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夏目漱石の『吾輩は猫である』が、朝日新聞で復刻連載されている。つい先だっても、車屋の黒猫が「べらぼうめ」と言う場面があった。江戸っ子の漱石は、銭湯の客に「べらぼうにぬるい」と文句を言わせたり、『坊ちゃん』では、蒲団(ふとん)に入れられたバッタをイナゴと言われたとき、江戸っ子の坊ちゃんに「べらぼうめ」と啖呵(たんか)を切らせている。 「べらぼうめ」と聞いて、落語の「大工調(だいくしら)べ」を思い出す方は、相当な落語通だろう。家賃の一両二分(ぶ)八百文(もん)を滞らせ、大家(おおや)から大工の道具箱を質に取り上げられていた与太郎を呼びに来た棟梁(とうりょう)の持ちあわせは、八百文足りない一両二分しかない。だが、その一両二分を手に与太郎は、大家へ道具箱を返してもらいに行き、そこで口をきいたのが、八百文足りなくても「あたぼうだ」というセリフである。「あたぼう」とは「あたりめえだ、べらぼうめ」を縮め
ツツジとサツキの花が終わると間もなく梅雨入りだが、今年は空梅雨でもなさそうな予報だから、にわかの天候変わりに備えて傘を持ち歩かなければいけない季節でもある。最近では梅雨入り前の突然の猛暑に襲われ、傘が日傘に変わることもあるので、江戸っ子の傘と日傘事情について書いてみようと思う。 江戸時代も平和になって少しずつ豊かになってきた万治2年(1659)、町中を傘を「振り売り」する商売人(日傭人。ひようにん)たちが多くなり、その日傭人たちに幕府は鑑札を渡して管理することになった。寛文5年(1665)に日庸座(名主が兼務し日傭人を管理し、鑑札一枚につき一か月24文〈もん〉を徴収した)を設け、その後、実に150年近く日庸座は日傭人たちを管理し、寛政9年(1797)に日庸座は廃止される。 このあいだに江戸でも傘職人たちが育ち、傘を売る店もできて組合(株仲間)も結成されるが、江戸で傘が贅沢品でなくなったのは
新茶の美味しい季節である。 お茶が現代のように気軽に飲めるようになったのは江戸時代になってからである。そしてお茶が庶民の飲み物になった江戸中期以降、さまざまな「茶」にまつわる言葉も発生してゆく。 それは挙げるとキリがないほどであるが、「お茶の子さいさい(簡単にできる)」「お茶をにごす(ごまかす)」「茶にする(馬鹿にする)」「茶番(見えすいたこと)」などは日常的に今でも使われている言葉である。 なかでも、「おへそが茶を沸(わ)かす」という言葉は、江戸の人びとが大好きで、さまざまな文芸作品に登場する。ちょっと軽蔑したようなニュアンスを含み、おかしくてたまらないことの形容として言う言葉で、「おへそで茶を沸かす」ともいう。 しかしどうして、おかしくてたまらないと、へそが茶を沸かすのか。 同義語としてある「おへそが笑う」「おへそが捩(よじ)れる」「片腹痛い」という語がヒントになりそうである。お腹(な
西日本の大学に通っている学生に「何年生?」と尋ねると、「○回生です」と答える学生が多い。うーん、質問には答えているが、こちらは「何年生」と聞いているのに…。飛行機に搭乗した際、「ブランケットいかがですか?」とやさしく微笑みかける客室乗務員に、わざと「ひざ掛けお願いします」と応じる自分と同類ならばなかなかあなどれない奴ではないのか。ほんのささやかな受け答えに、大げさにあれこれ思い巡らしてはみたものの、京都大学のカリキュラムを見れば、「履修年次」に相当する欄には堂々「回生」と記されているのだ。「1回生のガイダンス」「2回生の必修科目」など、まさに「回生」は大学当局のお墨付きを与えられているのだ。 実はこの「回生」、水面下では東大VS京大の密やかな戦いが関わっていたらしい。東大はそれぞれの学年で所定の単位を取得しないと進級できない制度であるのに対し、京大は留年せずに学年進行できるため、入学してか
