍事拠点としてディアボーン砦英語版が作られるとともに開拓が進み、1833年には人口200人程度だった[7][8]1836年に始まったミシガン湖ミシシッピー川を結ぶ運河建設を発端に、土地投機家が大挙して押し寄せ、一大開発都市に発展する基盤が築かれた。1837年に市に昇格すると人口は急増し、翌年にはガリーナ・アンド・シカゴ・ユニオン鉄道英語版が開通、以後交通の要衝として大発展を遂げる。その後、1848年にはイリノイ・ミシガン運河が開通、1852年にはイリノイ・セントラル鉄道が開通し、内陸交通の要としての地位を更に高めた。その頃の主要産業は農業で、シカゴはとりわけ小麦を東部の都市に送り出す穀物の集散地として発展、1848年には世界有数の先物商品取引所であるシカゴ商品取引所(Chicago Board of Trade、CBOT)が作られた。また、畜産業も発達し、1855年には収容頭数が当時最大のユニオン・ストック・ヤード英語版が設けられた。一方で、優秀な鉄鉱床が点在していたために鉱業も発展し、1860年には人口6万人に増大し、セントルイスシンシナティを追い越し、西部最大の都市になった。同年の大統領選挙ではシカゴを地盤とするリンカーン候補(共和党)が当選し、初めて政治でも主導権を握ると、翌年から南北戦争(1861年-1865年)を開始した。このころには30万都市となっていた[8]

トリビューン・タワー英語版

1871年にはシカゴ大火によって甚大な被害を受けた。一説によればランプを倒して大火災になり、炎が燃え尽きるころには街は廃墟になり、ほとんどの公共建築が焼け落ちた。しかし、現在はギャラリーや公式観光案内所になっているシカゴ・ウォーター・タワーは唯一焼け落ちずに残った公共建築物である。被害額は当時にして約2億ドル、家を失った人は10万人に上ったという。しかし、この焼失はシカゴの計画都市化、新都市計画の幕開けになった。被災後に市は木造住宅を禁止し、煉瓦、石造、鉄製を推奨した。そのためシカゴは建築家たちの格好の市場となり、1885年ホーム・インシュアランス・ビル1887年にタマコビルディングが竣工、建築におけるシカゴ派による摩天楼設立ラッシュの先駆となった。このダウンタウン形成時に、その観察に努めた社会学者が膨大な記述を行った。社会学におけるいわゆるシカゴ学派の始まりである。

1873年に始まった大不況 (1873年-1896年)では、1886年5月に合衆国カナダ職能労働組合連盟が統一ストライキを行なったが、ヘイマーケット事件が起こり、1889年第二インターナショナルが国際労働運動のためのメーデーパリで制定すると、1890年にメーデーをシカゴで実行した[9]

コロンブスの新大陸「発見」400周年を記念して開かれた1893年シカゴ万国博覧会では、ウェスチングハウス交流電源による実演など、ヨーロッパをついに凌いだアメリカの工業力と先進性を誇示する技術が多数披露され、白を基調とした建物群から「ホワイト・シティ」と呼ばれた壮大な万博会場を造り上げ、国際的な地位を高めるとともに文化都市として脚光を浴び成功を収めた。それと同時にオーケストラホール、図書館博物館公園などの文化施設の建設ラッシュとなった。1882年から1905年にかけて電力産業が乱立すると、1912年サミュエル・インサル英語版の提唱で公益事業の価格統制制度が導入され、低料金の電気が普及した。人口は1900年に170万人に達し、ニューヨークに次ぐアメリカ第二の大都市になった[8]

しかし、それらはいわゆる富裕層によって生み出された文化であり、肥大する経済発展とは裏腹に新たな社会問題も生まれた。それが貧富の差の拡大で、20世紀に入るとウェストサイドでスラム化が進行した。またかつて奴隷として、アメリカ建国時に農業などの労働を担っていたアフリカ系アメリカ人が、1914年から1950年にかけてアメリカ南部から次々に移入した(アフリカ系アメリカ人の大移動)。彼らは法律上・表面的には奴隷の身分を解かれてシカゴにやって来たが、人種差別などから低賃金重労働以外に就くことはほぼ不可能であり、新天地での生活も相変わらず苦しいものだった。暴動は日常茶飯事となり、とりわけ1919年暴動英語版は過去最悪となった。更に腐敗政治の蔓延などで市街は無法地帯となり、その時多くの住人が市街地を去った。

1927年の市長選挙でウィリアム・ヘイル・トンプソンが勝利すると、トンプソンはシセロにあるナイトクラブの常連となってギャング(シカゴ・アウトフィット)と癒着し、アル・カポネが裏社会を支配した。1929年世界恐慌の影響で、市の財政も大幅な赤字となった。同年、聖バレンタインデーの虐殺を契機に、トニー・アッカルドサム・ジアンカーナ等、1940年代から1960年代の次世代を担うギャングが台頭した。トンプソン政権は、1931年市長選で敗北するまで続いた。

1920年にも建築ラッシュは続き、トリビューン・タワー英語版リグリー・ビル英語版、戦後には世界一の高さを誇っていたシアーズ・タワー(現ウィリス・タワー)などが建設され、今日に見るようなダウンタウンが形成されていった。シカゴ学派第三世代の中でもルイス・ワースはシカゴのマイノリティグループの社会層とセグリゲーションについて記述し(アーバニズム[10])、そこから旧市街地、工業地、新興住宅地と同心円状に都市が形成されるモデル(同心円モデル)を打ち立てた[11]ことで有名である。

1958年頃に旧来の白人中心のギャングだけでなく、ブラック・P・ストーンズヴァイス・ローズ、1968年にはギャングスター・ディサイプルズといった黒人によるストリートギャングが誕生し、1960年代より1970年代にかけてギャング同士の抗争が発生し、治安が悪化した。

1950年から1970年にかけて民主党リチャード・J・デイリー英語版市長は、様々な有力者の支持を受け、市街地再開発治安の改善、賃金格差の是正などに努め、市政を建て直した。ニューヨークやボストンなどが経済発展に陰りが見え始めた頃に、シカゴは比較的堅調な経済情勢を維持できたのも、この市長の善政のおかげだったといわれている。

シカゴの人口は、1950年に362万人となり最高を記録した。以後、周辺部を含めた都市圏の人口は現在まで増加傾向が続いているが、市域内の人口は伸び悩む傾向が続き、市域人口は1980年代前半にロサンゼルスに抜かれている。これは五大湖近辺の市街地老朽化と製造業の衰退によるものと見られており、また、西海岸諸都市の経済発展を受けて、アメリカ国内におけるシカゴ経済の地位は、20世紀半ばまでの時期に比べて相対的に低下した。ただし近郊では、半導体電子機器・輸送機械などの産業が発展し、シカゴは現在もアメリカにおける商業金融流通の重要拠点の一つとしての地位を保っている。

街の景観

シカゴのスカイライン、ノーザリー島から西方を向かって、2009年4月
ジョンハンコックセンターから南方へ向かって、2010年8月

シカゴには高さ100m以上の超高層ビルが575棟ある。これは世界でもニューヨーク、香港に次ぐ数である[12]

主な超高層ビル

ミシガン湖からシカゴの摩天楼群を望む。左側の最も高いビルがウィリス・タワー(旧シアーズ・タワー)。右端のビルはAonセンター

地理

シカゴはミシガン湖の南西部先端であるイリノイ州北東部に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、シカゴは総面積606.1km2(234.0mi2)である。このうち588.3 km2(227.1 mi2)は陸地で17.8 km2(6.9 mi2)は水地域である。総面積の2.94%は水地域となっている。

気候

ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfa)に属する。冬季は厳しい寒さとなるが、さほど降雪は多くない。一方、夏季は温暖な南西風の影響でかなりの暑さとなり、気温の年較差が大きい大陸性気候となっている。

シカゴは英語で「風の街」(Windy City)と呼ばれ、ミシガン湖から季節風が吹き付ける。なお、「風の街」という表現は風の強さからきているとの考えが一般に受け入れられているが、実際はそうではない。そもそもオクラホマシティの方が、より風が強いぐらいである。「風の街」の由来は、1893年の万国博覧会の候補地としてニューヨークとシカゴが争ったとき、ニューヨークのある雑誌がシカゴ市民を「Chicagoans' talk is full of hot air. 」と評したことである。これを直訳すると「シカゴ市民の話は風に満ちていた」だが、そのこころは「シカゴ市民の話は中身のない言葉だけ」、である。つまり上記の英文はシカゴおよびシカゴ市民を馬鹿にした発言である。このことが本来の由来を離れて使用されるに至った。なお、1893年の万博は結局シカゴで開催され、それまでの万博で最大の規模となった。

