社説検証なんてジャンルは手垢がつき過ぎているのですが、今でも社説は新聞記事の中でも別格に高邁なものであるとの幻想があるようなので、ネタが無い時にはよろしいじゃないかと思っています。2/8付神戸新聞社説より、
救急搬送/「防ぎ得た死」をなくそう
課題は出尽くした。どこを、どう改めればいいかもわかっている。しかし、実践が伴わず、正解を示せないことがある。それが、いまの救急医療の姿ではないか。
急病人や負傷者が、医療機関が見つからないために、取り残され、手遅れとなる例が各地で後を絶たない。今年一月、伊丹市で起きたケースもそうだった。
深夜に自転車と単車が衝突し、単車の男性は西宮市内の兵庫医大病院に運ばれた。もう一人の比較的症状が軽いとみられた男性は、救急隊が病院を探している間に容体が悪化し、搬送先で亡くなった。
「医師不在」「満床」などを理由に、十四の病院から受け入れを断られていた。早く運ばれていたら結果は違ったと思われるだけに、やり切れない思いが募る。
このケースから、大きく二つの問題が浮かぶ。一つは阪神間の夜間の救急医療体制が、思いのほか脆弱(ぜいじゃく)だったことだ。
六市一町を合わせた人口は神戸市に匹敵するほどだが、命にかかわる患者を受け入れる三次救急病院は兵庫医大しかない。これまでは入院可能な二次救急指定の病院が補完してきたが、救急医の退職などで十分に役割が果たせなくなっている。
このことは、救急搬送の際に五回以上受け入れを断られる事例がここ数年、急増していることにも示されている。
阪神間に限ったことではないが、こうした状態が改善されないと、同じ悲劇がいつまた繰り返されるかわからない。
救急患者の中でも、交通事故などに多い多発外傷への対応は難しいとされる。命にかかわる傷はどれか、瞬時に判断し、的確に処置する必要があり、経験と高度な専門性が求められる。こうした人材が都市部でも不足しているのではないか。だとすれば、交通事故の多い地域だけに、政策的に人材の確保に努める必要があるだろう。
もう一つの問題は連携プレーだ。救急医療ではすべてにわたってそれが重要だが、阻んでいるものも多い。
今回、搬送が遅れた理由に、病院との交渉が救急隊任せになった連携のまずさがあった。同じ時間帯に消防への救急出動要請が重なったためだが、そんなとき消防指令は何を優先すべきか。普段から判断基準を明確にし、確認しておくことが大事だ。
防ぎ得た死(プリベンタブル・デス)をなくすことは救急医療の使命である。搬送遅れによる死をなくすことも、その一つに含まれるという意識を持ちたい。
とりあえず書き出しが強烈です。
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課題は出尽くした。どこを、どう改めればいいかもわかっている。
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このケースから、大きく二つの問題が浮かぶ
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一つは阪神間の夜間の救急医療体制が、思いのほか脆弱だったことだ。
まあ、そんな事はたいした事はないのですが、ではこの問題点をどう分析するかと言えば、
六市一町を合わせた人口は神戸市に匹敵するほどだが、命にかかわる患者を受け入れる三次救急病院は兵庫医大しかない。これまでは入院可能な二次救急指定の病院が補完してきたが、救急医の退職などで十分に役割が果たせなくなっている。
この分析は問題ありません。ただ興味深いのは1/18付神戸新聞社説との比較対照です。伊丹も含めた阪神地域の三次救急が兵庫医大しかなく、伊丹の事件でも二人の負傷者のうち1人しか兵庫医大が応需できなかったことが一つの問題になっています。兵庫医大救急部が1人しか応需できなかったのは十分理解しますが、1/18の社説で兵庫医大教授の言葉を引用し、
四年前の尼崎JR脱線事故で、兵庫医大は百十三人もの負傷者を受け入れた。
教授はそのとき、テレビが映し出す現場の状況から負傷者は数百人に上ると判断。どんな負傷者でも受け入れると決め、発生から約三十分で、緊急の診療態勢を確立した。脱線現場でのトリアージをあてにせず、大学内ですべての患者を振り分けた。
病院の能力の限界まで負傷者を受け入れる発想は、震災当時、十分な医療を提供できなかった悔しさからきている。「大切なのは他人を思いやる心」と言う。
トリアージは戦地の発想で、限られた医療資源を有効に使う考え方が基本にある。よほどのへき地ならともかく、医療資源が整う都市部で常に選別する必要があるだろうか。トリアージのためのトリアージになってはならないと、丸川教授は考える。
丸川教授の発言の真意はマスコミの編集権による切り貼りで不明としても、神戸新聞社説として強調しているのは、
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よほどのへき地ならともかく、医療資源が整う都市部で常に選別する必要があるだろうか
丸川教授を非難しているのではなく、神戸新聞社説が御都合主義で救急問題を論じているのが問題と考えています。それも「どう改めればいいかもわかっている」の高言つきです。本当に「どう改めればいいかもわかっている」かに疑問符が大きくつけられる主張のブレかと感じます。書いている論説委員が別だからの釈明もあると思いますが、日替わりで好き勝手に異なる主張を撒き散らすのは好ましいとは思えません。まあ、そういうのが社説と言う意見もありますけどね。
