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セルゲイ・シャンバとは? わかりやすく解説

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セルゲイ・シャンバ

(Sergei Shamba から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/05 06:57 UTC 版)

セルゲイ・ミロノヴィッチ・シャンバСергей Миронович Шамба1951年3月15日 - )は、現在一部の国家から承認されているアブハジア共和国の政治家首相。前外務相。退役大佐。

経歴

アブハズ自治ソビエト社会主義共和国グダウタ市出身。スフミの第10学校で学び、1973年、トビリシ教育大学歴史学部を卒業。1975年まで、スフミ市の「知識」協会の講師を務めた。1975年から1976年まで、ソ連軍に勤務。

1976年からアブハジア言語・文学・歴史大学で働いた。1983年、「古代及び中世アブハジアにおける貨幣の流通」のテーマで歴史科学準博士号を取得。

1990年、社会・政治運動「アイドグィララ」議長となる。[1]1991年から1996年、アブハジア議会代議員となり、科学・文化・教育委員長を務めた。1992年から1993年のグルジアアブハジア紛争時、国防第一次官に就任。1993年10月、大佐の階級で予備役編入。1996年3月、アブハジア文化財団総裁に任命。

1997年5月、外務相。1998年、エレバン考古学大学で、「考古学と古銭学のデータによる古代及び中世アブハジアの政治、社会・経済及び文化の状態」のテーマで歴史科学博士号を取得した。2004年6月、外務相を退任。

2004年8月から9月、「統一アブハジア」の推薦により、大統領選に立候補。選挙直前、アブハジア社会民主党を創設した。選挙では、9.92%を得票し、第3位を占めた。[2]

2004年12月、セルゲイ・バガプシュ大統領は、シャンバを外務相に任命した。2006年5月、紛争解決のため、グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリと会談した。

2008年8月の南オセチア紛争後、アブハジアは、ロシア連邦により独立を承認された。同年10月、シャンバは、ジュネーヴ和平交渉のアブハジア代表団を率いた。

2010年2月13日、副大統領となったアレクサンドル・アンクヴァブに代わり、首相に就任[3]。2011年9月27日、首相を辞任[4]

パーソナル

妻帯、1男1女を有する。

歴史科学博士。4冊の本の著者。アブハズ語、ロシア語、英語、フランス語を話す。アブハジア格闘技協会会長。

出典・脚注





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