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俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

緑茶が出てくるありがたさ

夏に帰省した時のこと

母が食後に出してくれる緑茶をしみじみと飲みながら考えた。

食後に緑茶が出てくるというのは、なんとありがたいことか、と。

お茶と急須のイラスト | フリー素材 イラストミント

実家を出てから早33年。

なんとなく「食後はコーヒーか麦茶」が習慣となっていたが、久しぶりに実家に帰って熱い緑茶を飲むとつくづく「自分は日本人だ」と感じる。うまいのだ。熱々のお茶をズズズ~と吸い込み、口蓋と喉を熱で刺激しつつ胃袋に落とし込む瞬間が実に快感。

これが冷たい飲み物だとそうはいかない。定食屋で食後に飲む水も悪くはないが、どうもこれは歯と歯の間に挟まった食いカスを取り除く方が主目的の気がする。またペットボトルのお茶も良く飲むのだけど、500ミリリットルはさすがに多い。小さいほうのペットボトル(280ml)でもその場で飲み干すにはやや多い。

あの”湯飲み一杯分”というのは本当に絶妙な量だと思う。食後にちょうどいい量。腹をたっぷんたっぷんさせることもなく、食後の口の中の粘り気みたいなものをきれいに熱湯で洗い流してさっぱりさせてくれる量。激熱のお茶をがんばって飲み干せて、達成感を得られる最適の量。

2ページ目 | 湯のみイラスト|無料イラスト・フリー素材なら「イラストAC」

そしてあの”濁り加減”とか”濃さのばらつき”も実にいい。ペットボトルのお茶はどうもきれいすぎる。清涼すぎる。すっきりしすぎる。あれはほぼ”水”だ。

一方、急須で入れたお茶は実に多様な表情を見せる。僕の実家は高級な茶葉なんてものは使っていなし、量も適当。だから時に濃すぎるお茶も出てくるし、出がらしも出てくる。前に淹れたものに継ぎ足して出されることもあるし、抹茶みたいに粉々にくだけた茶葉が濁りに濁って出てくることもある。でもこれがいい。お茶ってのはこうでなければいけない。特に食後のお茶はこれくらい下品でいい。洗練されてなくて正解。「なんか今日のお茶、渋いな」なんで話題を提供できたら最高である。僕はお茶の味の差なんて1ミリもわからないんだけど、食後に母が淹れてくれたお茶が滅法好きなので、熱々のうちに口をつけ、休むことなくズズズと吸い続け、一気に飲み干してしまう。「もう飲んだの?早いわねぇ~」なんて母の言葉を聞きながら、オリンピック中継などを見ていたのだが、実はこれも今や日常ではないらしい。

父が元気だったころは毎食後と10時と3時に急須でお茶を淹れていたらしいのだが、ここ数年、父は体の調子が悪くなり、薬を飲むためにお茶ではなく白湯を飲むようになったらしい。そして母は自分だけのためにお茶を淹れるのが億劫になり、お茶を淹れる回数が減ったとのこと。そういえば僕が帰省中、母は何度も「お茶飲むかい?」と僕に確認を取っていた。僕は何も考えずに「飲む」と答えていたのだが、もしかしたら僕が「要らん」と答えたら自分も飲まずに済ませたのかもしれない。

とにかく実家で飲む食後の緑茶が本当に旨かったので、この習慣を続けたいなぁと思ったのだが、これはなかなか難しいかもしれない。妻と息子はそもそも熱い緑茶を飲まない。妻はコーヒー、息子は牛乳かココアだ。僕だけのために妻に食後に緑茶を出してもらうのは申し訳ない。じゃあ自分で淹れればいいじゃないかと思うかもしれないが、僕が一人のために急須と湯飲み、茶葉を揃えるのがまずもったいないし、急須に茶葉を淹れ、1杯だけ入れて飲み、茶葉を捨て、湯飲みと急須を洗う・・・この作業を毎回するのはタイパが悪い。母は家族のためにずっとそうしてきてくれたことに感謝はすれど、僕が自分一人のためにそれをするのは・・・なんか嫌だ。

やはりありがたいのは急須で淹れた熱々のお茶が食後に”出てくる”ことなのだ。これは食後に腹を押さえながら立ち上がって自分で淹れるのでは得られないありがたさなのだ。単に食後にお茶を飲みたいだけではない。僕は”お茶が出てきてほしい”のだ。

 

で、帰省を終えて近所のスーパーで緑茶のティーパックを買い、職場で飲んでいるのだが・・・これもちょっとちがうんだよなぁ~・・・旨いけど。

そんな思いを知らない妻は、「コーヒー淹れるけど、飲む?」と私に聞く。僕は「うん、飲む」と答える。旨いからいいけど。

なんだかなぁ~