シカゴ・ミッドウェー国際空港(1981–2010年、極値1928年- )の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 19
(67)
24
(75)
30
(86)
33
(92)
39
(102)
42
(107)
44
(111)
39
(102)
38
(101)
34
(94)
27
(81)
22
(72)
44
(111)
平均最高気温 °C°F −0.3
(31.5)
2.1
(35.8)
8.2
(46.8)
15.1
(59.2)
21.2
(70.2)
26.6
(79.9)
31.8
(89.2)
32.3
(90.1)
24.1
(75.3)
17.1
(62.8)
9.2
(48.6)
1.8
(35.3)
15.6
(60.0)
日平均気温 °C°F −4
(24.8)
−1.8
(28.7)
3.8
(38.8)
10.2
(50.4)
16.1
(60.9)
21.7
(71.0)
24.4
(75.9)
23.4
(74.1)
19.1
(66.4)
12.3
(54.2)
5.3
(41.5)
−1.7
(29.0)
10.7
(51.3)
平均最低気温 °C°F −7.7
(18.2)
−5.7
(21.7)
−0.6
(30.9)
5.4
(41.7)
10.9
(51.6)
15.6
(60.1)
19.2
(66.5)
19
(66.2)
10.3
(50.5)
7.6
(45.7)
1.4
(34.5)
−5.2
(22.7)
6.4
(43.5)
最低気温記録 °C°F −34
(−30)
−29
(−20)
−22
(−7)
−12
(10)
−2
(28)
2
(35)
8
(46)
6
(43)
1
(34)
−7
(20)
−19
(−3)
−29
(−20)
−34
(−30)
降水量 mm (inch) 52.3
(2.06)
49.3
(1.94)
69.1
(2.72)
92.5
(3.64)
104.9
(4.13)
103.1
(4.06)
101.9
(4.01)
101.3
(3.99)
84.1
(3.31)
82.3
(3.24)
86.9
(3.42)
65.3
(2.57)
992.9
(39.09)
降雪量 cm (inch) 29.2
(11.5)
23.1
(9.1)
13.7
(5.4)
2.5
(1.0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0.3
(0.1)
3.3
(1.3)
22.1
(8.7)
94.2
(37.1)
平均降水日数 (≥0.01 in) 10.7 8.8 11.2 11.1 11.4 10.3 9.9 9.0 8.2 10.2 11.2 11.1 123.1
平均降雪日数 (≥0.1 in) 8.1 5.5 3.8 0.7 0 0 0 0 0 0.1 1.8 6.7 26.7
出典:NOAA,[13][14][15] WRCC[16]
シカゴ・オヘア国際空港(1981–2010年、極値1871年–)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 19
(67)
24
(75)
31
(88)
33
(91)
37
(98)
40
(104)
41
(105)
39
(102)
38
(101)
34
(94)
27
(81)
22
(71)
41
(105)
平均最高気温 °C°F −0.6
(31.0)
1.8
(35.3)
8.1
(46.6)
15
(59.0)
21.1
(70.0)
26.5
(79.7)
28.9
(84.1)
27.7
(81.9)
23.8
(74.8)
16.8
(62.3)
9
(48.2)
1.6
(34.8)
15.1
(59.1)
日平均気温 °C°F −4.6
(23.8)
−2.4
(27.7)
3.3
(37.9)
9.4
(48.9)
15.1
(59.1)
20.5
(68.9)
23.3
(74.0)
22.4
(72.4)
18.1
(64.6)
11.4
(52.5)
4.6
(40.3)
−2.4
(27.7)
9.9
(49.8)
平均最低気温 °C°F −8.6
(16.5)
−6.6
(20.1)
−6.6
(20.2)
3.8
(38.8)
9.1
(48.3)
11.7
(53.1)
17.7
(63.9)
17.2
(62.9)
12.4
(54.3)
6
(42.8)
0.2
(32.4)
−6.3
(20.7)
4.9
(40.8)
最低気温記録 °C°F −33
(−27)
−29
(−21)
−24
(−12)
−14
(7)
−3
(27)
2
(35)
7
(45)
6
(42)
−2
(29)
−10
(14)
−19
(−2)
−32
(−25)
−33
(−27)
降水量 mm (inch) 43.9
(1.73)
45.5
(1.79)
63.5
(2.50)
85.9
(3.38)
93.5
(3.68)
87.6
(3.45)
94
(3.70)
124.5
(4.90)
81.5
(3.21)
80
(3.15)
80
(3.15)
57.2
(2.25)
937
(36.89)
降雪量 cm (inch) 27.4
(10.8)
23.1
(9.1)
14.2
(5.6)
3
(1.2)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0.5
(0.2)
3
(1.2)
20.8
(8.2)
92.2
(36.3)
平均降水日数 (≥0.01 in) 10.5 8.8 11.1 12.0 11.6 10.2 9.8 9.8 8.3 10.2 10.8 11.0 124.1
平均降雪日数 (≥0.1 in) 8.2 5.9 4.2 0.9 0 0 0 0 0 0.2 1.7 6.9 28.0
湿度 72.2 71.6 69.7 64.9 64.1 65.6 68.5 70.7 71.1 68.6 72.5 75.5 69.6
平均月間日照時間 135.8 136.2 187.0 215.3 281.9 311.4 318.4 283.0 226.6 193.2 113.3 106.3 2,508.4
日照率 46 46 51 54 62 68 69 66 60 56 38 37 56
出典:NOAA (relative humidity and sun 1961–1990)[14][17][18]

人口動勢

人口推移
人口
18404,470
185029,963570.3%
1860112,172274.4%
1870298,977166.5%
1880503,18568.3%
18901,099,850118.6%
19001,698,57554.4%
19102,185,28328.7%
19202,701,70523.6%
19303,376,43825.0%
19403,396,8080.6%
19503,620,9626.6%
19603,550,404−1.9%
19703,366,957−5.2%
19803,005,072−10.7%
19902,783,726−7.4%
20002,896,0164.0%
20102,695,598−6.9%
20202,746,3881.9%
U.S. Decennial Census
[19]
人種構成 2010[20] 1990[20] 1970[20] 1940[20]
白人 45.0% 45.4% 65.6% 91.7%
—非ヒスパニック 31.7% 37.9% 59.0%[注釈 2] 91.2%
黒人 32.9% 39.1% 32.7% 8.2%
ヒスパニック(肌の色問わず) 28.9% 19.6% 7.4%[注釈 2] 0.5%
アジア系 5.5% 3.7% 0.9% 0.1%

2010年現在の国勢調査[21]で、シカゴ市内の人口は269万5,598人、104万5,560世帯が暮らしている。これはイリノイ州の全体的な人口の約5分の1及びアメリカの人口の1%になる。かつてはニューヨークに次ぐ大都市だったが、ロサンゼルスの台頭と五大湖近辺の地位低下、更に都市圏の拡大による郊外化、サブプライムローン金融危機に伴う抵当物件差押えの増加や、低所得者向け高層公共住宅の取り壊しとそれに伴う住民の立ち退き、全米平均を上回る高い失業率を背景に人口が急減している。

この都市の人種的な構成は白人45.0%、アフリカン・アメリカン32.9%、インディアン0.5%、アジア5.5%、その他の人種13.4%、および混血2.7%であり、黒人の比率が全米平均の12.6%より20%以上も高いのが特徴である。この人口の28.9%はヒスパニックまたはラテン系である。2011年の国勢調査によると、シカゴの白人住民のうちもっとも多いのがアイルランド系であり、ドイツ系、ポーランド系がそれに続く。

この都市内の住民は26.2%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が11.2%、25歳以上44歳以下が33.4%、45歳以上64歳以下が18.9%、及び65歳以上が10.3%にわたっている。中央値年齢は32歳である。女性100人ごとに対して男性は94.2人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は91.1人である。

この都市の世帯ごとの平均的な収入は38,625米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は42,724米ドルである。男性は35,907米ドルに対して女性は30,536米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入(per capita income)は20,175米ドルである。人口の19.6%および家族の16.6%は貧困線以下である。全人口のうち18歳未満の28.1%および65歳以上の15.5%は貧困線以下の生活を送っている。

犯罪

シカゴ市内の地域ごとの暴力犯罪の図。色が赤い地域ほど、犯罪発生率が高いことを示す。
Chicago
犯罪発生率* (2010)
暴力犯罪
殺人15.2
強姦N/A
強盗501.6
加重暴行485.5
暴力犯罪N/A
資産犯罪
住居侵入924.7
窃盗2,638.4
自動車盗673.3
放火N/A
資産犯罪4,236.4
備考

