ここ最近、テレビで「美文字」なるものを続けて聞いた。
ここ最近は毎週のように美文字検定なるものをやっている。
いろいろな芸能人に文字を書かせてそれを中塚 翠涛(なかつか すいとう)さんというキレイどころの書道家の先生に採点してもらうという企画だ。
採点基準があいまいだったり、大御所が崩した文字を書くとあまり厳しく採点しないというような不満もあるが、夜にやっているとなんだかんだいって見てしまう。
で、「へ~、あの人があんなに字が上手いなんて意外だな~」なんて、テレビサイドの思惑通りに感心したり、「うわ~。信じられない。あんな下手な字書くかねぇ?」なんて馬鹿にしたりしている。
もう一つは同じくテレビ朝日系列金曜9時からの『Oh!どや顔サミット』
こちらも今年に入って「芸能人の品格チェック」と題して箸の持ち方やら秋刀魚の食べ方をチェックしている。
そして同じようにご祝儀袋に「祝儀」の文字と自分の名前を書かせ、それを横浜国立大学の青山浩之先生に採点してもらい、ランキングをつけるというのをやっている。
同じテレビ局で同じような企画を並べるとは、よっぽどネタがないのか、それともこのネタに外れがないのかのどちらかだろうが、
確かに芸能人が字が下手だと、なんとなく優越感が持てるので視聴者としては嬉しい。
また字が上手い人を見るのは、これはこれでなかなか楽しいものだ。
特に青山先生の字は僕が見ても惚れ惚れしてしまう。
あれだけきれいに字が書けたらいいだろうな・・・
僕も一応はお習字などを習っていた。
正確には”習わされた”とでもいうのかな?
すごく重い足取りで習字教室に通っていたのを覚えている。
で、20分くらいかけて墨をすって、10分だけ書いて先生に無理やりOKをもらってすぐに家に帰ってきた。
でもそれすら嫌になって、最後は習字道具を持って家を出たあと河原で暇をつぶし、手に墨をつけて家に帰ってたな。
もちろんバレて怒られたけど、お習字を辞めることには成功した。
こんな僕だから字はずっと下手だった。
よく親に「ミミズが這ったような字」と怒られた。
でも「大人になれば字なんか自然にうまくなるだろう」というわけのわからない楽観をしていたな。
高校生の時、世界史の女の先生がいて、この人がまあ字が下手だった。
僕は当時「女の子はみな字が上手い」+「大人はみな字がうまい」=「大人の女の人はみな字が上手い」という偏見を持っていた。
だからその世界史の先生の板書とプリントの字の汚さには驚いたな。
その後、幸か不幸かパソコンの時代になった。
会社のレポートも資料もパソコンで作る時代になり、文字を書く機会は格段に減った。
手紙や年賀状も書かなくなり、今に至っている。
今、自分の字を披露するのは名前と住所を書く欄くらいだが、それで笑われることもないので
「字が上手くなりたい」と思う機会に恵まれなかった。
それにこれは大人になってわかったことだが、本人は字の成長が全くなく「相変わらず俺の字はひどいな」と思っているのに、大人というだけでなぜか若い連中からは「字がお上手ですね」と言われてしまうのだ。
これは別にバカにされているわけでもなく、年下から見るとなんらかの補正が働いて字が上手く見えるらしい。
これは意外な発見だった。
実に便利だが、字の上達にとっては邪魔であった。
さらに僕の一番の不幸は、友達が少なく結婚式に招待されたことが2回くらいしかなかったので「ご祝儀」なども書く機会がなかったことだ。
だから「字をもっと練習しておけばよかった」と思うことがほとんどないのだ。
そんな僕でも「1日30分でうまくなるボールペン文字練習帳」みたいな本を買ったりしたことはあった。
が、1ページも開くことはなかった。
そんな僕であるがテレビの「美文字」特集などを見ると、やはり「字はうまいほうがいい」「字がうまいとかっこいい」とは思う。
本当にそう思う。
が、例えば結婚式や葬式で名前を書くためだけに、毎日字の練習をするというのはなんとも効率が悪い。
手書きの年賀状を書いて、「どや!上手いやろ!」とアピールすることもできるが、それすら1年に1回だ。
字が上手かったからって給料が上がるわけでもないし、字の練習をするくらいなら資格の勉強でもしたほうがいいとも思う。
もうこうなったら、覚悟を決めるしかないのだ。
つまり、収入につながるとか、人に披露する機会がないとかは気にせず字の練習をするか
結婚式や葬式のたびに筆ペンの文字を笑われるか
ま、どう考えても選ぶのは後者なんだろうけど・・・
あ~あ、生まれ変わったら日ペンの美子ちゃんになりたいなぁ・・・