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wordに関するdaisukebeのブックマーク (9)

  • 冪等 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "冪等" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2015年10月) 数学において、冪等性(べきとうせい、英: idempotence、「巾等性」とも書くが読み方は同じ)は、大雑把に言って、ある操作を1回行っても複数回行っても結果が同じであることをいう概念である。まれに等冪(とうべき)とも。抽象代数学、特に射影(projector)や閉包(closure)演算子に見られる特徴である。"idempotence" という単語はラテン語の "idem"(同じ=same)と"potere"(冪=power)から来ている。 主に以下の2つの

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    daisukebe 2009/11/26
    「エレベータを呼ぶボタンも冪等である」うちには冪等でないエレベータがあります
  • レトロフューチャー - Wikipedia

    1930年代のソビエト連邦下で描かれた未来予想図[1]。 レトロフューチャー(英: retrofuturism、または retrofuture)とは、過去の人々が思い描いていた未来像のこと[2]。 20世紀初頭の衣服を身に纏ったまま未来の空飛ぶ乗り物 (aërial motor-car) に乗る2人の女性 (1905年) 。 レトロフューチャーとは最もシンプルな定義では過去の人々が思い描いていた未来像のことを意味する[3]。Elizabeth Guffeyによると優れたレトロフューチャーは過去 (当時) と想像上の未来が上手く融合しているという[4]。 また、1970年代から80年代の科学技術が急成長を見せた時代から流行しはじめた、「20世紀初頭から20世紀中期までの人々が描いた未来像」への懐古趣味や、当時のそういった描写を好み熱中する(現実の未来と比較し、郷愁を楽しむ)ことを指す[5][

    レトロフューチャー - Wikipedia
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    daisukebe 2009/11/24
    「「かつての、希望と躍動に満ちあふれた未来を思い描いた時代」への一種の『郷愁』の対象として見ている現象の一つであるとも言える」
  • はてなという会社全体の印象について - My Life Between Silicon Valley and Japan

    はてな取締役就任のプレスリリースから丸一日。想像以上にたくさんの好意的で暖かいメッセージをいただき、感謝の気持ちでいっぱいである。 日ブログ界大御所のお二人(切込隊長と極東ブログのFinalvent氏)からもエールを送っていただいた。 ○ 梅田望夫氏がはてな取締役に就任 微妙に勢いを取り戻しつつある技術オリエンテッドのはてなに、そっち方面のプロの人間が就任。それなら何とかなるかもな。文句なしに歓迎でしょう。売り上げピークはあっという間に来るだろうけど。そういう私もついに はてな市民。 (切込隊長) ■ 梅田望夫氏がはてなの取締役に就任 72へぇ。(Finalvent氏) お二人ともさすがである。微妙なエールで面白かった。ところで「へぇ」っていうのは、はてなキーワード http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a4%d8%a4%a7 の解説によると、 「納得、感心の度合

    はてなという会社全体の印象について - My Life Between Silicon Valley and Japan
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    daisukebe 2009/06/12
    「まとまりのある理系大学院の研究室に似ている。」
  • art-i-fact: 1ドルの軽さ

    この国の人たちは、自分を見ると必ず「give me 1 dollar」と嬉しそうに言ってくる。 この言葉は老若男女問わず、下校途中の小学生からスーパーマーケットの警備員に総菜売り場の女性、工事現場の労働者など様々な人たちの口からあたかも挨拶であるのように軽快に飛び出してくるのだ。その余りの切実の無さにいつも拍子抜けするのであるが、なんで?って聞いてみると、彼らは一様に「お金をもらえばご飯がべられるから」と言うのである。 そういう時、自分はいつも、あなたちゃんと仕事に就いてお金稼いでるでしょ、そのお金で買ってよ、と言う。この国の経済状況を考えると、普通に働いてさえいれば、あるいは学校に通っているのであれば他人から施しを受けないと生きていけないなんて事はほとんど有り得ない。実際、誰もがすんなりと引き下がっていく。 さて、どういう背景からこんな言葉が彼らの口から出るようになったのだろうか。 き

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    daisukebe 2007/12/01
    豊かな国の勝手なステレオタイプ。自分も例外じゃない。恥ずかしい。
  • gooランキング - あらゆるものをランキングで紹介!ランキングの総合サイト

    男性が選ぶ!シンプルに顔が好きな40代俳優ランキング!岡田准一、オダギリジョーを抑えて1位に選ばれたのは…

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    daisukebe 2007/10/03
    いくつかある
  • 収益が見えないことは、やらない理由にはならない--インフォテリアUSA江島氏