次は重箱ですが、
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救急搬送の際に五回以上受け入れを断られる事例がここ数年、急増していることにも示されている。
全国各地で救急搬送時の受入医療機関の選定に困難を来す事案が報告されたことから、消防庁では、平成19年10月に産科・周産期傷病者搬送の受入実態について調査を行い、結果を公表した。また、平成20年3月には、
に調査対象を拡大し、平成19年中の受入れ実態について調査を行い、結果を公表した。
- 重症以上傷病者搬送事案
- 産科・周産期傷病者搬送事案
- 小児傷病者搬送事案
- 救命救急センター等搬送事案
消防庁によるデータは読めばわかるように平成19年10月に発表した「産科・周産期傷病者搬送の受入実態」(おそらく平成18年度分)と、平成20年3月に発表した平成19年分しかありません。どんなデータを基に「ここ数年」と書かれているかよく分かりません。少なくとも消防庁の全国調査によるものでないだろう事だけはわかりますが、どこの調査のデータであるかが不明です。ちなみに伊丹の事件は重症以上傷病者搬送事案に該当するかと思いますが消防庁の報道資料によるとのぢぎく県では、
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
8709 | 1304 | 600 | 281 | 155 | 69 | 39 | 36 | 20 | 13 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | * | 21以上 | |
8 | 7 | 1 | 4 | 3 | 3 | 1 | * | 1 |
総搬送件数は11254件、そのうち社説が問題視した「五回以上受け入れを断られる事例」つまり6回以上の搬送依頼は205件、発生率は1.8%になります。
重箱はこれぐらいにして問題の解決策ですが、
救急患者の中でも、交通事故などに多い多発外傷への対応は難しいとされる。命にかかわる傷はどれか、瞬時に判断し、的確に処置する必要があり、経験と高度な専門性が求められる。こうした人材が都市部でも不足しているのではないか。だとすれば、交通事故の多い地域だけに、政策的に人材の確保に努める必要があるだろう。
前段は正しいと素直に評価します。ただ後段の
しつこいようですが「どこを、どう改めればいいかもわかっている」とまで高言した方とは思えない頼りない主張です。社説の構成は、
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伊丹の事故が起こった → 受け入れがすぐに出来なかった → そうなるとどうも医師が足りないようだ → 政策的に増やせ
救急医不足は「どこを、どう改めればいいかもわかっている」まで高言されるなら、常識として分かっていなければならない問題です。鳥取県なんか、救命救急センター2ヶ所で救命医の常勤が1人になる危機を迎えているほどです。1人になる前でも5人しかいないのです。そこまで不足している現状がありながら「どこを、どう改めればいいかもわかっている」レベルがこの程度なのは普通は恥しいのですけどね。
一つ目でえらい手間がかかりましたが、二つ目の問題点を見てみます。
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もう一つの問題は連携プレーだ
今回、搬送が遅れた理由に、病院との交渉が救急隊任せになった連携のまずさがあった。同じ時間帯に消防への救急出動要請が重なったためだが、そんなとき消防指令は何を優先すべきか。普段から判断基準を明確にし、確認しておくことが大事だ。
対策の一つとして間違っていませんが、どうにも「どこを、どう改めればいいかもわかっている」の「わかっている」の中に救急需要に対して医療側の戦力不足の認識が余りに低いと感じます。たしかに「政策的に人材の確保」の文言がありますし、医療側の戦力を救急需要を満たすようにするには救急医を増員する事は基本です。
ただ真の問題はどこから「確保」するかです。阪神地区に十分な人材を確保すれば必然的に起こる問題は、引き抜かれた他の地区が悲鳴どころか壊滅すると言う事です。それぐらい全国的に不足しているのが救急医療に必要な人材です。問題の本質は足りない事を大発見したかのように指摘する事ではなく、足りない人材でいかに賄うかの方法のはずです。いくら社説が喚こうが、いないものはいないのであって、国家が力瘤を入れても短期間で充足する問題ではありません。
伊丹の事件で司令部が機能麻痺に陥ったのは、1時間の間に6件もたて続けに入った救急要請のためです。司令部も、救急隊も、医療機関も無尽蔵の資源ではありません。救急隊の出動件数は平成9年度の348万件から、平成19年度には529万件に5割以上も増えています。増えた分は基本的に救急隊がどこかの医療機関に搬送し、どこかの医療機関が応需しているのです。救急件数の5割増に対し、救急隊は8%増、医療機関に至っては目減りしています。
需要と供給の根本に目を向けずに「どこを、どう改めればいいかもわかっている」とふんぞり返られても冷笑の対象にしかなりません。問題の本質は
- 増え続ける不要な救急要請をいかに抑制するか
- 救急現場から逃げ出す医師をいかに引き止めるか
- 救急医療の魅力を高め、これに志す医師をいかに増やすか
もっとも社説と言う存在自体に、そこまで期待するのは非常に失礼かもしれません。