*100,000 人あたりの報告された発生数


出典: FBI 2010 UCR data

1970年代は犯罪発生率が高く、970人が殺害され、殺人発生率は10万人あたり29人であった。近年は人口減少と共に殺人も減少傾向にあったが、2012年には前年よりも有意な増加が見られ、発生率は10万人あたり18.5人で、全米平均の4倍近くとなっており、506人が殺害されている。そのため、警官の増員や地元代表らとの連携がなされ、2013年には殺人被害者数が415人まで下がったものの、暴力行為は依然多く、発砲事件だけでも2013年の負傷者の数は2,185人にのぼった[22]

ギャング(前述)による抗争などが発生しており、2011年と2012年にはシカゴで殺害された年間死亡者数がイラクアフガニスタンに派兵された米兵の同年の死亡者数を上まったことから、「Chiraq」(シカゴの「Chi」とイラクの「raq」をかけあわせた語句)という不名誉なあだ名がついてしまった。

19世紀末の連続殺人犯であるH・H・ホームズが「殺人の城」と呼ばれた建物を建てたのもシカゴである。

2021年現在、シカゴは自動車の盗難件数が最も多いアメリカの都市となっている。シカゴでは2019年以降に自動車盗難の大規模な急増が始まり、2020年には少なくとも1,415件の犯罪が市内で行われた[23] 。 シカゴ警察によると、自動車盗難犯は進行中のCOVID-19パンデミックのために広く着用されているフェイスマスクを使って、一般市民に効果的に溶け込み、自分の身元を隠しているとのことである。2021年1月27日、ライトフット市長はカージャックの波の悪化を「最優先事項」であると述べ、CPDのカージャック部隊に40人の警察官を増員した[24]

2010年代、アメリカ社会は万引などの窃盗犯罪に寛容になり、徐々に小売業への影響が広がった[25]2023年4月11日ウォルマートは組織的な盗難被害の多さからなる赤字を理由に、シカゴ市内4店舗の閉鎖を発表した[26]

教育

主要記事:w:Chicago Public Schools
高等教育:w:List of colleges and universities in Chicago

大学・短大

1850年代以降、シカゴはいくつかの大学を擁する高等教育・研究の世界的な中心地となっている。これらの大学は、U.S. News & World Report誌による全米の「国立大学」の上位に常にランクインしている。シカゴおよび周辺地域で評価の高い大学には、シカゴ大学ノースウェスタン大学イリノイ工科大学ロヨラ大学デポール大学イリノイ大学シカゴ校、コロンビア大学シカゴが含まれる。その他の有名校は以下の通り。シカゴ州立大学、シカゴ美術館附属美術大学、東西大学、ナショナル・ルイス大学、ノースパーク大学、ノースイースタン・イリノイ大学、ロバート・モリス大学イリノイ校、ルーズベルト大学、セント・ザビエル大学、ラッシュ大学、シャイナー大学[27]

文化

シカゴ川の夜景
ネイビー・ピア
シェッド水族館
ミレニアム・パーク

シカゴの文化は富裕層らが築いた文化(美術館博物館公園、または時代の最先端を走った摩天楼に象徴される建築など)と、貧困層が築いた文化(ブルースジャズハウス、シカゴ文学と呼ばれる一種のプロレタリア文学など)に大別されるが、一般に象徴されるのは後者である。

一方で、前述の通り1920年代に蔓延したマフィアや暴力団(ギャング)も有名。時代を反映した映画「ブルース・ブラザース」「逃亡者」などの舞台にもなっている。またシカゴ風ピザアイスクリームサンデー発祥の地でもある。

ピカソの彫像『無題(Untitled)』の置かれたデイリー・シビック・センター(Daley Civic Center)では、シカゴの提供により平日の正午にコンサートなどの様々な無料文化イベント「アンダー・ザ・ピカソ(Under The Picasso)」が行われ市民が集う。

聖パトリックの祝日にはシカゴ川がシンボルカラーの緑に染められる事で知られる。

音楽

クラシック音楽では、シカゴ交響楽団シカゴ・リリック・オペラがある。シカゴ交響楽団はアメリカ五大オーケストラ(Big Five)の一つとされる[28] のみならず、世界最高のオーケストラのひとつとして知られている。同交響楽団は1891年に創設され、1953年~1962年の音楽監督フリッツ・ライナーの時代と、1969年~1991年の音楽監督ゲオルク・ショルティの時代にそれぞれ大発展を遂げ、世界的な名声を確立した。シカゴ・リリック・オペラは、ニューヨークのメトロポリタン・オペラサンフランシスコ・オペラと並ぶ、アメリカ3大オペラ・ハウスの一つとされている。

また、シカゴはアフリカ系アメリカ人らが築き上げた音楽文化、ブルースやジャズのメッカとして名高い。アメリカ南部のミシシッピ川流域で発生したアコースティックなデルタ・ブルースエレクトリック・ギターなどを導入してシカゴ・ブルースと呼ばれる音楽に発展させた。ジャズの分野では、1920年代にはルイ・アームストロング等多くのミュージシャンが、活動の拠点をニューオーリンズからシカゴに移した。1965年には、アフリカ系アメリカ人のジャズ・ミュージシャンたちがAACM(創造的音楽家のための協会)を設立し、音楽教育やコンサート活動などを行う。同協会からはアート・アンサンブル・オブ・シカゴが世界的成功を収めた。またそうした音楽的伝統の元に生まれたハウス音楽の発祥としても知られている。シカゴにあった「ウェアハウス」というアフロ・アメリカンやゲイなどを主な客層としたクラブの名前が「ハウス」という言葉の起源であり、シカゴ・ハウスは後にニューヨークでなど爛熟したハウス・ミュージックの原形ともされ、現在でもダンス音楽の世界ではシカゴを中心とするDJ達が重要な位置を占めている。現在ではシカゴ音響派と呼ばれるジャズロックポップス現代音楽が一緒になったようなそれまでにはない新しい音楽(ポストロックともいう)を追求する者も多くいる。また、ギャング文化に伴ったヒップホップのメッカともいわれており、近年ではトラップに影響を受けたトラックに乗せてシカゴの治安問題を暴力的な歌詞に乗せて歌う「ドリル・ミュージック」というジャンルが発生している。

博物館及びギャラリー

1998年、シカゴは3つの主要な博物館(フィールド自然史博物館シェッド水族館アドラー・プラネタリウム)に取り囲まれたレイクフロントパーク地域に、ミュージアム・キャンパスを公式に開設した。このミュージアム・キャンパスはグラント・パークの南部地区に設定された。グラントパークにはシカゴ美術館も所在している。

シカゴ地域の他の主要な博物館・ギャラリーは以下の通り。

公園

ピルゼン地区

シカゴのロウアー・ウェスト・サイド地区(en:Lower West Side, Chicago)は、チェコからの移民によって作られたコミュニティであり、シカゴ近辺の住民からはピルゼン地区(Pilsen)と通称される。ピルゼンとは、チェコの都市プルゼニの英語およびドイツ語名である。しかし1970年代以降、地区の主な住人はメキシコ系へと置き換わっていった。

スポーツ

プロスポーツ

北米4大プロスポーツリーグすべてを有する数少ない都市。さらにMLSマイナーリーグなども構えている。

チーム 種別 リーグ 競技場 設立 優勝回数
シカゴ・カブス 野球 MLB: ナショナルリーグ リグレー・フィールド 1876年 ワールドシリーズ優勝3回
シカゴ・ホワイトソックス 野球 MLB: アメリカンリーグ ギャランティード・レート・フィールド 1900年 ワールドシリーズ優勝3回
シカゴ・ベアーズ フットボール NFL ソルジャー・フィールド 1919年 スーパーボウル優勝1回
シカゴ・ブラックホークス アイスホッケー NHL ユナイテッド・センター 1926年 スタンレー・カップ優勝6回
シカゴ・ブルズ バスケットボール NBA ユナイテッド・センター 1966年 NBAファイナル優勝6回
シカゴ・ファイアーFC サッカー MLS ソルジャー・フィールド 1997年 MLSカップ優勝1回、USオープンカップ優勝4回、サポーターズシールド優勝1回

その他

サンフランシスコ、シカゴ、ヒューストンフィラデルフィアロサンゼルスの5都市の中から、2007年4月14日(アメリカ時間)にアメリカオリンピック委員会(USOC)によって最終国内候補都市に選定された。

