もう何年も前になりますが、「子ども向けに有名な童話をショートアニメにするので原作をものすごくコンパクトにまとめてくれ」といった依頼を受けたことがありました。
著作権の切れた作品のみのラインナップだったんですが、そこに新美南吉さんの「手袋を買いに」がラインナップに入っておりまして、1000文字くらいだったかな?
とにかく短くまとめたのですよ。
そのときに逆にボリューム出すほうで作業もしてみたいなぁ~なんて思ってましてて、今回、唐突にそれを実行に移しました。
理由は特になく、強いて言えばふと「子狐ちゃんのお手々って肉球ぷにぷにで可愛いやろなぁ~」って思ったから。
作業内容としてはリライトになるのか、加筆になるのか、自分でも表現のしようがない感じでちょこちょこいじってます。
加筆もしてるし、表現を変えてるところもあるし、そのままの表現がいいなってそのまま残してるところもあるし。
お暇なときにでもどうぞ~。
「手袋を買いに」
寒い寒い冬が北のほうから、狐の親子の暮らす森へもやってきました。
狐の親子は山の斜面に穴を掘って、そこをお家にしています。
ある朝、子狐ちゃんが穴から顔を出そうとしたのですが、その瞬間、子狐ちゃんは「あっ」と短く叫んで小さな目を押さえました。
そのまま後ろに倒れてコロコロとでんぐり返しをするように、お母さん狐のところへと転がっていきました。
「お母さん、目に何か刺さったみたい。抜いて抜いて。早く早く」
びっくりしたお母さん狐は慌てて、まだ目を押さえている子狐ちゃんの手を取り除けて、その目を見てみました。
しかし、そこには何も刺さってはいませんでした。
ほっと胸を撫でおろしたお母さん狐は外に出てみて、そのわけがわかりました。
昨夜のうちに、真白な雪がどっさりと降っていたのです。
透き通った冬空からお陽様が燦々と照らしていたので、その光が雪に反射してキラキラと輝いていました。
子狐ちゃんが雪を見るのは初めてです。
あまりにもキラキラと輝くものだから、その眩しさに目に何かが刺さったと思ってしまったのでした。
何もないのだとわかると、子狐ちゃんは外へと飛び出しました。
真綿よりも柔かく儚い雪の上を駆け回ると、雪の粉がまるでしぶきのように舞います。
そこには小さな虹が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返していました。
すると突然、後ろから「どさどさーっ」とものすごい音がして、ふわふわの粉雪が子狐ちゃんの頭の上からたくさん落ちてきました。
びっくりした子狐ちゃんは落ちてきた雪の中から飛び出して、ぴょんぴょんぴょんぴょん、自分でもよくわからなくなるくらいに逃げ回りました。
振り返ってみても、そこには何もありません。
ぱらぱらと残りの雪が落ちてきたのを見て、ようやくモミの枝に積もった雪が落ちてきたのだとわかりました。
よく見てみると他の枝からも雪がこぼれて、キラキラと輝く光の道を作っていました。
思う存分、雪の世界を楽しんだ子狐ちゃんはお家に戻りました。
ただ、お家に帰ってから自分の手がいつもとは違うことに気づきます。
「お母さん、お手々が冷たい。お手々がちんちんする」
そう言って差し出した子狐ちゃんの手は、すっかり雪で濡れて牡丹色になっていました。
お母さん狐は、その手に「はーっ」と息を吹きかけて、温かくて大きな手でやんわりと包んであげました。
「大丈夫大丈夫。すぐに温かくなるよ。雪を触るとちんちんするけど、その後すぐにほかほかしてくるよ」
そうは言ったものの、可愛い子狐ちゃんの手に霜焼ができては大変です。
夜になったら町まで行って、子狐ちゃんのお手々に合うような毛糸の手袋を買ってやろうとお母さん狐は思ったのでした。
それから暗い暗い夜が舞台の幕のような影を引き連れて、森へとやってきました。
しかし、少しだけの月明かりでさえキラキラの雪が反射させるので、森は夜になっても柔らかく光を放っていました。
狐の親子はお家から出て、子狐ちゃんはお母さん狐のお腹の下へとすぐに入り込みました。
お母さん狐が1歩進むのに子狐ちゃんは2歩3歩と進まなければならないので、母さん狐はゆっくりとゆっくりと歩みを進めました。
