むし太郎 @mushi_taro64 iPhoneが爆発的に日本でウケた理由って、2011~2016年のAndroid端末がポンコツばっかだったからだと思う。搭載メモリにそこまで余裕がないのにも関わらず、キャリアは自社アプリを詰め込み、それらを裏で動かす。こりゃ動作がカクカクしても仕方ないし、みなiPhoneに乗り換えたくなるのも頷ける。 2025-01-14 02:54:12
This is our 200th episode, so I wanted to do something special. Everyone loves to complain about the poor quality of Japanese software, but today I’m going to explain exactly what went wrong. You’ll get the whole story, and I’ll also pinpoint the specific moment Japan lost its way. By the end, I think you’ll have a new perspective on Japanese software and understand why everything might be about
Pedestrians cross an intersection in the Shibuya district of Tokyo on Thursday, May 2, 2024.Toru Hanai—Bloomberg/Getty Images In March 2023, the Japanese medical authorities announced that the new weight loss drug Wegovy—which was in staggering demand across the world, causing shortages everywhere—had been approved to treat obesity in their country. It sounded, at first glance, like great news for
In 1985, Dungeons & Dragons (hereafter referred to as D&D) exploded onto the scene in Japan, achieving massive popularity. The Japanese version of the Basic Rule Set (known as the “red box”) sold an impressive 100,000 copies in its first year. The following year, the gaming magazine “Comptiq” published a series of articles titled _D&D Magazine Live: Record of Lodoss War Replay_, which presented a
以下の記事はブログメディア、TokyoDevにて公開されている『The rise and fall of D&D in Japan』の元になった原稿です。 日本在住の英語話者向け記事として「日本におけるD&Dの歴史」をまとめてほしいという依頼を受けたため、刊行されていたり、自分が立場上知り得た情報に基づいて日本のD&Dの歴史と展開を追いました。 英語版の記事は、編集部の協力により、この記事からディテール部分を大幅にカットしてD&Dの興亡と現状、影響をシンプルにまとめたものとなっています。 1985年、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下D&D)は日本で爆発的なヒットを記録し、日本語版『ベーシックルールセット』は発売された年だけで10万部を売り上げた。翌年にはゲーム雑誌『コンプティーク』にてD&Dのセッションの様子を読み物とした記事、『D&D誌上ライブ ロードス島戦記』が掲載された。この記事を
コンピューター分野において「ハードウェア」の対比語で、 何らかの処理を行うコンピュータ・プログラムや、 関連する文書などを指す言葉である「ソフトウェア」。 一般的にはワープロソフト等のアプリケーションソフトウェアや、 OSなどのシステムソフトウェアに分類されています。 今回の翻訳元では、そのソフトウェアと日本人を絡めた投稿が。 「日本人は基本的にどんな技術でも優れており、 より勤勉に作業に取り組むにもかかわらず、 なぜかそれがソフトウェア面では当てはまらないのは奇妙だ。 偉大なソフトウェアに、日本発のものは存在しない」と、 ソフトウェア技術が唯一と言える日本人の弱点だと指摘しています。 この投稿に対し、外国人から様々な見解が寄せられていました。 その一部をご紹介しますので、ごらんください。 「日本は天才の宝庫だ!」 『世界を変えた日本の発明』の数々に海外から称賛の声 PexelsによるPi