交通

ユニオン駅 大待合室「グレート・ホール」

空港

  • シカゴ港

鉄道

一級鉄道の6社がシカゴに乗り入れる[1]

ターミナル駅

友好姉妹都市

全米国際姉妹都市協会(Sister Cities International)加盟都市。

関係者

出身者
居住その他ゆかりある人物

シカゴを舞台にした映画・ドラマ・漫画・舞台・ゲーム

複数階層の道路
高架線路

シカゴは多くの映画ドラマの舞台となっており、シカゴ内のある高層ホテルでは様々な映画やドラマを10回以上も撮影していることで知られている。

脚注

注釈

  1. ^ 英語でrampと呼ばれる。
  2. ^ a b From 15% sample

出典

  1. ^ a b Freight Rail Facts & Figures”. アメリカ鉄道協会. 2023年9月閲覧。
  2. ^ JLL、世界の都市比較インデックスを分析「都市パフォーマンスの解読」を発表 JLL 2017年10月25日閲覧。
  3. ^ Global Financial Centres Index 21 Z/Yen Group 2017年4月5日閲覧。
  4. ^ Cities Rank Among the Top 100 Economic Powers in the World Chicago Council on Global Affairs 2016年10月28日閲覧。
  5. ^ [1]
  6. ^ Chicago Name Origin” (英語). chicagology. 2021年12月4日閲覧。
  7. ^ Timeline: Early Chicago History Chicago City of Century, PBS
  8. ^ a b c 岩本裕子、「シカゴ万博 (1893) と黒人女性 -アイダ・B・ウェルズとファニー・B・ウィリアムズの場合」 『駒澤史学』 1993年 45巻 p.143-166, ISSN 0450-6928,『駒沢大学歴史学研究室内駒沢史学会』
  9. ^ Foner, Philip S. (1986). May Day: A Short History of the International Workers' Holiday, 1886-1986. New York: International Publishers. pp. 41–43. ISBN 0-7178-0624-3 
  10. ^ 1938: Urbanism As A Way of Life. in: AJS 44, S. 1-24
    高橋勇悦訳「生活様式としてのアーバニズム」鈴木広編『都市化の社会学 増補版』(誠信書房, 1978年)
  11. ^ Park, R. E., Burgess, E. W. & McKenzie, R. D. 1925 The City,
  12. ^ Number of 150m+ Completed Buildings - The Skyscraper Center”. www.skyscrapercenter.com. 2020年2月14日閲覧。
  13. ^ Station Name: IL CHICAGO MIDWAY AP”. National Climatic Data Center. 2013年3月12日閲覧。
  14. ^ a b NowData - NOAA Online Weather Data”. NWS Romeoville, IL. 2011年12月14日閲覧。
  15. ^ “[http://www.crh.noaa.gov/lot/?n=top20events_1900to1999 Top 20 Weather Events of the Century for Chicago and Northeast Illinois 1900–1999]”. NWS Romeoville, IL. 2014年6月16日閲覧。
  16. ^ CHICAGO MIDWAY AP 3 SW, ILLINOIS”. Western Regional Climate Center. 2014年6月12日閲覧。
  17. ^ Station Name: IL CHICAGO OHARE INTL AP”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2013年3月18日閲覧。
  18. ^ Chicago/O'Hare, IL Climate Normals 1961-1990”. National Oceanic and Atmospheric Administration. May 14, 2013閲覧。
  19. ^ https://www.census.gov/quickfacts/fact/table/chicagocityillinois/PST045221#PST045221S
  20. ^ a b c d Chicago (city), Illinois”. State & County QuickFacts. U.S. Census Bureau. 2014年1月17日閲覧。
  21. ^ American FactFinder, United States Census Bureau, http://factfinder.census.gov 2008年1月31日閲覧。 
  22. ^ More Than 60 Shot, 9 Dead in Chicago's Bloody Holiday Weekend ABC News, Jul 7, 2014
  23. ^ Jeremy Gorner & Jonathon Berlin, Carjackings more than double in Chicago during 2020, police say, perhaps as criminals blended in with masked public, Chicago Tribune (January 18, 2021).
  24. ^ Gregory Pratt & John Byrne, Chicago Mayor Lori Lightfoot says spike in carjackings ‘top of mind,’ adding 40 more police officers to carjacking unit and gathering regional mayors, Chicago Tribune (January 27, 2021)
  25. ^ 10万円までの窃盗を重罪としないカリフォルニア、"万引き天国"問題のその後”. マイナビニュース (2022年3月8日). 2023年9月29日閲覧。
  26. ^ ウォルマートが窃盗被害で一気に4店閉鎖 無人販売が人気の国との差”. 日経ビジネス (2023年4月25日). 2023年9月29日閲覧。
  27. ^ Chicago, Illinois Colleges and Universities”. Free-4u.com. January 8, 2017閲覧。
  28. ^ The Big Five Orchestras No Longer Add Up(ニューヨーク・タイムズ 2013年6月14日)

関連項目

外部リンク

公式
日本政府
観光

シカゴ (ミュージカル)

(Chicago から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/13 05:01 UTC 版)

シカゴ
Chicago
作曲 ジョン・ケンダー
作詞 フレッド・エブ
脚本 フレッド・エブ
ボブ・フォッシー
原作 演劇版『シカゴ』モウリン・ダラス・ワトキンス作
上演 1975年 ブロードウエイ
1977年 ブエノスアイレス
1979年 ウエスト・エンド
海外プロダクション
1996年 ブロードウエイ再演
1997年 ウエスト・エンド再演
1997年, 1999年, 2000年, 2003年-2008年 北米ツアー
2001年 ブエノスアイレス再演
2006年, 2009年, 2011年 イギリスツアー
2010年 ブエノスアイレス再演
2013年 ハリウッド・ボウル
受賞 トニー賞最優秀再演ミュージカル作品賞
トニー賞最優秀振付賞
ウェブサイト http://www.chicagothemusical.com/
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シカゴ』(Chicago)は、ジョン・カンダー作曲、フレッド・エッブ作詞、フレッド・エッブおよびボブ・フォッシー脚本によるアメリカ合衆国ミュージカル禁酒法時代のイリノイ州シカゴを舞台に、記者のモウリン・ダラス・ワトキンスが調査した実際の犯罪および犯罪者を題材にした演劇『シカゴ』を基にしている。物語は刑事司法陣営の政治腐敗の風刺および著名な犯罪者の概念について描かれている。

1975年にオリジナルのブロードウエイ公演が46番通り劇場にて初演され[1]、1977年までに936公演上演された。オリジナルではボブ・フォッシーが振付も手掛け、彼のスタイルがこの作品に如実に表現されている。1979年、ウェスト・エンドに進出して600公演上演され、1996年ブロードウエイで再演され、その1年後にウェスト・エンドでも再演された。

ブロードウエイ再演では7,300回以上を上演し、再演ミュージカル作品では最長、ブロードウエイ史上アメリカのミュージカルで最長、ブロードウエイ史上海外作品も合わせると『オペラ座の怪人』、『キャッツ』に続き第3位のロングラン公演の記録を持っている[2]。ウェスト・エンドでの再演は15年近く続き、ウェスト・エンド史上アメリカのミュージカル作品で最長の記録を持っており、他に国内外のツアー公演も行っている。アカデミー賞を受賞した映画版『シカゴ』はロブ・マーシャル監督、レネー・ゼルウィガーキャサリン・ゼタ=ジョーンズリチャード・ギアジョン・C・ライリークイーン・ラティファ主演で製作された。

概要

ミュージカル『シカゴ』はジャズ全盛期時代、『シカゴ・トリビューン』紙で1924年のビューラ・アナンベルヴァ・ガートナーの裁判を取材した女性記者のモウリン・ダラス・ワトキンスが、これにヒントを得て執筆した脚本『シカゴ』を基にした辛口コメディである。1920年代初頭、シカゴの報道機関や民衆はこの2人の女性殺人犯に釘付けになっていた。当時女性が恋人や夫を殺害するニュースはとても注目を集める題材であった。この2つの事例はジャズ・エイジの女性観を変え、クック郡において陪審員による女性殺人犯の無罪放免が続く結果となった。当時の陪審員は全て男性であり、有罪を受けた殺人犯は通常絞首刑となっていた。シカゴでは女性らしいあるいは魅力的な女性は有罪判決とならなかったと伝えられている。当時『シカゴ・トリビューン』紙は女性被告の判決がどうあれ検察官を持ち上げる傾向があった。ライバルであるハースト・コーポレーション社の出版物はより被告寄りであり、女性記者は女性被告の立場、魅力、贖罪、品位に注目し、「泣きの尼」と嘲笑されていた。それぞれスタンスは違っていたが、メディアは女性被告をセレブリティとして扱うことがあった[3]