子狐ちゃんはお母さん狐のお腹の下からつぶらな瞳をぱちぱちさせながら、あっちを見てみたり、こっちを見てみたり。
やがて先のほうに、ぽっつりと灯りがひとつ見え始めました。
子狐ちゃんは嬉しそうに言いました。
「お母さん、お星様はあんな低いところにも落ちてるのねぇ」
「ああ、あれはお星様じゃないのよ」
そう言いながら、お母さん狐の足はすくんでいました。
「……あれは町の灯りなんだよ」
お母さん狐は絞り出すような声で、そう言いました。
町の灯りを見ていると、ある出来事を嫌でも思い出してしまいます。
それは少し前のことでした。
お母さん狐はお友達と町へ出かけて、とんだ目に遭ったのです。
「およしなさい」
あのとき、そう言ったのにお友達の狐はとあるお家から家鴨を盗もうとして、家主に見つかってしまったのでした。
さんざ追いかけられて、命からがらどうにか逃げ延びたのです。
「……さん……母さん……お母さん」
子狐ちゃんの声でお母さん狐は、はっと我に返りました。
「お母さん、何してるの。早く行こうよう」
お腹の下から顔をのぞかせる子狐ちゃんは光に照らされた雪と同じくらいキラキラとした瞳をしています。
しかし、お母さん狐はどうしても足が進みません。
ただ、ここまで来て「やっぱり帰ろう」と言っても、きっと子狐ちゃんは駄々をこねるでしょう。
駄々をこね終えたら、そのままひとりで飛び出していってしまうかもしれません。
お母さん狐はうんうん唸りながら悩みに悩み抜いて、それならばと子狐ちゃんをひとりで町まで行かせることにしました。
いずれは子狐ちゃんも大人になるのです。
少し早めに練習をしておくのもいいでしょう。
「お手々を出してごらん」
お母さん狐にそう言われて、子狐ちゃんは両方の手を出しました。
その片方を母さん狐が優しく握っていると、なんと子狐ちゃんの手が可愛らしい人間の子どもの手に変わったではありませんか。
子狐ちゃんは目を大きく見開いて、その手をぐーぱーぐーぱーしてみたり、ちょこっとつねってみたり、くんくん嗅いでみたりしました。
「うーん? なんか変だよ、お母さん。これなぁに?」
子狐ちゃんは月の光が反射する雪の上で、人間の手を不思議そうに見つめています。
「それは人間の手よ。いいかい? 町へ行ったらね、たくさん人間の家があるからね、まずは表にまん丸帽子の看板がある家を探すんだよ。それが見つかったらね、トントンと戸を叩いて『こんばんは』って言うんだよ。そうするとね、中から人間が少ぉーしだけ戸を開けるからね、その戸の隙間から、こっちの手……ほら、この人間の手を差し入れてね、『この手にちょうどいい手袋をくださいな』って言うんだよ。わかったね? 決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目よ」
お母さん狐は子狐ちゃんにしっかりと言い聞かせました。
ですが、子狐ちゃんはすぐに「どうして?」と聞き返しました。
「……人間はね、相手が狐だとわかると手袋を売ってくれないんだよ。それどころか、つかまえて檻の中へ入れちゃうんだよ。人間は本当に怖い生き物なんだよ」
「ふーん」
「いいね? 決して、こっちのお手々を出しちゃいけないよ。こっちの、人間の手のほうを差し出すんだよ」
そう言うと、お母さん狐は持ってきた小銭を子狐ちゃんの人間の手のほうへと握らせてやりました。
子狐ちゃんは町の灯りを目印にしながら、雪明かりの原っぱを進んでいきました。
お母さん狐のお腹の下に入っていたときにはさくさくと進めたのに、ひとりだと雪に足を取られてよちよち歩きになってしまいます。
それでもどうにか進んでいくと、初めのうちはひとつきりだった灯りがふたつになり、みっつになり、最後には子狐ちゃんの両の手では足りないくらいの数になりました。
子狐ちゃんはそれを見て、灯りには星と同じように、赤いのや黄色いのや青いのがあるんだなと思いました。
やがて町に入りましたが、通りの家々はもうみんな戸を閉めてしまって、高い窓から暖かそうな光が道の雪の上に落ちているばかりでした。
けれど、表の看板の上にはたいていは小さな電燈が灯っていましたので、子狐ちゃんはそれを見ながら、まん丸帽子の看板を探しました。
町には自転車の看板や眼鏡の看板、その他にもいろんな看板がありました。
