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安岡正臣とは? わかりやすく解説

安岡正臣

(Masaomi Yasuoka から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/30 21:13 UTC 版)

安岡 正臣(やすおか まさおみ、1886年明治19年)7月21日[1][2] - 1948年昭和23年)4月12日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

鹿児島県[1][2][3]、後の川内市[4](現・薩摩川内市御陵下町[5])で、安岡正陸軍大尉の息子として生れる[1]川内中学校熊本陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業[1][2][6]。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第43連隊付となる[1][6]陸軍戸山学校で学び、1914年(大正3年)11月、陸軍大学校(第26期)を卒業した[1][2][3]

陸軍省軍務局課員、歩兵第51連隊大隊長、第9師団参謀歩兵第29連隊付、第16師団参謀、歩兵第49連隊長、第5師団参謀長などを歴任し、1935年(昭和10年)3月、陸軍少将に進級[1][3]

歩兵第30旅団長、陸軍戦車学校長を経て、1938年(昭和13年)3月、陸軍中将となった[1][2][3]独立混成第1旅団長を経て第1戦車団長に就任[1][3]ノモンハン事件に出動、ソ連軍と交戦し多大な損害を被った[2]留守第3師団長を経て、1941年(昭和16年)3月に待命となり、同月、予備役に編入された[1][2][3]。1942年(昭和17年)7月、陸軍司政長官(スラバヤ州知事)に就任し終戦を迎えた[1]。1945年(昭和20年)12月、戦犯容疑で逮捕され、1948年4月に蘭印で刑死した[1]

栄典

外国勲章佩用允許

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本陸海軍総合事典』第2版、161頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』739-740頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』228頁。
  4. ^ 浜島速夫『三代軍人列伝 - 薩摩の武人たち』南日本新聞社、1975年、225頁。
  5. ^ 川内郷土史編さん委員会 1980, p. 1021.
  6. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』225、228頁。
  7. ^ 『官報』第4632号 付録「辞令二」1942年6月20日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 川内郷土史編さん委員会『川内市史 下巻』川内市、1980年。 




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