This article is also available [in English](https://www.tokyodev.com/articles/the-story-of-tokyodev). TokyoDevは僕の個人的なブログとしてスタートしました。日本で開発者として過ごす日々を綴ったブログが、今では、僕がこれだけで食べていけるぐらいの利益を生み出す求人サイト事業へと成長しました。数百人の開発者が日本での最初の仕事をTokyoDevで見つけていて、文字通り、彼らの人生を変えたのです。誰かの人生に影響を与えている。これほどやりがいを感じられることはありません。 最初にブログを始めたときは、事業化しようとは考えていませんでした。でもTokyoDevは、まるで長い旅のように、15年かけてゆっくり自然に成長してきました。この記事では、こじんまりと始まった個人ブログが利益を生む求人サイ
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。 で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことがで
日本と万博との関わりは、1862年に日本の遣欧使節団が第二回ロンドン万国博覧会を視察したことから始まります。その時の様子は、福沢諭吉の「西洋事情」(1886年)に紹介されました。 その次の1867年の第二回パリ万博には、日本から初の出展を行いました。 しかし、当時の日本の政情を反映して、「徳川幕府」、「薩摩藩」、「鍋島藩」それぞれが出展するという状況でした。 「日本」として始めて公式に参加したのは、1873年のウィーン万博です。 日本で万博を開催しようという動きは、まず1890(明治23)年にありましたが、これは時期尚早ということで見送られ、次に1940(昭和15)年の開催に向けての準備が行われました。これは、紀元2600年を記念した「東西文化の融合」をテーマとする万博で、東京・横浜が会場になるはずでした。実際に入場券が印刷、発売されるところまで準備が進んだのですが、日中戦争の影響により1
インターネット上の意見に政府の圧力がかかるのは70カ国中53カ国、監視干渉行為をしない国は日本を含めてたった4カ国。ネット上の自由に迫る「影」は着々と広がり続けています。その実情とは。長年情報通信政策に携わり、現在は大手プロバイダーのIIJ副社長である谷脇康彦氏の著書『教養としてのインターネット論 世界の最先端を知る「10の論点」』から一部を抜粋して紹介します。 インターネットはどう生まれ、どう使われてきたか 1960年代のインターネット草創期。インターネットの普及は世界の人々の間で情報や知識を共有することを促し、透明で民主的な社会の実現に貢献するという期待が利用者の間に確かに存在していました。これはインターネットの基本精神である「自律・分散・協調」という面に依拠するものでした。 具体的には、インターネットを構成するルーターなどの機器は民間の人たちが「自律」的、つまり自由に設置・運用し、あ
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やまざき・はじめ/1958年、北海道生まれ。東京大学経済学部卒業。現在、楽天証券経済研究所客員研究員。株式会社マイベンチマーク代表取締役。東京大学を卒業後、三菱商事に入社。野村投信、住友生命、住友信託、メリルリンチ証券、パリバ証券、山一証券、明治生命、UFJ総研など、計12回の転職を経験。コンサルタントとして資産運用分野を専門に手掛けるほか、経済解説や資産運用を中心に、メディア出演、執筆、講演会、各種委員会委員等を務めた。2024年1月1日、永眠。 山崎元のマルチスコープ 旬のニュースをマクロからミクロまで、マルチな視点で山崎元氏が解説。経済・金融は言うに及ばず、世相・社会問題・事件まで、話題のネタを取り上げます。 バックナンバー一覧 岸田文雄首相が米ニューヨークでの投資家向け講演において、「資産運用特区」を創設する構想を公表した。好意的に報じる記事も多いが、筆者は目の前が暗くなるようなが
エレクトリカル・ジャパン(Electrical Japan)は、電力供給(発電所マップ)と電力消費(夜景マップ)の「見える化」とシミュレーションを通して、東日本大震災後の日本の電力問題を考えるためのサイトです。 日本全国の発電所の分布を、Google Maps地図上で一覧できます。夜間光のオーバーレイはOFFにすることも可能です。通常の衛星画像での表示については、位置検索(一覧表示)、またメガソーラーの立地状況についてはメガソーラーギャラリー(作品集) - 空撮全景で比べるメガソーラーのかたちをご覧下さい。 様々な観点から発電所マップを絞り込んで検索するには電力会社・発電方式絞り込み検索、発電方式・発電出力絞り込み検索、発電所名・事業者名検索(一覧表示)、発電所名・事業者名検索(個別表示)、都道府県ごとの発電所一覧などをご利用下さい。 また時間的な変化については日本の発電所の歴史をご覧下さ
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