6月13日、フィリピン軍幹部は、過激派組織「イスラム国」(IS)系武装勢力が南部ミンダナオ島のマラウィ市の約20%をなお支配下に置いていると明らかにした。写真はマラウィ市を警備する警察と兵士たち。7日撮影(2017年 ロイター) [マラウィ(フィリピン) 13日 ロイター] - フィリピン軍幹部は13日、過激派組織「イスラム国」(IS)系武装勢力が南部ミンダナオ島のマラウィ市の約20%をなお支配下に置いていると明らかにした。
6月3日、フィリピン南部ミンダナオ島のマラウィ市で先月から続いている戦闘の発端は、数十名のイスラム主義武装勢力が刑務所を襲撃し、警備員らを降伏させたことだった。写真はマラウィ市を警備するフィリピン兵士たち。2日撮影(2017年 ロイター/Romeo Ranoco) [マラウィ市(フィリピン) 3日 ロイター] - フィリピン南部ミンダナオ島のマラウィ市で先月から続いている戦闘の発端は、数十名のイスラム主義武装勢力が刑務所を襲撃し、警備員らを降伏させたことだった。 「キリスト教徒を引き渡せ、と彼らは言った」。現地の刑務局の副局長を務めるファリダ・P・アリ氏はその時の様子を語る。「刑務所職員にキリスト教徒は1人しかいなかったため、気づかれないように彼を服役者のなかに紛れ込ませた」 過激派組織「イスラム国(IS)」に忠誠を誓う「マウテグループ」と呼ばれる武装勢力の戦闘員は、警備員を脅しつけ、服役
フランス南部マルセイユで11日、ユダヤ人学校の教員が刃物で切りつけられた。襲ったのは15歳の少年で、逮捕された際に、アラーとイスラム過激組織「イスラム国」(IS)の名のもとに犯行に及んだ、と話したという。仏当局のテロ担当チームが、テロ組織とのつながりの有無も含めた捜査に乗り出した。 検察の説明によると、少年は近くの高校に通っており、トルコ国籍だという。ネット経由でイスラム過激思想に染まった模様で、当局が把握していない少年だった。襲われた教員は肩や腕に軽いけがを負った。 マルセイユでは、パリでの連続テロ直後の昨年11月にも、ユダヤ人学校の教員が切りつけられる事件が起きている。(パリ=青田秀樹)
イラクの首都バグダッド周辺4カ所で11日、自爆テロとみられる事件が相次ぎ、少なくとも51人が死亡した。ロイター通信が地元警察や医療関係者の情報として報じた。いずれもイスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出した。うち3件はイスラム教シーア派の住民が多い地区で、宗派対立をあおる狙いがあるとみられる。 バグダッド東部のショッピングモール前では、自動車が爆発。前後して男4人が店内で発砲し、自爆した。銃撃や爆発で18人が死亡、40人がけがをした。 さらに、バグダッド北東ディヤラ州のカジノ付近でも爆発があり、23人が死亡。1度目の爆発で集まった人たちの近くで、車に積んだ爆弾が爆発したとみられる。ISは声明で「シーア派民兵を狙った」としている。おなじディヤラ州の別の町でも同日、レストラン前で車が爆発し、3人が死亡していた。 一方、バグダッド南東部のスンニ派地区では同日、自動車爆
イスラム思想の観点から、イスラム国現象を読み解きます。イスラム国が消滅するその日まで、継続させるのが目標。 「どこまでもエジプト(http://nouranoiitaihoudai.blog.fc2.com/)」著者による姉妹ブログです。 13日夜に発生したパリの同時多発テロで、イスラム国が犯行声明を出しました。 しかし長い・・・。今まで私がみたこの形式の犯行声明文の中で、最長です。 音声声明も出されましたが、この声明文を読み上げていただけで、新しい要素はありません。 ただ、例の「カリーバン、カリーバン」がやっぱりBGMで使われていました。。。ロシア機の時の声明でも「カリーバン、カリーバン」でしたし、やっぱりここ一番!って時にはこのナシードなんでしょうね。。。 この犯行声明の概要は、 ・ターゲットは詳細に選定した ・実行したのは若い8人のイスラム国戦士、全員自爆ベルトとライフルで武装し、攻
過激派組織「イスラム国」(IS)の前身組織に戦闘員として加わり、シリアのアサド政権軍に拘束された3人が、首都ダマスカスで朝日新聞記者の取材に応じた。いずれも中央アジア出身で、アサド政権打倒の「ジハード(聖戦)」に参加するためシリア入りした。3人はISの残虐な行為を非難したが、未練を断ちきれないようにも見えた。 戸建てに住みミニバンも支給 「ISに戻ることがあれば、上官の指示に従うと思う。『殺せ』と命じられれば、殺すかもしれない」 少年の面影を残すムハンマドヤヒヤ・ハーキムジャンノフ元戦闘員(22)が、ゆっくりとそう語った。 キルギス第2の都市オシ出身。イスラム教スンニ派の家庭に育ち、2011年、スンニ派の最高学府、エジプト・カイロのアズハル大学に進学。イスラムの指導者を目指し、イスラム法学などを学んでいた。 13年春、カイロ郊外のモスク(イスラム礼拝所)で過激派と出会い、「スンニ派を虐殺す
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