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大人とは、必要な仕事を自分で決められること。 「やりたいこと」「どうやったら愛されるか」ではなく。 難しいのは、それが自分には(人間には)できないとき。 射程圏内にある「必要なこと」を自分で見つけられれば。 「人生は、次の二つで出来ている。やりたいが、できない。できるが、やりたくない」(ゲーテ) 同様にして、次のように言えるだろうか。 「やる必要があるが、やりたくない。やりたいが、やる必要はない」。 本当に「やる必要がある」と思ったら、それは「やりたい」と同じではないか? 「楽だ」と思えなくとも、必要だと本気で思えることは、「やりたい」ではないのか。 《必要》どうしのぶつかり合いに政治がある。 「欲望をあきらめるな」*1というラカンの格率は、欲望というより、「必要」と言うほうが良いように思う。 もんだいは、その「必要」がイデオロギー的に固定されていること*2。 固定された《必要》のありかた
カテゴリー当事者への居直りではなく、素材化としての《当事者-化》。 プロセス中心主義。 私は9年前、「ひきこもりの当事者」という役割固定で社会参加の機会を得た*1。 しかしその後の私は、「当事者的分析」を周囲に要求したことで、排除されるようになった。 私に近づいてくる人のほとんどは、私を「ひきこもり当事者」という役割フレームに監禁するだけで、取り組みとしての当事者的言説化は拒否する*2。 ほとんど全てのマイノリティ論は、《コスプレ的役割固定》と、politically correct な《メタ正義の居直り》のカップリングでしかない。 この発想では、マイノリティ側は役割としての「当事者=被害者」に居直りたがるが、実際に生きられた関係のなかでの当事者性を引き受けなおすことをしない*3。 私は、既存の当事者論に洗脳されたままコミュニティを築こうとして(あるいは参加を続けようとして)、メチャクチャ
渋谷駅から歩いて数分の山手線・明治通り沿いという絶好のロケーションにある宮下公園を、「ナイキ公園」に変えようという計画が持ち上がっている。 「ナイキ公園」になると言っても、渋谷公会堂が「渋谷C.C.Lemonホール」に変わるとか1)、東京スタジアムが「味の素スタジアム」になる2) といったネーミングライツ(施設命名権)売却だけの問題ではない。 これについては次号の『オルタ』にも書いたが、渋谷区はナイキジャパン社に10年間で1億5000万~2億円の施設命名権売却をするだけでなく、同社の資金援助を受けて、約5億円かけて有料のスケートボード場やロッククライミング施設を新設しようとしている。 これによって皆が気軽に休むこともできなくなるばかりか、夜間は鍵がかけられ、ここで生活している野宿者も追い出される可能性が大きい。 こうした「カネを払わないと休むことも遊ぶこともできなくなり、生活空間が企業の宣
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