大ヒットミュージカルの映画版『レ・ミゼラブル』が人気を呼んでいるとのことですが、映画やドラマ・小説などの宣伝文で「愛と感動を与える壮大な物語」というような言葉を目にすることがあります。 この「感動を与える」という言葉は、時に「みなさんに感動を与えたい」というように使われることがありますが、このような「与える」の使い方が気になる、という声を最近耳にすることが多くなりました。「感動」以外にも、「元気を与えたい」「勇気を与えたい」「夢を与えたい」というようにも使われますが、気になるという人にその理由を尋ねてみますと、なんだか偉そうに聞こえる、上から見下しているような感じに聞こえるというような答えが返ってきました。 では、なぜそのように聞こえるのか、まずは「与える」という言葉の意味を見てみましょう。
「年末は皆さん何かとお忙しいと思います。なので、出欠の御返事はなるべく早めにいただけると助かります」 というような「なので」の使い方を最近よく耳にします。言葉の感じ方にも個人差がありますから、別に気にならないという方もあるでしょうが、何だか違和感を覚えるという声も多いようです。 もっとも、手紙などの書き言葉の場合に使用する例は少なく、どちらかというと会話の中、それもくだけた雰囲気の会話にとどまらずに、やや改まったビジネスなどの会話でも使用されることの多い言葉です。 ではこの「なので」とは、そもそもどのような意味や働きをもつ言葉なのでしょうか。 「なので」は「連語」といって、゛断定の助動詞「だ」の連体形=「な」゛や、゛形容動詞の連体形活用語尾=「な」゛に、゛接続助詞「ので」゛をつけたものです。意味としては、「…だから」「…であるから」といったもので、「かぜなので学校を休んだ」「故障の原因が明
夏休み、仕事を休んで久しぶりにのんびり過ごしたという人も多いことでしょう。 さて、休暇で仕事を休むような場合、時折、次のような言い回しが問題になることがあります。 「井上は本日お休みをいただいております」 取引先に電話をした際、担当者が休みの場合などによく聞く言葉です。 必ずしも間違いとは言えませんが、こう言われるとなんだかおかしい、不自然だと感じる人も多いと聞きます。 これは次のような理由が考えられます。 「いただく」というのは「もらう」の謙譲語ですので、たとえば「皆様からご好評をいただきまして、ありがたく存じます」などのように、相手から受けた行為に感謝して述べる場合に使われます。ですから、「休みをいただく」という表現にしても、休みを取る人が上司や同僚に対して、「昨日はお休みをいただきまして、ありがとうございました」のように使うのであれば問題はありません。また、社外の人に使う場合であって
概要 ニッポンの常識は、世界の非常識!? ゆたかな自然と文化で多くの外国人を魅了してやまないわが国ですが、まだまだ「ヘンデスネェ」と思われてしまう風俗、習慣、ことばがいっぱい。留学や研修、就労などで日本に3カ月以上滞在する外国人は、現在約70万人(永住者をのぞく)。そんなニッポン大好き異邦人たちと親しく、みずからも日米のカルチャーギャップの狭間で育った大葉リビさんが、豊富な体験をもとに描きます! 大葉 リビ マンガ家、イラストレーター、アーチスト、ライブペインター。カリフォルニア生まれ、神奈川県藤沢市育ち。中学校から父の母国アメリカの東海岸バージニア州へ。のち、ジョージア州サバンナ・カレッジ・オブ・アート&デザイン卒業。現在は日米両国を舞台に活動中。 アーチスト名は「Amy」。過去のライブペインティング、アート雑貨は上記の「Amy’s Artworks」をご覧ください。 大葉リビのイラス
