毎年、入試の時期になりますと、吉田南構内の広場に色々なキャラクターに扮した折田先生像が突如として建立されますが、今年は「てんどんまん」に扮して登場しました。昨年はポコちゃんでした。出来映えが素晴らしいので制作者は誰なのか、学生、卒業生、学外者等々諸説紛々ですが、全く分かっていません。 今年も出た!と楽しみにされている方がおられる一方、あのような物を置くことを許していいのかという方もおられます。機構としましては、吉田南構内の風物詩の一つとして一定の期間状況を見守っています。ただ、この数年は何者かによって壊されることが続いております。悪戯なのか気に入らないのか動機は定かではありませんが、誰のものであれ創作物を壊すという行為は、最も悪質で下劣で野蛮な行為です。今年はそのようなことがないように、無事折田先生像が役目を全うされることを望んでいます。 余りに出来映えが良かったのか、2月25日の京都新聞
Tumblr転載問題とかいろいろあったけど、結局のところ『モノをつくる』ということが軽視されすぎなんではないか。だから著作権は作者のわがまま、なんて発言も出てきてしまうんではないか、とそんなことを思った。 実は、母親のブログがパクられた。母親といっても、もう60歳も間近の高齢である。ネットのことなどよくわかっていない。そんな母のところへ、2ちゃんヲチ板あたりの人から「あなたパクられてますよ」メールが何通も届いたらしい。母はといえば「2ちゃんは怖いところ」くらいの知識しかないもので、よくわからんまま「なにかの詐欺かも」ということでメールは削除して無視し続けてきたらしい。が、それでも何通も同じ内容のメールが来るので、不審に思って色々ググってみたようだ。 そしたら「プーペガール」というところに、ブログに乗せている自作アクセサリーの画像が何百もパクられて登録されていた。添えられたコメントまでコピー
模倣、どこまで許される ドラえもん「最終話」 2007年06月09日11時55分 人気漫画「ドラえもん」の「最終話」と称する物語が無断で漫画化、出版された一件は「作者」の男性が小学館と藤子プロに謝罪し同プロに売上金の一部を支払うことで決着をみたが、課題も投げかけた。模倣やオマージュ作品がどこまで許されるか、という点だ。 男性が無断で出版していた「ドラえもん」の「最終話」 「最終話」は約1万3000部も販売したことで著作権者側が見過ごせない「一線」を越える結果になったが、一方で、本物と間違いかねないほどの出来ばえでも「一線」を越えていた。 読んだ人の中には、原作品への敬意や愛を感じた人も少なくなかったようだ。プロの漫画家からも「絵だけではなく、テーマや展開も藤子・F・不二雄さんの思想を受け継いでいる」という声が出ているほど。もし出来が悪ければこれほど売れることもなかったかもしれない。 好きな
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