ロキシー・ハートのモデルとなったアナンは1924年4月3日、ハリー・カルステットを殺害した当時23歳であった[4]。『シカゴ・トリビューン』紙はアナンはフォックストロットのレコード『Hula Lou』を2時間かけ続けた後、夫に自分を襲おうとした男を殺害したと電話したと報じた。1924年5月25日、アナンは無罪となった。ヴェルマ・ケリーのモデルとなったガートナーはキャバレーの歌手で離婚経験があった。1924年5月12日、ガートナーが遺棄した車の中でハンドルに被さるように前屈みで亡くなっていたウォルター・ロウが発見された。2人の警察官が女性が車に押し入り、直後に銃声を聞いたという証言を得た。ジンの瓶と自動拳銃が車の床から見つかった。1924年6月6日、ガートナーは無罪となった。弁護士のウイリアム・スコット・スチュワートとW・W・オブライアンがビリー・フリンのモデルとなった[5]

これら2件の裁判を報じたワトキンスの扇情的なコラムは人気となり、彼女はこれを基に演劇の脚本を執筆することを決心した。この演劇は民衆の人気と批評家の賞賛を受け、1926年にブロードウエイに進出し、172公演を上演した。1927年、セシル・B・デミルのプロデュースによるサイレント映画『シカゴ』がロキシー役にフィリス・フェイヴァー、ヴェルマ役にジュリア・フェイが配役されて製作された。1942年、サイレント映画『ロキシー・ハート』としてジンジャー・ロジャース主演でリメイクされた。ただしこの版ではロキシーは無実の罪を着せられている。

1960年代、グウェン・ヴァードンが脚本を読み、夫のボブ・フォッシーにミュージカル化できるか尋ねた。フォッシーは脚本家のワトキンスに何度も権利の購入を依頼したが、彼女は断り続けた。彼女が亡くなる前に新生信者となり、彼女の脚本が人生をより魅力的なものにしてくれると信じるようになった[4]。1969年に彼女が亡くなると、脚本の権利がプロデューサーのリチャード・フライヤー、ヴァードン、フォッシーに売却された[4]。ジョン・ケンダーとフレッド・エブは伝統的なヴォードヴィルの曲や役者をモデルにミュージカル版の楽譜に取り掛かった。概要は「正義」、「ショー・ビジネス」と現代社会の対比をはっきり描くこととなった。エブとフォッシーはミュージカル版の脚本を執筆し、フォッシーは演出と振付も行なった。

舞台では特に鬼才ボブ・フォッシーの振り付けによるゴージャスでダイナミックなダンスが特徴的である。

映画版2003年第75回アカデミー賞の作品賞、第60回ゴールデングローブ賞の作品賞も受賞している。なお、映画版では主役をロキシー・ハートとし、舞台版の楽曲は数曲カットされている。

ストーリー

第1幕

1920年代中期、ジャズ全盛期のアメリカ合衆国イリノイ州シカゴで、ヴォードヴィリアンのヴェルマ・ケリーは夫と妹が浮気をしているのを目撃して2人を殺害し、彼女は観客を歓迎する(『All That Jazz 』)。その頃コーラス・ガールのロキシー・ハートは彼女を捨てたナイトクラブの常連客で愛人のフレッド・ケイスリーを射殺し逮捕される。

ロキシーは強盗を撃ったのだと語り、お人よしの夫エイモスは気軽に責任を買って出たため、ロキシーは夫の頭が弱いことに感謝する(『Funny Honey 』)。しかし警察が被害者の名を明かすとエイモスは遅ればせながらも事情を把握し、真実が明らかになったためにロキシーは逮捕される。彼女がクック郡刑務所女子棟に送られると、その監獄には元ナイトクラブの歌姫ヴェルマ・ケリーのほか、殺人者たちが収監されている(『Cell Block Tango 』)。ここは需要に応えた相互扶助で贈収賄を行なう看守ママ・モートンに牛耳られている(『When You're Good to Mama 』)。彼女はヴェルマがヴォードヴィルに華々しく復帰するようにエージェント業も行ない、メディアの「今週の殺人者」のトップになるよう働きかける。

悪徳敏腕弁護士ビリー・フリンの力でメディアの注目を一身に集め、監獄の中にいながらもスターとなっていたヴェルマは、浮気をしていた夫と妹を殺しておきながら、ビリーのマスコミ操作で無罪になる日も近い。ロキシーは憧れのヴェルマに近づこうとするが、相手にもされない。ヴェルマはロキシーがスポットライトだけでなく悪徳敏腕弁護士ビリー・フリンを奪ったことが気に入らない。看守ママ・モートンの手引きを受けたロキシーは 、エイモスに金を出させてビリー・フリンを雇う(『A Tap Dance 』).。多くの女性依頼者にお願いされ、ビリーはダンサーおよびコーラスと共に歌う(『All I Care About is Love 』)。ビリーはロキシーを担当することになり、同情的なタブロイドのコラムニストであるメアリー・サンシャインにより、彼女の身の上話が作り上げられる(『A Little Bit of Good 』)。ロキシーの記者会見では、ロキシーは口を動かすだけで言葉は発さず、ビリーが新たに作り上げた「真実」が腹話術で語られる(『We Both Reached for the Gun 』)。ビリーがでっちあげた正当防衛の筋立てが功を奏し、悲劇のヒロインとして一世を風靡するロキシー。スポットライトから外され、今度は嫉妬する側になったヴェルマ。

ロキシーはシカゴの新たな有名人となり、将来のヴォードヴィルでの活躍を自慢げに語る(『Roxie 』)。ロキシーの名声は上がる一方ヴェルマの評判は下がり、スターの座を奪われたヴェルマは思い切ってロキシーにデュエットを持ちかけるが今度は自分が相手にされない(『I Can't Do It Alone 』)。そんな中、新たな女性殺人犯の令嬢キティが登場し、マスコミの関心はそちらに移ってしまう。ロキシーとヴェルマはそれぞれ自分以外に誰も頼りにできないと悟り(『My Own Best Friend 』)、ロキシーは咄嗟に「妊娠中」と嘘の告白をし、スターの座に返り咲く。

第2幕

ヴェルマは女優のテキサス・ガイナンがよく使っていた「Hello, Suckers 」という挨拶を使い、再度人気が上がる。彼女はロキシーが見え透いた嘘をついたにもかかわらず (『Me and My Baby 』)、幸運が続いていることを語る(『I Know a Girl 』)。頭の弱いエイモスは自分が父親になることを喜ぶが、誰も彼の存在に気付かない(『Mr. Cellophane 』)。ヴェルマはビリーに裁判の計画を語る (『When Velma Takes The Stand 』)。ロキシーはこれに不満を持ち、ビリーと大喧嘩をして彼を解雇する。彼女は監獄内の女性が絞首刑を実行されることを知り、解雇を覆す。

裁判日が決まり、ビリーは裁判をショーとしてうまく演じれば全てうまくいくと語り(『Razzle Dazzle 』)、靴のラインストーンのバックルに至るまでヴェルマが計画した裁判のアイデアをロキシーに全て与え、ヴェルマとママ・モートンは驚愕する(『Class 』)。約束通り、ビリーはロキシーの無罪を勝ち取ったが、常に新しいスキャンダルを追い回しているマスコミは劇的な判決結果にもロキシーの存在にも無関心で、ロキシーはセレブリティの座から転落する。裁判をショービジネスと考えるビリーは、相変わらず意欲的に悪徳弁護を続けている。エイモスは彼女の味方であったが、実は妊娠していないことを明かすと彼も去ってしまう。ロキシーは立ち上がり、前向きに生きていくことを決心する(『Nowadays 』)。新たなショーでヴェルマとタッグを組んで歌い踊り("Hot Honey Rag")、出演者全員が登場して大団円を迎える(『Finale 』)[6]

ミュージカル・ナンバー

1975年、オリジナル・ブロードウェイ・プロダクション

1996年、再演

日本公演

主要登場人物

  • ロキシー・ハート英語版:ヴォードヴィリアンを目指すが口論の末に愛人を殺害し刑務所入りしてしまう。
  • ヴェルマ・ケリー英語版 :ヴォードヴィリアンで浮気をした夫と妹を殺害して裁判にかけられる。ビリー・フリン弁護士を雇い、ロキシーをライバル視する。
  • ビリー・フリン英語版:ヴェルマとロキシーの弁護士。裁判には全勝でマスコミ操作に長けている。クライアントをセレブリティに仕立て上げて世の中を騒がせる。
  • エイモス・ハート:ロキシーの夫。温厚で忠実な性格。
  • 看守ママ・モートン:クック郡刑務所の女性看守。
  • メアリー・サンシャイン:ロキシーとヴェルマ双方の裁判を追う新聞記者。多くのプロダクションで上演最後に実は男性であることが明かされる。