【問題】 神奈川県出身のみかと長野県出身のゆきなの会話です。 長野県出身のゆきなが言った「ごしたい」とはどういう意味でしょう? 【解説】 「ごしたい」は「疲れた」という意味で長野県で使われます。「ごしてー」とも言います。県内でも諏訪地方周辺での使用頻度が高いようです。 ただ、長野県人が「ああ、ごしてー」と言った場合、単に軽い気持ちで「ああ疲れた」と言ってるわけではありません。疲れて腰が痛かったり足がだるかったりといった、身体的なダメージを伴う疲労感を表現しているのです。 概要 今まで当たり前のように使い続けてきたことばを、 別の地域の出身者に使ったら、 通じなかった! 相手を凍りつかせてしまった! そんな経験はありませんか? それはさまざまな地域の人たちが集まる東京の女子大学で学ぶ学生さんたちも同じこと。 彼女たちの笑えない体験を元に、漫画形式のクイズにし、 さらに、漫画のセリフは出題者で
“模造紙” れっきとした紙なのになんとも怪しげなネーミングである。諸々の情報によれば、「明治中期に、大蔵省印刷局が製造した局紙をまねた紙がオーストリアで製造され、大正初期になってそれをさらに日本で模して作ったために模造紙と呼ばれるようになった」という説が有力のようである。本家なのに“模造紙”とは肩身が狭いものだ。「模造した紙」では呼び名とその物とが結びつきにくいためであろうか、この紙にはオーバンシ、タイヨーシ、ガンピ、ビーシ、トリノコヨーシ、ヒロヨーシ、などなど各地でさまざまな呼び方が存在するのである。 オーバンシは山形、ヒロヨーシは長崎、熊本で使われる呼び方だ。いずれも「大判紙」、「広用紙」と大きさに由来するネーミングである。 タイヨーシは新潟県人が東京で通じないことばの代表格として位置づける呼び方だ。やはり語源は大きさに由来する「大用紙」。「大」を濁らずにタイヨーシと発音しているのであ
「ゴミなげて!」と言われて驚いたり、「これタンスになおしといて」と頼まれて戸惑ったりした経験のある人は結構いるのではないだろうか。 そもそもそのことばを発した本人にしてみれば、「ゴミ捨てて!」「タンスにしまっといて!」と言っただけなのに、 周りの思いがけないリアクションに当惑してしまうのである。ことばを発する側は全く方言とは気づかずに共通語のつもりで使っていても、 周りからすれば「それは方言だ!」と言いたくなるような表現に出くわすことは多い。そんなことばに出会うと、”共通語な方言”と呼んでみたくなる。 冒頭の例は共通語と同じことばでありながら意味や用法が共通語とは違っているから特にややこしい。 「捨てる」意味の「なげる」は北海道・東北、「しまう」意味の「なおす」は西日本とそれぞれ地域限定で使われる用法だ。 よくよく考えてみると、「なげる」にはもともと「仕事をなげる」、「テストをなげる」のよ
「あとぜき」(写真)。熊本市内の図書館の出入り口に貼られた注意書きである。公共施設でありながら、よそ者には何とも不親切な貼り紙ではないか。そうは言っても、学校の教室や職員室の出入り口にも貼られていることが多く、熊本県人には定番の表現だからどうしようもない。意味は「扉を開けたあとは必ず閉めなさい」。熊本ではまったく当たり前の表現なのだ。この仮名4文字にそれだけ多くの情報がこめられているとは…。戸をきちんと閉めずに入ってきた輩に対しても、「ちゃんとアトゼキせんか!」と言えるわけである。共通語ではその状況にピッタリのうまい表現が見当たらない。なんとも使い勝手の良いことばなのだ。 アトゼキの語源は、「戸を開けたあとをせく」で、その「せく」は、奈良時代から使われている古語の「せく(堰く、塞く)」に当たる。もともとは「水を堰きとめる」意味で使われていたが次第に空間を「塞ぐ」意味に広がっていったようだ。
「臭い物に蓋をする」 日本語にこんな見事な比喩がある。人間はこそこそ誤魔化したり不正をしたり悪事を働いたりして、それが露見しそうになった際、とにかく隠そうとする。パッと蓋(ふた)をするみたいに。 人間の言語そのものにも、きれいごとで済まそうとする傾向が強く、歴史の定説や政界の表現は「飾り蓋」だらけだ。が、「臭い物」を正直にストレートに「臭い」と認めて呼ぶ流れもある。その類いの言葉に出会うと、当たり前に驚いてわくわくする。 たとえば、「へくそかずら」というアカネ科の蔓性(つるせい)多年草。本州、九州、四国の生い茂った藪で、ほかの木に巻きついて延びている姿をよく見かける。夏には筒状のオフホワイトの小花をいっぱいつけて、その花びらの内側は赤紫に染まってなんとも可憐だ。おまけになんとも臭い。まさに糞のような、屁が出ちゃったような感じで、べつに花が咲いていなくても、卵形の葉っぱだって蔓そのものだって