    オープンソースソフトやWeb APIを活用したサービスが数多く生まれている。ここで活躍するプログラマーは何を思い、どういった点に気をつけながらサービスを開発、提供しているのだろうか。 ここに焦点を当てたイベント日経BP社主催のイベント「ITPro Challenge!」が9月7日、東京都内で開催された。会場は70人規模と小さいながら、業界で活躍する多くの著名プログラマーが一般聴講者として参加し、熱気に包まれた会となった。 江島氏の小中学生時代の趣味ゲーム作り。電器屋に通っては店頭のPCでプログラムを書き、カセットに保存して、また翌週電器屋に行ってコードの続きを書く、ということを繰り返していたという 登壇したInfoteria USA社長の江島健太郎氏は、当初講演依頼を受けたとき、「まだ成功したプロダクトを出せていない状況なので、断ろうと思った」という。ただ、自分がいろいろなプログラマー

    収益が見えないことは、やらない理由にはならない--インフォテリアUSA江島氏
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    daisukebe 2007/09/11
    江島さんの言葉は、いつも二重に三重に響いてくる。技術を通して世の中を見るにあたってのスタンスが素晴らしいといつも思う
  • 住む世界 - 日々の記録

    10歳くらいのときだったか、中学・高校は公立に進みなさいと親から言われたことがある。「学力にばらつきがあるのなんて当たり前だし、世の中色々な人がいるんだということを知っておいたほうが良い」と言っていた。そのころは「そんなもんかね。ま、私立で行きたい学校もないし、学費も安いし、公立でいいや」と軽く聞き流していたけど、最近その言葉の意味が、重みを伴ってわかるようになってきた。 外側から見える生き方だけをとっても、正社員として働いている人、派遣社員として働いている人、アルバイトをしながら他のことをしている人、いずれは男の子に養ってもらえばいいやと思っている人、ニートしてる人、ずっと学生してる人、えとせとら、色々な人がいる。内側の考え方の領域まで踏み込むと、同じ正社員をしている人でも仕事をどれくらい大切にするのか、そもそも何故働いているのかだけで切っても千差万別。社会科学者でもない私は、カテゴライ

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    daisukebe 2007/05/06
    言葉って難しいな
  • 池田信夫 blog: The White Man's Burden

    現在の地球規模の問題としてもっとも重要なのは、地球温暖化でもテロでもなく、途上国の感染症である。それについての関心が最近高まってきたのはいいことだが、「ホワイトバンド」やボノが問題を解決すると思うのは大きな間違いだ。感染症の問題の根には貧困の問題があるという点でサックスは正しいが、彼のような計画的アプローチはこれまでことごとく失敗してきた、と著者(元世銀チーフエコノミスト)は指摘する。 戦後、先進国が行った途上国の開発援助の総額は2.3兆ドルにのぼるが、それによってアフリカ諸国の一人あたりGDPは半減した。ラテンアメリカ諸国のGDPは、世銀が融資しはじめてから減少した。旧社会主義諸国を市場経済化しようとして行われた「ショック療法」によってGDPは激減し、ロシアの一人あたりGDPはいまだに社会主義時代に及ばない(この点では著者の前著もおもしろい)。 政府に資金援助しても、途上国の貧困

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    daisukebe 2007/03/22
    この辺りも踏まえながら、あとちょっと。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「クオリア」の「クオ」のあたりが

    先日の日現象学会の会場で、 演壇のテーブルに張られている 「茂木健一郎」という文字を ぼんやり見ていたら、 ゲシュタルト崩壊が起こった。 文字が奇妙に思える だけでなく、 そもそも、なぜ、この文字列が 私という人間を指し示しているんだろうと 思った。 なんでもよかったはずじゃないか。 いつの間にか、自分という存在を この文字列を通して認識している。 その不思議さに心がふるえた。 松岡正剛さんと那須で対談して いた時、 松岡さんの前の卓上に 『クオリア入門』が置いてあった。 その「クオリア」の「クオ」のあたりが 解けていって、 この文字列がいつの間にか 私のライフワークを指し示している ことが不可思議に感じられて ならなかった。 美術解剖学の授業で、森村泰昌さんが 「私」の話をした。 「セルフ・ポートレート」 というテーマを追求してきた森村さん。 デュシャンの「レディ・メード」 がペインテ

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    daisukebe 2006/11/14
    ゲシュタルト崩壊
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