そこそこ交流のある、尊敬している字書きの人が、絵を描き始めるそうだ。正確には、またやり始める、らしい。頑張ってほしい。
「一緒に頑張ろう、いつか私を捻り潰してほしい」と書いて送った。そうできるのは5億年先、と言われたが、謙遜だとしても、とてもそうは思えなかった。一年もせず追い越されると思った。だってすでに、色々な面において、私のずっと向こうを走っている。
いつか私を捻り潰してほしい、と言ったのは、多分負け惜しみだろう。そういっておけば、もし本当にそうなっても「望んだことだから」と受け流せる。若い芽を摘まなくて済む。成長できないことを悔やまなくて済む。だから、そう言った。
私にとって絵は、いつのまにかそこにあった。気づいた時にはクレヨンを握っていたらしく、描いていたのも風景や物などではなくもっぱらキャラクターだった。その流れで、10年以上続いた。
描きたいと願って描いていたのだろうか。わからない。気づけばそこにあって、気づけば筆を取っていて、食事のように絵を描いていた。願ってもないことで褒められるのは、嬉しかった。
でも、それでは願う人には到底敵わない。何馬身も差をつけられていて、それでも執着だけがあった。目を逸らして、自分のためと言いつつ、今もなお褒めてくれる人間のために絵を描き続けている。名前を売ることも流行らせることもできずに、世界に6700万あるアカウントのうちの一つになっている。
やりたいことはなかった。できることは、これだけだった。それも、素養のない人より幾らかは、という話であった。