あるものは新しいペンキで描かれ、あるものは古い壁のように剥がれ落ちています。
ただ、町に初めて出てきた子狐ちゃんにはそれらのものがいったい何であるかわからないのでした。
そして、とうとう帽子屋さんが見つかりました。
お母さん狐が教えてくれた、まん丸帽子の看板です。
大きくて丸っこい黒い帽子が青い電燈に照されています。
子狐ちゃんは教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
「こんばんは」
中では何かコトコトと音がしていましたが、しばらくするとゴロゴロという音とともに戸が少しだけ開きました。
そこから明かりが漏れて、光の帯が白い雪の上に長く伸びました。
子狐ちゃんはその光がまばゆかったので、面食らって、間違ったほうの手を、お母さん狐が出しちゃいけないよと言ってよく聞かせたほうの手を隙間から差し込んでしまいました。
「このお手々にちょうどいい手袋をくださいな」
帽子屋さんは、おやおや……とその手をよく見てみました。
小さな小さな狐の手です。
その狐の手が手袋をくれと言っているのです。
これはきっと木の葉で買いに来たに違いないと思いました。
そこで帽子屋さんは「先にお金をくださいな」と言いました。
子狐ちゃんは素直に握ってきた小銭を帽子屋さんに渡しました。
帽子屋さんはそれを手のひらに乗っけて、指先でつついてみました。
しっかりと硬く、手のひらの上で小銭同士がぶつかるとチャリチャリとよい音がしました。
「ふむふむ、これは木の葉じゃないな。本物のお金だな」と思いましたので、棚から子ども用の毛糸の手袋を取り出して、子狐ちゃんの手に持たせてやりました。
そこで初めて子狐ちゃんは自分が間違ったほうの手を出していたことに気づきました。
子狐ちゃんはきちんとお礼を言ってから、もと来た道を帰り始めました。
「お母さんは人間は怖い生き物だって言ってたけど、ちっとも怖くないや。だって、僕の手を見てもどうもしなかったもの」と、子狐ちゃんは思いました。
そう思うと、今度は「いったい人間ってどんな生き物なんだろう」と気になってきました。
ちょうどある窓の下を通りかかったとき、人間の声がしてきました。
なんと優しく、なんと美しく、なんとおっとりとした声なのでしょう。
「ねむれ ねむれ 母のむねに ねむれ ねむれ 母の手に……」
この唄声はきっと人間のお母さんの声に違いないと、子狐ちゃんは思いました。
なぜなら、子狐ちゃんが眠るときにもお母さん狐は優しい声で唄いながら体をゆらゆらと揺らしてくれるからです。
すると、今度は子どもの声がしてきました。
「お母さん、こんな寒い夜は森の子狐も寒い寒いって鳴いてるんだろうね」
すぐに、お母さんの声が答えました。
「森の子狐もお母さん狐のお唄を聴いて、穴の中で眠ろうとしているでしょうね。さぁさぁ、坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やのほうが早くねんねしますよ」
それを聞いて、子狐ちゃんの胸はきゅっとなり、お母さん狐が恋しくなりました。
すぐさま、お母さん狐の待っているほうへと駆けていきました。
お母さん狐は子狐ちゃんを心配して、無事に帰ってくるのを今か今かと震えながら待っていました。
子狐ちゃんが戻ってくると、温かい胸に抱きしめて泣きたいほど喜びました。
そのまま狐の親子は森のほうへと帰っていきました。
ちょうど雲に隠れていたお月様がまた顔を出したので、狐の毛並みが銀色に光り、その足跡にはコバルトの影がたまりました。
「お母さん、人間ってちっとも怖くなかったよ」
「どうして?」
「僕、間違えて本当のお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、つかまえやしなかったもの。ちゃんとこんなあったかい手袋くれたもの」
そう言って、子狐ちゃんは手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。
お母さん狐は「まぁ!」と呆れましたが、「本当に人間はいいものかしら、本当に人間はいいものかしら……」とつぶやいたのでした。