楽曲および舞台

フレッド・エブによると、彼は「登場人物はパフォーマーである。ロキシーはヘレン・モーガン、ヴェルマはテキサス・ガイナン、ビリー・フリンはテッド・ルイス、ママ・モートンはソフィ・タッカーというように作品内のどの曲でも誰かがモデルになっている」ため、ヴォードヴィル形式で脚本を執筆した。ケンダーは作品がヴォードヴィルと呼ばれる所以について「私達が手掛けた曲の多くはエブが示したパフォーマーだけでなく、エディ・ケンターやバート・ウイリアムズにも関連しているから」と語った[7]

ミュージカル『シカゴ』は当初より製作者たちの話し合いにより展開していった。

Razzle Dazzle 』の2回の指スナップはエブがケンダーに提案して付け加えられた。ケンダーは「指スナップを追加してボブに聞かせる前、エブが確固たる自信を持って「2回の指スナップを入れてみよう。ボビーもきっと気に入るよ」と語った。私達はそれらを追加し、彼がこれを聞いた瞬間、彼はこの曲が気に入ったのだ」と語った[7]。リハーサル中、『Razzle Dazzle 』は裁判所の階段での乱痴気騒ぎとなる予定となった。フォッシーはこの演出についてジェリー・オーバックと、曲の中にブレヒト流の繊細な内面が足りないと感じたと話し合い、却下となった[8]

当初のフィナーレはグウェン・ヴァードンとチタ・リヴェラによる『Loopin' the Loop 』であった。しかし「このシーンは陳腐に見えるため、フォッシーは美しいドレスでより魅力的なシーンになるように頼んだ」。このシーンはカットされ、『Nowadays 』に置き換えられた。『Loopin' the Loop 』の一部はカット後も序曲内で聞くことができる[8]。この曲の他の部分は『Keep It Hot 』、『RSVP 』で使用されたがこれらもフィナーレでは使われていない。

他の登場人物では、デイヴィッド・ラウンズにより演じられた劇場エージェントのハリー・グラスマンは著名な囚人から搾取して利益を得る役柄であった。彼はまた劇中ショーのMCも務めていた。この役と曲『Ten Percent 』はカットされ[9]、役はマトロン・ママ・モートンに置き換えられ、コーラス・メンバーがMCも兼ねることになった[10]

フォッシーは『Class 』の歌詞が攻撃的過ぎるとして、ケンダーとエブのオリジナルの歌詞をチェックした。オリジナルの「男は全て鬱陶しい/女は全て頭が弱い」という歌詞は2002年の映画で復活される予定だったが、公開時には曲ごとカットされた。

プロダクション

1975年、オリジナル・ブロードウエイ・プロダクション

1975年6月3日、ミュージカル・ヴォードヴィル『シカゴ』が46番通り劇場(現リチャード・ロジャーズ劇場)で開幕し、936公演上演後、1977年8月27日に閉幕した[11]。開幕時の公演はヴェルマ・ケリー役にチタ・リヴェラ、ロキシー・ハート役にグウェン・ヴァードン、ビリー・フリン役にジェリー・オーバック、エイモス・ハート役にバーニー・マーティンが配役された。ヴェルマ・ケリーは当初比較的マイナーなキャラクターであったが、ロキシー・ハート役のグウェン・ヴァードンに対するチタ・リヴェラの演技でバランスよく厚みが加えられた。

作品は賛否両論であった。ブレヒト流の演出は時々第四の壁を取り去り、観客を困惑させた。ジェイムス・リーヴによると、「『シカゴ』は皮肉と破壊を兼ね備え、アメリカ文化の伝承を用いてアメリカのセレブリティ文化に一石を投じた」[12]

同年、マイケル・ベネット演出および振付による『コーラスライン』が開幕して高い評価を受け、『シカゴ』は興行収入でもトニー賞レースでも敗北した[13]。閉幕が近づいた頃、グウェン・ヴァードンはフィナーレの最中に誤って羽根を吸い込んでしまい、咽喉の手術を受けた[14]。スタッフ陣は上演中止を検討したが、ライザ・ミネリ[15]が代役を買って出て続行された。ミネリの代役は1ヶ月続いて作品の人気は大いに上がり、ヴァードンが回復すると復帰した。公演期間終盤、アン・ランキンもヴァードンの代役で出演し[15]、1996年の再演にも出演して高い評価を受けただけでなく[16]フォッシーのスタイルでの振付を行なうこととなった。

1979年、ウエスト・エンド・プロダクション

1979年4月、ロンドンケンブリッジ・シアターで最初のウエスト・エンド公演が開幕し、約600公演上演された[17]。ヴェルマ・ケリー役にジェニー・ローガン、ビリー役にベン・クロス、ロキシー・ハート役にアントニア・エリスが配役された[18]ローレンス・オリヴィエ賞において、ミュージカル作品賞、およびミュージカル女優賞にエリスが、ミュージカル男優賞にクロスがノミネートされた[19]

1996年、ブロードウエイ再演

1996年5月、ニューヨーク・シティ・センターで行なわれた『アンコール!』シリーズにおいてコンサート形式で上演された。このシリーズは忘れてはならない古いミュージカルに再び注目を集めるために行なわれている。このプロダクションはウォルター・ボビー演出、ボブ・フォッシーの愛弟子アン・ラインキング振付で、ラインキングはロキシー・ハート役も演じた。数年前のオリジナル公演でヴァードンの代役でロキシー役を演じた彼女は再演時46歳でロキシー役を演じた。他にヴェルマ・ケリー役にビビ・ニューワース、エイモス・ハート役にジョエル・グレイ、ビリー・フリン役にジェイムス・ノートンが配役された。脚本はオリジナルのままで、振付はいくつかは当時のものを再現した。公演は賞賛を受け、『ニューヨーク・デイリーニューズ』のハワード・キセルは「オリジナルより印象的だった」[20]と記し、『ニューヨーク・タイムズ』のベン・ブラントリーは「フォッシーの名言に「観客との愛」がある。ランキン氏と出演者たちはまさにこれを表現していた。『シカゴ』は皮肉が過ぎ、作品の寒さを感じて特に第2幕には弱さがあったが、出演者がこれらを吹き飛ばしてくれた」と記した[21]。1996年5月10日までに、ブロードウエイ再演が検討され、『シカゴ』再演をブロードウエイで上演しようという動きが出てきた。ロッコ・ランデスマンはフラン&バリー・ワイスラーと共にこの夏マーティン・ベック劇場で上演したいと語っていた[22]

ニューヨークの アンバサダー劇場で上演された『シカゴ』(2010年)

バリーとフラン・ワイスラーはすぐに改訂や展開を施した後、ミュージカル・ヴォードヴィル『シカゴ』からミュージカル『シカゴ』と名を変え、ブロードウエイでコンサート形式の『シカゴ』を上演したが、衣装や装置も簡素なものでより良い次の公演を期待させるものであった。陪審員席を思わせる一画が舞台中央にあり、バンドがその中に位置し、その周りや中で役者が演じる。またこの一画の横には椅子が配置され、出番でない時には役者が座る。1996年11月14日、リチャード・ロジャース劇場でデイヴィッド・トンプソンによる新たな脚本で開幕し、ミュージカル史上最速で初期費用を回収したが、舞台装置の簡素化も要因とされる。

初演のミュージカル・ヴォードヴィル『シカゴ』と違い、ミュージカル『シカゴ』は観客および批評家からの評価は高かった。O・J・シンプソン事件などで時代が変わり、セレブリティ犯罪者を題材とした公演を観客が容認するようになってきていた[23]

翌年の1997年度にはトニー賞、8部門ノミネート、再演ミュージカル作品賞、ビビ・ニューワースにミュージカル主演女優賞、ジェイムス・ノートンにミュージカル主演男優賞、ケン・ビリントンにミュージカル照明デザイン賞、ウォルター・ボビーにミュージカル演出賞、アン・ランキンに振付賞の6部門受賞に輝き、2008年に『南太平洋』が7部門受賞するまでブロードウエイ再演史上最多であった。エイモス役で助演男優賞にノミネートされたジョエル・グレイも有力視されていたが、選考委員会はエイモス役は助演ではなく主演ではないかという問題が発生し、選考から外れてしまった。