「起立!礼!着席!」。大学ではほとんど聞かれなくなったが、授業を始める前のお馴染みの号令。号令たるもの全国共通に違いないと思いきや、群馬や宮城では、「起立!注目!礼!」と言うのだ。この「注目」、「気をつけ!」にあたる意味で使われているようだ。 さらに沖縄では、「正座!礼!」という号令で授業が開始される。と言っても、机や椅子の上にきちんと膝を折って座り直すわけではない。この「正座」、文字通り「姿勢を正しく座りなさい」、つまり「気をつけ」にあたる意味で使われている。 沖縄の学校では号令の際に起立しない習慣のようだ。琉球方言圏に位置する鹿児島県奄美大島の学校も同様だ。ちなみに共通語の「正座」、つまり「膝を折って座る」ことは、沖縄では「ひざまづき」と言っている。 さらに体育の時間になると、全体の統制をとるために号令は自ずと多くなる。 小学生のころは運動会が一大イベント。全校練習と称し、かなりの授業
年賀状や寒中見舞いなどの返信で、「(寒中見舞いの)おはがきをお送りいただきましてありがとうございました」などのように書くことがあります。このように、人から物をもらったり、厚意を受けたりした場合には「~いただきまして」「~くださいまして」という表現を用いることが非常に多いものですが、この「いただく」と「くださる」について、どのような違いがあるのか、使い方に迷うという声をよく耳にします。 結論から申しますと、丁寧度や敬意の度合いからすれば、この2つはそう違いがないものと考えられます。ただ、ひとつ違いがあるといえば、それは敬語の種類が違うという点でしょう。たとえば、次の文を比べてみましょう。 A「ご本をお送りいただきまして、ありがとうございました」 B「ご本をお送りくださいまして、ありがとうございました」 Aの「お送りいただく」は、「お(ご)~いただく」の形で「~てもらう」の意の謙譲表現を用いた
関西の大型スーパーをぶらぶらしていた時のことである。自転車売り場を通りかかると、「コマ付き」という表示が目に留まった。仮面ライダーの乗り物に似せた子供用自転車かと思いきや、その表示の下には補助輪付き自転車が数台並んでいたのである。まだカメラを持ち歩く習慣のなかったころの話で、証拠写真が無いのがいささか残念である。 共通語では「補助輪付き自転車」とか「補助輪付き」「補助付き」などと堅苦しい言い方しかできないが、コマツキとなれば小さな子供にも馴染みやすい。練習を重ねると、「コマ無し乗れるんやぁ」などと大人たちに感心されるのである。コマツキを使う地域は、大阪、奈良、和歌山、兵庫を中心とした関西圏だ。隣接する岡山や香川、徳島にも広がっているらしい。「車輪」のことをコマという地域とほぼ一致する。同じ関西圏でも、京都、滋賀ではタマツキとも呼ばれている。なお、香川では、複合語のタスケゴマツキが生まれたり
親字数が多い 収録語数が非常に多い 熟語数が多い 収録語数が多い ことわざや慣用句を知りたい 現代語訳がついている 子ども向けの百科事典がほしい 筆順がわかる 類語の使い分けがわかる 類語について知りたい 用字用語を確認したい とめ・はね・はらいがわかる 小中学校の教科書のことばを知りたい ふりがなつき 色の名前を知りたい ワイド版 ことばの語源が知りたい オールカラー 句読点や記号の使い方を知りたい 親字の意味ごとに熟語を配置 方言を知りたい 持ち運びに便利 難読語を読めるようにしたい ものの数や、ことばの使い方を知りたい 子どもに名前をつける参考にしたい 毛筆の手本 読み物としても 擬音語・擬態語を知りたい 選択を解除
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