Moneta
モネータ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 03:25 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動モネータ(ラテン語: Moneta)は、ローマにおけるユーノーの添え名[1]。
モネータは「忠告する」という意味の「ラテン語: monere」が語源である[1]。
逸話
ユーノー・モネータ神殿は、元々ローマの強敵であったウェイイにあり、紀元前396年、英雄マルクス・フリウス・カミッルスがウェイイを陥落させた際、他の財産と共にローマへと移転させた。移転作業の際、最初は皆その神聖な神体に手を触れることを恐れたが、ある一人の若者が冗談まじりに「ユーノー様、ローマへ行きたいのではありませんか?」と語りかけ、それを聞いた他の者たちは「肯定された」「行きたいと言われた」と口々に言い合い、運び出されたという。神像は独裁官カミッルスがユーノー神の座所と定めたアウェンティヌスの丘に置かれ、神殿が築かれた[2]。
紀元前390年にガリア人セノネス族がローマを包囲した際には、人々はカピトーリウムの丘に立て籠もっていた。ある夜、ガリア人がカピトリウムに夜襲をかけようと潜入してきた。歩哨も犬も気が付かなかったが、ただユーノー・モネータの神殿で飼われていた聖なるガチョウだけが敵の襲来を告げた。食料の不足する中、ローマ人はこのガチョウには手を出していなかった。このガチョウの声に、紀元前392年にユーノー神殿を完成させたマルクス・マンリウス・カピトリヌスが飛び起き、敵を撃退してローマを守り抜いたという[3]。この時の逸話が名称の起源となったとする説もある[1]。
紀元前345年、アウルンキ人との戦争の際、時の独裁官ルキウス・フリウス・カミッルスが、戦勝祈願としてユーノー神殿の建立を誓約し、カピトリウムにあったマンリウス・カピトリヌスの屋敷跡[注釈 1]に建設された[4]。ここには公文書が保管された[5]。
また、その神殿内に貨幣鋳造所が置かれたため、この名は「マネー(Money)」という英語の語源となった[1][6]。
注釈
- ^ 彼は後に処刑され財産も没収された
出典
参考文献
- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国以来の歴史 2』岩谷智訳、京都大学学術出版会、2016年。
- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国以来の歴史 3』毛利晶訳、京都大学学術出版会、2008年。
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