子供らも独立し家が広すぎるので引っ越し準備で荷物を整理中、約50年前 #国東半島 旅行の資料が自宅出土😀。今は杵築市になっている #大田村 には神仏習合の #六郷満山 文化のこん跡が溢れていました
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本文
国東半島(くにさきはんとう)
国東半島は、九州を巨人の姿に見立てると頭に見えるところ。
丸い半島のピークが両子山(ふたごさん、720メートル)で、瀬戸内海を出入りする航路の目印で、古代海人の霊山として崇敬されました。
ちなみに出雲口伝では、北九州の宗像大社のある宗像(むなかた)は、九州の巨人のちょうど胸と肩のあたりにあたることから「胸肩」が語源としています。
中心の両子山の山頂に至る複数の渓谷と平野部に六つの集落が生まれ、根付いた神仏習合の山岳宗教文化を 六郷満山(ろくごうまんざん) といいます。
出土した😀約50年前の資料
約50年前の学生時代、春休みに重いリュックを背負い、6泊7日で国東半島を歩いたのですが、
部屋の荷物を整理していて当時の資料が出てきました。
かつての大田村(現在は杵築市)
この時、中心に歩いたのが大田村。今は大分県杵築市になっています。
とにかく路傍の石仏や石造物が多く、当時趣味だった一眼レフで白黒写真を取りまくっていました。
男女の道祖神もありますね。
当初は両子山に登って、北の海の方に出て、宇佐から大阪に帰るコースを計画していたのですが、
大田村の教育委員会に立ち寄って、すごく親切にしてもらい、村の雰囲気が気に入ってしまって長逗留(テント泊)したんですね。
思い出深いのは宝陀寺(ほうだじ、上沓掛、臨済宗)。
教育委員会の方を通して、境内でテント泊させてもらったのですが、当時のご住職に勧められて、二泊目はお寺で寝泊まりさせてもらいました。
禅宗のお寺の山門脇に「禁葷酒、きんくんしゅ」の碑が立っているのは「この山門から内は酒と香りの強い野菜は禁ずる」という意味であることを、晩酌で般若湯*1をたしなむご住職に教えていただいた😀
お寺には見上げるような大きな千手観音像*2が安置されてたのを覚えています。
写真をグーグルで探しても見つけられずにいたのですが、今回出てきた大田村の資料には「33年に一度しか開帳されない秘仏」と紹介されていました。
その秘仏を、なぜかご住職に特別に拝見させていただいていたようです。
国東半島の古代史の謎
去年の夏に、阿武山古墳(大阪府茨木市、高槻市)の藤原鎌足公の話から、中臣氏(藤原氏)を調べ、
(出雲王国の祭祀集団であった)中臣氏は宇佐や北九州との関係が濃厚 であることを理解し始めているのですが、
六郷満山信仰は宇佐神宮との関係も濃厚であることから、中臣氏の線から国東半島の古代史の謎に迫ることができるかも知れません。
追いかけている オオタ 地名にもヒントがあるかも知れません。
「オオタ」地名には二山(ふたやま)の大鳥の山容が頻繁に登場します。
途中で歴史に関心が薄れた時期も長かったですが、結局、50年前と当ブログでやっていることが同じだと思うと、ちょっと笑えてきます。