タグ

戦争に関するShowのブックマーク (6)

  • Vim vs Emacs

    世間では、VimEmacsと、どちらが優れたテキストエディターであるかという論争があるらしい。そこで私も考えてみることにした。 Vimは純然たるテキストエディターである。その文であるテキストの編集のための機能は豊富にある。 一方、Emacsはテキストエディター以上のプラットフォームになろうとしている。メール、IRCクライアント、ブラウザー、画像表示などなど。これがために、「Emacsは悪くないOSである。ただし良きテキストエディターを欠く」とまで言われている。 vimは操作性に優れている。vimのほとんどの機能は、文字を連続して入力することで使うことができる。操作を複数行にわたって適用したい場合は、操作の文字に先立って数字を入力するとか、後にカーソル移動を入力するなどすれば、非常に素早く入力できるので、操作の妨げにならない。 一方、Emacsは操作しづらい。Emacsの操作は、単一のキ

  • 戦場に社会が見える - リアリズムと防衛を学ぶ

    「人類の歴史は、戦争歴史だ」とはよく言ったものです。なぜなら戦争とは、社会の営みの延長線上にあるからです。戦争と軍隊のカタチは、その時代、その社会のあり方と分かちがたく結びついています。 戦争歴史を追うことは、戦争という切り口で、人類の歴史を追うことなのです。 戦争について知ること 戦争や軍隊は、どこか一般社会から遠くかけ離れたもののように、とかく日では思われがちです。 「日軍事史」では、こう述べられています。 軍事とは、軍隊・軍備・戦争など、文字通り軍にかかわることをさす言葉であり、一般には敬遠さ れることの多いテーマかもしれない。しかし、ここ数年の事態を持ち出すまでもなく、戦争や軍隊の 問題は現代に生きる私たち一人ひとりにとって、無関係でいられないものになっている。 … 平和と民主主義の大切さを考える時に、その対極にあるものを敬遠し忌避するだけでは不十分である。…戦争や軍隊の問

    戦場に社会が見える - リアリズムと防衛を学ぶ
  • 恐るべき手作り兵器、カダフィ軍から奪い取った兵器を自分たちで修理して戦っているリビアの反体制派

    カダフィ大佐による強権的な統治への不満が爆発して始まった「2011年リビア騒乱」にて、反政府派はカダフィ軍から奪い取った武器を改造して戦っています。 民間人と元軍人によって構成されている反体制派がNATOによる空爆の支援を受けながらカダフィ軍と戦い始めて記事執筆時点で4か月がたちますが、その反体制派が敵から奪った兵器を手作業で修理しているところや戦闘訓練をしている様子を写した写真集です。 DIY Weapons of the Libyan Rebels - The Atlantic https://www.theatlantic.com/photo/2011/06/diy-weapons-of-the-libyan-rebels/100086/ リビアにあるミスラタで行われた兵器ワークショップにて、リビア人のボランティアが「UB-32ロケットランチャー」を修理しています。ちなみに、これは通

    恐るべき手作り兵器、カダフィ軍から奪い取った兵器を自分たちで修理して戦っているリビアの反体制派
  • 「テロとの戦い」とは何だったのか : 池田信夫 blog

    2011年05月02日20:49 カテゴリ法/政治メディア 「テロとの戦い」とは何だったのか オサマ・ビンラディンが殺されたらしい。アメリカ大統領が個人の殺害を発表するのも異例だが、あらためて考えると、10年も続いた「テロとの戦い」とは何だったのか、疑問をもたざるをえない。 ダン・ガードナーも指摘するように、テロによる死者は全世界で毎年約300人。そのほとんどは中東(特にイスラエル)で、これはアフガニスタン・イラク戦争のあとも減っていない。アメリカ国内でのテロの死者は、9・11以来ゼロだ。他方で、戦争による軍民の死者は約10万人。どう考えても、「テロとの戦い」は死者を減らすのではなく増やす結果になったというしかない。 しかしアメリカの軍産複合体にとっては、これは大勝利だろう。冷戦後、減らされてきた軍事予算がこれで増額され、ソ連に代わる新たな敵を作り出すことで、ブッシュ政権は圧倒的な支持を得

    「テロとの戦い」とは何だったのか : 池田信夫 blog
    Show
    Show 2011/05/02
    今は中国がいるから対テロ戦争が必要なくなったんじゃない?現在は中国を分析中。
  • 戦争の体験談を語るわ その1 無題のドキュメント

    4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/05/19(水) 13:02:19.57 ID:sViwJ6eP0 少し長くなるから、先に何が起きたから軽く書いておくね。 今から20年近く前の話だから、多少忘れてたり、間違ってたりするかもしれない。 そこは許して欲しい。 先に結論というか、書いておくけど。 今から話す内容に出てくる子がどうなったか、先に書いておく。 ソニアは殺された。 サニャは爆発に巻き込まれて死んじゃった。 メルヴィナはレイプされて連れ去られた。 メフメット・カマル・ミルコはわからない。 カミーユも死んでしまった。 ドラガンって子は、裏切ったと思っていたけど、実際は違った。 それじゃ、書いてくね。わからない事あったら聞いてください。 5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/05/19(水) 13:04:37.75 ID:sV

    Show
    Show 2011/04/28
    考え続けること
  • ボスニア内戦 民族紛争の真実 前編

    ボスニアはかつてユーゴスラピアといわれた国の一部です。第二次世界大戦後、スロベニア、 クロアチア、モンテネグロ、セルビア、マケドニア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナという 6つの民族共和国がチトー元帥の率いる社会主義国家として一つの連連邦国に統一されました。 ところが1980年代後半に起きた東欧民主化の波をかぶる中で、バラバラの状態になり、 それぞれ独立していったのです。そして内戦の勃発。なかでも、とくに深刻だったのがボスニアでした。 ボスニアの民族構成がイスラム教徒であるモスレム人が4割、セルビア人が3割、クロアチア人が2割と、 ボスニアでは3つの民族の勢力が拮抗して同居していたからです。更に宗教の間題もありました。 独立を宣言したイスラム教徒と、それに反対するセルピア人との戦いが続き、 内戦は泥沼化していったのです。そして、その激戦地となったのがボスニアの首都サラエボでした。 サラエボ

    ボスニア内戦 民族紛争の真実 前編
  • 1