「オフィスを2024年前半に閉鎖する」と23年末に発表したIDEO Tokyo。11年の設立当初から在籍して代表も務めた野々村健一氏と、13年入社の石川俊祐氏が、当時を振り返りながらIDEOの代名詞ともいえるデザイン思考の今後について語った。
ビジネスデザイナー/元IDEO Tokyo代表
KESIKI代表取締役 CDO/WYLC共同代表
――IDEO Tokyoに参画した経緯は?
野々村健一氏(以下、野々村) 米国ボストンにあるハーバード・ビジネス・スクールに留学していた2011年にサンフランシスコとパロアルトにあるIDEOの拠点にインターンシップに行き、12年に入社しました。当初はサンフランシスコ拠点での採用でしたが、新たにローンチする東京拠点に切り替えてもらいました。入社時のIDEO Tokyoのメンバーは3人でした。
石川俊祐氏(以下、石川) その1年後の13年にIDEO Tokyoに入りました。それ以前は、英国ロンドンのデザインファームで働いていました。正直帰国は考えていませんでしたが、もし帰国するならいろんな国籍のメンバーがいて、本質的な問いを探求できる環境で働きたいと考えていたこともあって、IDEOが日本に拠点を開くならと東京に戻ってきました。
当初はメンバーが少なく、どのプロジェクトも全員で取り組んでいましたね。当時日本ではIDEOの認知はさほどなく、新たな市場を切り開こうと、みんなで切磋琢磨(せっさたくま)していました。
野々村 IDEO入社の理由は、多様なバックグラウンドのメンバーと一緒にプロジェクトを推進した、インターン時の経験が新鮮かつ魅力的だったから。チームに建築家もプロダクトデザイナーもグラフィックデザイナーもビジネスデザイナーもいて、互いのフィールドに興味を持ち合いながらコラボレーションしていきます。
僕も俊さん(編集部注:石川氏)も日本のメーカーで働いた経験があって、日本企業や日本の働き方を変えたいという意識もありました。インターン時に経験した働き方を日本に導入すれば、日本企業を変えられると考えていました。
英国で学んだデザイン思考
石川 英国の学校で学んだデザインは、簡単にいえばデザイン思考そのもので、デザイナー自らが違和感を捉えて、デザインリサーチやオブザベーション(観察)をして、実験しながら形にするというものです。
しかし、日本企業でインハウスデザイナーとして働いてみると、デザインの仕事は営業や企画のオーダーをどのように形に落とし込むか。日本では、ユーザーの気付きを拾うようなことがデザイナーに期待されていないと分かって、「それってデザインなんだろうか?」と疑問を抱いていました。
日本企業ではデザインとビジネスのコラボレーションがうまくいっていないという課題意識があり、それもIDEOに入ろうと思ったきっかけです。
――IDEO Tokyo入社後の感想は?
石川 入社前に想像していた通り、プロジェクトのたびにチームメンバー一人ひとりが探求的に働くことができました。自らが学びながらプロジェクトを進めるという実践的なやり方は、自分の性格に合っていましたね。メンバー全員がプロジェクトごとに新しいやり方を試し、プロジェクトを通じて新しいことを身に付けようという意欲が強くて楽しかったです。
ただし、IDEO=デザイン思考というイメージがあると思いますが、そのプロセスがメニューのように決まりきっていて、共有されるわけではありません。
野々村 最初はデザイン思考のやり方が共有されることもなければ、研修みたいなものもないですよね。荒波の中に突然放り込まれて、常にチャレンジし続けるというスタイルです。IDEOのプロジェクトの進め方を本などにまとめたりすると体系化された手法があるように見えますが、必ずしもそうではありません。むしろ、社内では常に新しいアプローチをリデザインしようとしている人ばかりでした。
一方で、他社と比べてもフィードバックはしっかりしていましたね。仕事についてだけでなく、人との接し方や人格的なところまで踏み込まれたりするので、常にマインドチェンジを続けられる環境でした。IDEOでの様々なプロジェクトを通じて何かを実現したいと考える、自分のような人間にとってはいい環境だったと思います。
石川 メンバーもクライアントも、「これだ」と感じる瞬間になるまで、とことん探求していましたよね。
野々村 先日、当時のクライアントだった人と話していたら、「とても真摯に課題に向き合っていたよね」と言っていました。メンバーがそのときにできるベストを尽くし、3カ月のプロジェクトの契約期間内に本気でクライアントの課題を解決をしようとしていましたよね。IDEOのやり方はクライアント巻き込み型で、クライアントに求めることも多く、本当に二人三脚で進めていく。それは今思っても特殊なやり方だったなと再認識しています。
石川 プロジェクトを通じて、クライアントの企業の人たちが自らもワクワクするような働き方、プロジェクトの進め方に徐々に変わっていく。IDEOで学んだ一番大きなことは、このカルチャーのデザインを通して組織を変えていけること。これはKESIKIでもさらに発展させて実践しています。
ビジネス面はずっと好調だった
――IDEO Tokyo閉鎖の理由は日本のマーケットと提供価値が合わなかったから?
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