スロウでローファイ Xをやめてから急に写真を撮る速度が落ちたようで、そういえば最近このblogにもフィルム写真の話題を書いていない。 写真に飽きたわけではなくペースが落ちただけなのだが、よくよく考えてみれば写真なんて分野はそうそう目新しいことが起きるわけでもなくイノベーショ…

スロウでローファイ Xをやめてから急に写真を撮る速度が落ちたようで、そういえば最近このblogにもフィルム写真の話題を書いていない。 写真に飽きたわけではなくペースが落ちただけなのだが、よくよく考えてみれば写真なんて分野はそうそう目新しいことが起きるわけでもなくイノベーショ…
日本のアイドルが低年齢が多いみたいな話について ジャニーズとかハロとか AKB とか低年齢のアイドルが日本には多い。ジャニーズにはおっさんも多いけど。 詳細は省くけど今の日本の文化が形成されたのって南北朝期から室町期にかけての守護大名の発達と大名の参勤交代による京文化の地方への伝播によるところが大きい。今の日本の地方都市の殆どは室町時代の守護大名の根拠地にルーツがある。 ところでその室町時代の京文化を作ったのが誰かというと、二条良基、足利尊氏、京極導誉の三人であったと言える。 ところで尊氏らは能を好んでいた。もともと北条高時が能を好んでいたというものあって当時の武士達は能を好むところ著しかった。そして尊氏は若い少年を非常に愛していた。若い少年を集めて花一揆なんていう武士団を作ってしまう程に。 なので尊氏達は美少年の能を愛した。美少年が謡を歌い舞いを舞うというのは、これはアイドルに他ならない
よしもとばなな 2009年12月20日 同世代の友だち2人と食事をしている時、よしもとばななの話になった。 ちょっと前、よしもとばななのエッセーがネットで話題になった。こんな内容だ。 ”友人たちと居酒屋で飲んでいる時、一人が持っていたワインを飲むため、店員に「グラスを持ってきて」と頼んだ。その店員は快くグラスを運んで来てくれたのだが、それをみた店長が「それは困る」とテーブルにやってきた。「こういうことを許したら、きりがなくなるから」というのがその理由で、いくらお金を支払うから、と言ってもその店長は取り合わなかった” これだけで終われば何もなかっただろうが、よしもとばななは続けてこんなことを書いてしまった。 「もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ」(『人
id:lastlineさんにふられたので*1大喜びで尻尾振りながらエントリ書いてみました! 今日から忠犬ベニ公と呼んでください♪ ■参考リンク : はてなの敷居がはてなを作る ( 最終防衛ライン2 サマ) 『はてなダイアリーが女子ウケしない理由』 に端を発するこの話題。 今回はデザインが可愛くない、初心者には敷居が高い等のインフラ的な面ではなく、 はてなのコミュニティとしての特性、ソーシャルな面でなぜ女子受けしないのかにスポットを 当てて書いてみます。 以下で挙げる ”女の子” の定義については、 『はてなダイアリーが女子ウケしない理由』 に記載されている ”その前にその「女子ウケ」の「女子」とは” と同義とお考えください。 では早速。紅が考える ”女子ウケしない理由” は次の3つです。 ★女の子は聞き上手がお好き 女の子はお喋りが大好き。そして、自分のお話を聞いてくれる人が大好きです。
答えは、”女社会だから。” もっと正確に表現すると、”女の子社会だから。” 今朝Twitterで SNSで、日記に対するコメントをメールで送ってくる人って シャイなのか大胆なのか判断に迷う という紅の発言からミクシィ談義に花が咲き、 ブログだとコメントよりメールの方が敷居が高いけど、ミクシィは逆なんですよ。 なぜだろ。 よく言われるのが、「べにぢょさんの日記に新参がコメントして、 既存のマイミクに”誰だこいつ”と思われるのが怖い」と。 そうか、仲良しグループが出来てるからダメなのか。 ブログはオープンだから”輪”が見えにくい。 ミクシィは空気を気にしすぎるきらいがある。小学生の女の子みたいだ。 あ、これは馬鹿にしてるわけじゃなくて。なんとなく昔を思い出しただけ。 ここまで一気にTwitして、面白そうな予感がしたのでこうしてエントリを起こした次第です。 そう、ミクシィは女の子社会。 いわゆる
草食系男子の恋愛学 作者: 森岡正博出版社/メーカー: メディアファクトリー発売日: 2008/07/16メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 106人 クリック: 2,311回この商品を含むブログ (119件) を見るid:kanjinaiとしてブログも書かれている、森岡正博氏の「草食系男子の恋愛学」を読んだ。好著。 この本では、「女性は男性に対し、必ずしも『社会的能力』や『男らしさ』を求めるわけではなく、『安らぎ』や『癒し』を第一に求める女性も非常に多い」ということが、繰り返し書かれている。これが、この本で森岡氏が主張したいことの核心なのだろう。 この主張をベースに、「男らしい男=デキる男=モテる男」という理解が一般的で、男性自身もそう思い込みがちな恋愛において、「癒し系」の「草食系男子」たちが、いかにして内面化した劣等感を克服して恋人を得、その女性と良い関係を維持していくかという
僕らがセックスについて話すことこの話はとくに目新しいものではなく、僕が以前mixiで論じたものの焼きなおしエントリである。リアルでは意外と好評を得ていたので、軽くまとめて再発表というかたちをとることにした*1。スティグマとしてのセクシュアリティ。通常、ゲイという人種は、日常生活において性的指向を隠蔽しながら暮らしている。性的に男に興味がある男たちは、それをあからさまにしていては日常生活に大きな支障を来す*2ので、女が好きであることを装いながら生活をしている。まあ、なかにはとんでもなく吹っ切れてしまって、いつでもどこでもヲキャマ丸出しのオネエ様方もいらっしゃるのだが*3。とにかく、ほとんどの同性愛者たちは自己を偽りながら生きている。ノンケ優勢の世の中というのはそういうものなのだ、と了解して日々を生きているとはいえ、正直ある程度は負担を感じてはいる。しかし、やはり気のおけない親友や家族にまで自
韓国に留学していたとき、感動してよんだ文章を紹介します。 ハン・チェユン 2003 「ある非異性愛者、異性愛を問う」『当代批評』夏号(22号)、352-365。 ハンさんは、1998年の2月に『バディ(Buddy)』という同性愛専門誌を創刊した。2004年の12月に24号を最後にして、もう刊行されていないという。だが、韓国性的少数者文化人権センターは まだ健在だ。また、ひきつづき同性愛専門出版社「ヘウル」を運営している。 きょうは、そんなハンさんの文章を紹介しながら、わたしも異性愛について、ちょっと かんがえてみたい。 異性愛者たちが「自分を定義すること」に没頭したりはしないというのは、よくしられた事実だ。そのため わたしたちは、とてもマジメに「異性愛の正確な意味はなんだろう?」と質問を なげかけても、かんたんに こたえを きくことはできない。(354ページ)。 よくある表現を かりれば、
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