いかに「日常系」の作品とて、劇場版になれば始まりがあり終わりがある。出来事の開始から終わりまでを語られるのが映画という100分くらいの尺なわけで、いままでの「けいおん!!」のように最後はお茶してとりあえず終わり、な話は構成できない。 従って、今回の劇場版では劇場化に際して何かしら映画コンテキストからのアプローチが図られ、結果として物語が成立するようになるのだと思われるが、それが何であるのかがいまだに見当がつかない。 ドラえもんの例でいえば、例の如くのび太くんがドラえもんに無茶を言ってドラえもんの道具で遊んでいたら、そこで(ドラえもんという日常の)物語の外部から使者(ザンダクロスとか、恐竜の卵とか)が現れ、やがてそれらは大きな事件へと発展していく。いじめっ子だったジャイアンは一時的に心の友となり、イヤミなスネオはメカやコンピュータに詳しいオタク的立ち位置を獲得する。ジャイアンが暴力で物を解決
建築エコノミスト 森山高至「土建国防論Blog」Powered by Ameba マンガ建築考の森山高至が「たてものと生活と社会と文化」を考えています。 twitter始めました。https://twitter.com/mori_arch_econo 連絡先は moriarchecono@gmail.com 以前このブログでも学校のモデルをご紹介したことがあるのですが、 ヴォーリズ設計「けいおん!」の学校 もともと四コマだった漫画をあの京都アニメーションのもてる力を全力投入して作り上げたアニメです。 高校生になったばかりの女の子たちが、 女子高内で廃部寸前の「軽音部」をいかに立て直すか、盛り上げるかを通じて起こる友情や青春模様を、 まったりと追っかけたところのリアリティが、うけているんだと思います。 いわゆる高校生主人公漫画でありがちな、 泡沫高校が熱血監督のもと甲子園へ出るぞ!とか、 天
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