2014年10月5日現在7,429公演上演しており[24]、ブロードウエイ再演史上最長のロングラン公演記録を保持している[25]。新記録樹立の際、アン・ランキン、ビビ・ニューワース、ジェイムス・ノートン、ジョエル・グレイがカメオ出演した[26]。2014年11月23日、『キャッツ』に続き2番目にブロードウエイ史上最長公演作品となる予定である。これまで、1975年オリジナル公演当時46番通り劇場と呼ばれていたリチャード・ロジャース劇場、シュバート劇場、アンバサダー劇場と上演地を変えてきた。1997年1月28日、再演出演者によるキャスト・レコーディングが出版され、1998年のグラミー賞でミュージカル・シアター・アルバム賞を受賞した。

この長い上演期間の間に多くの著名人物が出演してきた。その一部を以下に示す。アッシャー, クリストファー・シーバー, シャーロット・ダンボイズ, マイケル・C・ホール, ロズ・ライアン, ジェリー・スプリンガー, ブルック・シールズ, デブラ・モンク, パトリック・スウェイジ, ビリー・レイ・サイラス, ケヴィン・リチャードソン, メロラ・ハーディン, グレッチェン・モル, リタ・ウィルソン, アラン・シック, メラニー・グリフィス, テイ・ディグス, キャロル・ウッズ, チャンドラ・ウィルソン, ジョン・オハリー, クリスティン・ペディ, アシュリー・シンプソン, アダム・パスカル, エイミー・スパンガー, レイ・ジマーマン, ウエンディ・ウイリアムズ[27]、サマンサ・ハリス, マリル・ヘナー, ジェフ・マッカーシー, フィリップ・カスノフ, ルシー・ヘンシャル, クリスティ・ブリンクリー[28]、トニー・ヤズベック, カラ・ジョガーディ、ソフィア・ベルガラ

1997年、ウエスト・エンド再演

1997年11月18日、ロンドンのウエスト・エンドで再演が開幕した[29][30]。ブロードウエイ再演同様、ウォルター・ボビーによる演出、ジョン・リー・ビーティによるデザイン、ボブ・フォッシーのスタイルでアン・ランキンによる振付で行なわれた[31]。アデルフィ劇場で9年間上演され、2006年4月にケンブリッジ・シアターに移動した[32]。オリジナル・キャストにはヴェルマ役にドイツ人ジャズ歌手ウテ・レンパー、ロキシー役にイギリス人女優ルシー・ヘンシャル、エイモス役にナイジェル・プラナー、ビリー役にヘンリー・グッドマンが配役された。1998年、オリヴィエ賞のミュージカル作品賞、レンパーがミュージカル女優賞を受賞した。レンパーとヘンシャルは双方ともブロードウエイでヴェルマ役を演じたことがある。

ウエスト・エンド再演ではブロードウエイ同様、多くの著名人が出演した。その一部を以下に示す。ビリー役にマーティ・ピロウ, デビッド・ハッセルホフ, ジョン・バロウマン, トニー・ヘイドリー、ジェリー・スプリンガー、ケヴィン・リチャードソン、アイアン・ケルシー。ロキシー役にマリア・フリードマン、ジョセフィーナ・ガブリエル、デニス・ヴァン・オウテン、クレア・スウィーニー、リンジー・ヘイトリー、フランセス・ラフル、ジェニファー・エリソン, ジル・ハーフペニー, ブルック・シールズ, サリー・アン・トリプレット、ボニー・ラングフォード、ティナ・アリーナ, アシュリー・シンプソン, アオイフ・マルホランド, ミシェル・ウィリアムズクリスティ・ブリンクリー。ウィリアムズはウエスト・エンド公演で初のアフリカ系アメリカ人ロキシーを演じた。ジェイムズ・ドアティがエイモス役に置き換えられた[33]

2011年8月27日、ケンブリッジ・シアターでの上演を終え[34]、2011年11月7日、ガリック劇場でロキシー役にアメリカ・フェレーラが配役されて再度開幕した[31]。2012年6月17日、ビリー・フリン役にロビン・カズンズが配役された。2012年9月1日、約15年の公演を終え閉幕した[35]。閉幕後、続けてイギリス・ツアー公演が行われた[36]

北米ツアー

これまでのべ10回の北アメリカツアー公演が行われている[37]。ブロードウエイ再演が開幕した6ヶ月後の1997年4月、オハイオ州シンシナティを皮切りに最初のツアー公演が行われた。ロキシー役にシャーロット・ダンボイズ、ヴェルマ役にジャスミン・ガイ、ビリー役にオバ・ババタンド、ママ・モートン役にキャロル・ウッズが配役された。1997年12月、フロリダ州タンパを皮切りに2回目のツアー公演が行われた[38]。1999年秋に中断し、10月にコロラド州デンバーで再開した。ビリー役にロバート・ユーリック、ヴェルマ役にヴィッキ・ルイス、ロキシー役にナナ・ヴィジターが配役された[39][40]。2000年10月、コネチカット州スタンフォードを皮切りに次のツアー公演が行われた。ビリー役にロバート・ユーリックが配役され、チタ・リヴェラが数週間参加した[41]

2003年6月、ワシントンD.C.のナショナル・シアターにて2003年度のツアー公演が開幕した。ヴェルマ役にブレンダ・バクストン、ロキシー役にビアンカ・マロキン、ビリー役にグレゴリー・ハリソンが配役された[42][43]。2004年のツアーではアラン・シックとトム・ウォパットがビリー役に、キャロル・ウッズがママ・モートン役に配役された[44]。2008年11月、ノースカロライナ州シャーロットでツアー公演が開始し、ビリー役にトム・ウォパット、ロキシー役にビアンカ・マロキン、ヴェルマ役にテラ・C・マクリード、ママ・モートン役にロズ・ライアン(後にキャロル・ウッズに交代)が配役された[37][45]。2012年1月16日、ペルー人俳優マルコ・ズニーノがビリー役に配役された[46][47]

海外プロダクション

ブラジルにて公式プロダクションの公演が上演されている。プロモーション用写真はヴェルマ役がブロンドでロキシー役が黒髪である。映画ファンにとっては困惑するが、観客には好評である[要出典]

2012年6月16日、ペルーリマにあるTeatro Municipal にてTati Alcántara , Denisse Dibós , Marco Zunino 主演でスペイン語による公演が上演された[48]

2013年、チリにあるTeatro Municipal of Las Condes にてオーストラリア人ダンサーのKaren Connolly 演出および振付によるスペイン語版が上演された。ヴェルマ役にDaniela Lhorente、ロキシー役にSigrid Alegría、ビリー役にÁlvaro Espinoza、エイモス役にGonzalo Muñoz-Lerner、ママ・モートン役にAlejandra León、メアリー・サンシャイン役にAndrés Sáez が配役された。

2014年、中国にてウエスト・エンド再演出演者を含む公式ツアーが計画された。出演者は帰国を余儀なくされ、彼らはツアー・プロデューサーによる契約不履行でツアー・マネージメントを訴えた。訴訟によると公演で照明、音響、小道具が設置されなかった[49]

日本公演

1999年にツアー公演が初来日して以降、2002年・2003年・2005年・2007年に来日公演が行なわれている。この項では日本人キャストの公演について述べる。

1983年(初演)
1985年 - 1986年
2008年・2010年
2014年
2016年
  • 2014年に公演された宝塚OGバージョンの再演で、ディヴィッド・H・コーク劇場での公演でも公演。リンカーン・センター側が批評を聞きつけて劇場提供となり、ブロードウェイ公演が実現した[54]
  • ニューヨーク公演では、本編に引き続き、約20分のレビューショー「タカラヅカ・アンコール」が上演された[55]
  • 日本では、東京国際フォーラム、梅田芸術劇場、神奈川芸術劇場でも公演[56]

主なキャスト

オリジナル公演

役名 1975年
ブロードウエイ公演
1979年
ウエスト・エンド公演[57]
1996年
ブロードウエイ再演
1997年
ウエスト・エンド再演
ロキシー・ハート英語版 グウェン・ヴァードン アントニア・エリス アン・ランキン ルシー・ハンシェル
ヴェルマ・ケリー英語版 チタ・リヴェラ ジェニー・ローガン ビビ・ニューワース ウテ・レンパー
ビリー・フリン英語版 ジェリー・オーバック ベン・クロス ジェイムス・ノートン ヘンリー・グッドマン
エイモス・ハート バーニー・マーティン ドン・フェロウズ ジョエル・グレイ ナイジェル・プラナー
看守ママ・モートン メアリー・マッカーティ ホープ・ジャックマン マーシャ・ルイス メグ・ジョンソン
メアリー・サンシャイン M・オホーヒー G・リオンズ D・サベラ・ミルズ C・シャーヴェル

