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地域に関するcamellowのブックマーク (3)

  • なぜ若狭地方は滋賀県だったのか – 別冊びびび

    若狭地方が滋賀県だった時期 滋賀県庁に何度か行ったことがある。お役所の常として、館に新館にそのまた新館に、といくつかの建物に分かれているのだが、そのうちの「新館」の入口には、滋賀県が福井県南部――嶺南地方を編入していたときの地図がでかでかと掲示されていた。滋賀県の歴史を伝える貴重な資料ということのようなのだが、どうにも心がざわついてしまう。言うなれば首相官邸の入口に、朝鮮半島や台湾を占領していた時代の地図を掲示しているようなもので、福井の人間が怒らないだろうか、と心配になってしまう。 嶺南というのは、文字通り山嶺の南側という意味で、具体的には敦賀市と南越前町とを隔てる木ノ芽峠の南側である。令国制でいう若狭国――現在でいう小浜市、三方郡、大飯郡、三方上中郡はすっぽりこの嶺南に収まるが、同じく嶺南である敦賀市は越前国となるため、嶺南すなわち若狭というのは正確ではない。ちなみに、残る木ノ芽峠の

    なぜ若狭地方は滋賀県だったのか – 別冊びびび
  • 熊本の活断層

    活断層とは、最近の地質時代に繰り返し活動していて、将来また活動すると考えられる断層です。「最近の地質時代」とは、地質時代の最も新しい区切りである「第4紀」をいい、概ね200万年前から現在までのことです。 まず、活断層の代表格に茨城県から熊県へ日列島を縦断する大断層の 中央構造線 があります。 九州の中央構造線 は九州中央部では、阿蘇山の下にかくれています。大分県(臼杵)から熊県(八代)をとおり、甑島(こしきじま)と薩摩半島の間をとおると考えられています。大分・熊構造線が中央構造線の延長という考え方もあります。 活断層としての中央構造線 現在の日列島の地殻変動は、およそ200万年前に始まりました。 中央構造線の古傷を利用して、多くの活断層が生じています。 それらを 中央構造線活断層系 と言っています。 その活動のようすは、 地域(区間)ごとに大きなちがい があります。

  • 涅槃まで百万歩

    日も、梅雨の走りのようなあいにくの空模様ですので、せめてもの気晴らしになれば幸いです……。 で、お話は少々前に遡りますが、五月五日のこどもの日は小学校時代の友人三人と、ここ浅草田原町から中央区の月島まで、散歩に出かけておりました……。 その道すがらで、どうしても寄りたい場所があり、僕のワガママを聞いてもらい立ち寄ることが叶いました。その場所とは、東京都指定の名勝『清澄庭園』。住所は、江東区清澄三丁目三番地九号になります。もとは江戸時代に紀伊國屋文左衛門の屋敷だったという説があり、のちに関宿藩主久世大和守の下屋敷となって庭園が形造られたとのこと。明治時代に入ってからは、かの有名な岩崎彌太郎氏が取得して、三代に渡ってこの庭園が築かれたそうです。 入園料は一般で百五十円と、さほどお高くはありませんが、六十五歳からは七十円とさらにお得です!!! でも、僕らは八年後に来ないと、安くはなりませんが…

    涅槃まで百万歩
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