オースティンについて 1911〜1960 48歳という若さで亡くなっている。 アリストテレスなどギリシア古典の研究から研究キャリアをスタートさせている。 戦中は、情報将校として従軍し、ノルマンディー作戦に関する情報収集、分析などをやっていたらしい。 オクスフォードに所属していたわけだが、戦前のイギリス哲学界の中心はむしろケンブリッジであった。哲学で言えば、ラッセル、ムーア、ウィトゲンシュタインが属し、また経済学者ケインズもケンブリッジであった。 オクスフォードの哲学者としては、オースティン、ライル*1、ストローソン、グライス*2が挙げられる。*3 オースティンとライルは共に日常言語学派などとも呼ばれるが、互いの影響関係はほとんどなかったらしい。一方、ストローソンとグライスは、オースティンの言語行為論の影響を受け、批判的継承をしているようだ。 オースティンの哲学の師は、プリチャードという人で
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