iPhoneがそれほど売れてないという記事がいくつか出ているけど、継続できるくらい売れていればいつかキラーアプリが出て来る。キラーアプリとは、iPhoneよりずっと有名になる何かであって、人々がiPhoneのことをその何か動かす為の機械(に少しオマケがついているもの)としか見なくなるようなもの。 問題はキラーアプリの本質には予測不能な部分があることだ。たとえば、動画配信は予測できるけどYouTubeは予測できない。そして、YouTubeが動画配信でしかないのならそれはYouTubeではない。 予測できる動画配信とは、今の社会にすっぽり収まるようなものであり、キラーアプリはYouTubeのように社会の形を変えてしまう。そこにそのアプリの本質がある。2ちゃんねるもWinnyもそうである。 YouTubeが現在の社会と不整合であるのは、偶然だろうか? 言葉を変えれば、YouTubeと整合的な社会