ブロードウエイおよびウエスト・エンドでの他の著名な出演者

日本版キャスト

役名 1983年 1985年 - 1986年 2008年 2010年 2014年 2016年
ロキシー・ハート 草笛光子 鳳蘭 米倉涼子 朝海ひかる
貴城けい
大和悠河
朝海ひかる
大和悠河
ヴェルマ・ケリー 上月晃 麻実れい 和央ようか アムラ=フェイ・ライト 和央ようか
湖月わたる
水夏希
ビリー・フリン 植木等 若林豪 河村隆一 峰さを理
麻路さき
姿月あさと
エイモス・ハート 小野ヤスシ 小鹿番 金澤博 磯野千尋
看守ママ・モートン 諏訪マリー 淀かほる (1985)

加茂さくら (1986)

田中利花 初風諄
ちあきしん
初風諄
杜けあき

キャスト・レコーディング

世界数カ国で『シカゴ』のキャスト・レコーディングが出版されている。

  • 1975年、オリジナル・ブロードウェイ・キャスト版[80]
  • 1996年、ブロードウエイ再演版[81]
  • 1998年、ウエスト・エンド再演版[82]
  • 1997年、オーストリア公演(ドイツ語)ライヴ・キャスト・アルバム(with Anna Montanaro )
  • 1999年、オランダ公演ライヴ・キャスト・アルバム2枚組(with Pia Douwes )

1999年オランダ公演アルバムは唯一フィナーレおよび、第1幕の『I Can't Do It Alone 』の最初の演奏とリプライズが収録されている。

受賞歴

1975年、オリジナル・ブロードウエイ・プロダクション

部門 ノミネート者 結果
1976 トニー賞 ミュージカル作品賞 ノミネート
ミュージカル脚本賞 ボブ・フォッシー、フレッド・エブ ノミネート
オリジナル楽曲賞 フレッド・エブ、ジョン・ケンダー ノミネート
ミュージカル主演男優賞 ジェリー・オーバック ノミネート
ミュージカル主演女優賞 チタ・リヴェラ ノミネート
グウェン・ヴァードン ノミネート
ミュージカル演出賞 ボブ・フォッシー ノミネート
振付賞 ノミネート
装置デザイン賞 トニー・ウォルトン ノミネート
衣装デザイン賞 パトリシア・ジプロット ノミネート
照明デザイン賞 ジュルス・フィッシャー ノミネート
ドラマ・デスク賞 ミュージカル男優賞 ジェリー・オーバック ノミネート
照明デザイン賞 ジュルス・フィッシャー 受賞

1979年、オリジナル・ウエスト・エンド・プロダクション

部門 ノミネート者 結果
1979 ローレンス・オリヴィエ賞 新作ミュージカル賞 ノミネート
ミュージカル俳優賞 ベン・クロス ノミネート
ミュージカル女優賞 アントニア・エリス ノミネート

1996年、ブロードウエイ再演

部門 ノミネート者 結果
1997 ドラマ・デスク賞 再演ミュージカル賞 受賞
ミュージカル男優賞 ジェイムス・ノートン ノミネート
ミュージカル女優賞 ビビ・ニューワース 受賞
ミュージカル助演男優賞 ジョエル・グレイ 受賞
ミュージカル助演女優賞 マーシャ・ルイス ノミネート
振付賞 アン・ランキン 受賞
ミュージカル演出賞 ウォルター・ボビー 受賞
照明デザイン賞 ケン・ビリントン 受賞
トニー賞 再演ミュージカル作品賞 受賞
ミュージカル主演男優賞 ジェイムス・ノートン 受賞
ミュージカル主演女優賞 ビビ・ニューワース 受賞
ミュージカル助演女優賞 マーシャ・ルイス ノミネート
ミュージカル演出賞 ウォルター・ボビー 受賞
振付賞 アン・ランキン 受賞
衣装デザイン賞 ウィリアム・アイヴィ・ロング ノミネート
照明デザイン賞 ケン・ビリントン 受賞

1997年、ウエスト・エンド再演

部門 ノミネート者 結果
1997 ローレンス・オリヴィエ賞 ミュージカル・プロダクション賞 受賞
ミュージカル男優賞 ヘンリー・グッドマン ノミネート
ミュージカル女優賞 ウテ・ランパー 受賞
ルシー・ハンシェル ノミネート
演出賞 ウォルター・ボビー ノミネート
振付賞 アン・ランキン ノミネート
衣装デザイン賞 ウィリアム・アイヴィ・ロング ノミネート

関連項目

脚注

  1. ^ Chicago”. 2009年1月6日閲覧。
  2. ^ Gans, Andrew. "Chicago Revival Becomes Third Longest Running Show in Broadway History Dec. 20", playbill.com December 20, 2012
  3. ^ Perry, Douglas (2010). The Girls of Murder City: fame, lust, and the beautiful killers that inspired Chicago. New York: Penguin Group /Viking Press. pp. 1–7, 16–18, 57–58. ISBN 978-0-670-02197-0 
  4. ^ a b c Grubb, Kevin Boyd (1989). Razzle Dazzle: The Life and Work of Bob Fosse. New York: St. Martin's Press. pp. 193–203. ISBN 0-312-03414-8 
  5. ^ McConnell, Virginia A. Fatal Fortune: the Death of Chicago's Millionaire Orphan, p. 62 Fatal Fortune: the Death of Chicago's Millionaire Orphan (books.google), Greenwood Publishing Group, 2005, ISBN 0-275-98473-7. p. 62
  6. ^ Plot Summary based on that of Bill Rosenfield, copyright 1997 BMG Music
  7. ^ a b Kander, John; Ebb, Fred; and Lawrence, Greg. Colored Lights: Forty Years of Words and Music, Show Biz, Collaboration, and All That Jazz; "Chapter: 'Chicago On Broadway" Colored Lights: Forty Years of Words and Music, Show Biz, Collaboration, and All That Jazz, Macmillan, 2004, ISBN 0-571-21169-0, pp. 128-129
  8. ^ a b Leve, James. Kander and Ebb, "Chapter: Chicago-Broadway To Hollywood" Kander and Ebb, Yale University Press, 2009, ISBN 0-300-11487-7, p. 86
  9. ^ Bloom, Ken; Vlastnik, Frank; and Orbach, Jerry. Broadway Musicals: The 101 Greatest Shows of All Time Broadway Musicals: The 101 Greatest Shows of All Time, Black Dog Publishing, 2008, ISBN 1-57912-313-9, p. 66
  10. ^ Mordden, Ethan. One More Kiss: The Broadway Musical in the 1970s One More Kiss: The Broadway Musical in the 1970s, Palgrave Macmillan, 2004, ISBN 1-4039-6539-0, p. 129
  11. ^ Chicago original 1975 run at IBDB
  12. ^ Leve, James. Kander and Ebb Kander and Ebb, Yale University Press, 2009, ISBN 0-300-11487-7, p. 6
  13. ^ Chicago - a musical by John Kander, Fred Ebb and Bob Fosse”. 2007年6月25日閲覧。
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  15. ^ a b Chicago 1975 original production, cast replacements at IBDB
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  19. ^ "Oliviers:Olivier Winners 1979" officiallondontheatre.co.uk. Retrieved January 1, 2011
  20. ^ Kissel, Howrad. "Putting The Chic In 'Chicago': Revival Better Than Original" Daily News, May 4, 1996
  21. ^ Brantley, Ben. "Theater Review: Musical's Brief Revival Mixes Joy and Contempt" New York Times, May 4, 1996
  22. ^ Marks, Peter. "On Stage, and Off" The New York Times, May 10, 1996
  23. ^ Online NewsHour: Chicago, the Musical--May 30, 1997”. 2007年6月25日閲覧。
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  33. ^ West End theatre program, published November 2003
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  81. ^ "'Chicago' 1996 Broadway Revival Cast" amazon.com, accessed October 2, 2011
  82. ^ "'Chicago' 1998 London Cast" amazon.com, accessed October 2, 2011

外部リンク


Chicago

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:41 UTC 版)

KORG Gadget」の記事における「Chicago」の解説

見た目サウンド共にTB-303似た特徴を持つモノシンセガジェット。ガジェット名は、アメリカ第3都市であるシカゴから。

※この「Chicago」の解説は、「KORG Gadget」の解説の一部です。
「Chicago」を含む「KORG Gadget」の記事については、「KORG Gadget」の概要を参照ください。

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