ささやかなお正月飾り お正月飾りに葉牡丹の寄せ植え。関西は色々な葉牡丹が揃っていて選ぶのも楽しい キンセンカ ブロンズビューティー この後、門扉のそばに飾りました。華やかになりましたね そしてしめ縄作り。 松、水引き、しめ縄に庭の南天を加えました あわじ結びから、固く結ばれた…

よく状況が見えないので日和見していたら、言いたかったことをfinalventさんに先に言われてしまった。 検察権力が恣意的に正義のツラをして市民社会に介入してくるのを市民はいわば本性として批判しないといけないということ。それは市民の義務にも近いものなんですよ。 世論調査からみる動向では一国の総理になりうる人だった。それを検察権力が市民の手の届かないところで打ち落としてしまったということなんですよ。 それがいかなる「正義」であっても、民主主義というのは、こういう危険な回路を除去しないといけないのですよ。 民主主義というのは市民が失敗したら市民が尻ぬぐいをする。愚かさのすっぱい果実をみんなで囓るのです。失敗しないような甘美な「正義」に身を委ねてはいけないのですよ。いかなる権力もそれを市民が「ちょっと待ってね」と制止する回路を組み込まなくてはならない。 私は、今の民主党をとても信頼できない。でも
見積もり2億円のIP電話を820万円で構築した秋田県大館市から学べること:ITpro この例のAsteriskのように、十分業務に使えるレベルのオープンソースソフトウエアは他にもたくさんあります。 システム構築に数億円の見積りを出しているベンダーで、「このシステムは大館市のような方法で820万円で構築することは絶対に不可能だ」と言い切れるベンダーはいないと思います。つまり、820万円のシステムが2億円で売られているケースは、たくさんあると思います。 では、その2億円と820万円の差はどこから生じるかと言えば、「組織の中にノウハウを蓄積するコスト」です。 意欲的な個人が自分の興味のある分野で趣味として一つのことを勉強するのと、組織が属人性を排除して、つまり、誰がやめても業務を継続できるような形でノウハウを継続的に保持することの間には、それくらいの違いがあります。 組織が責任を持って業務を引き
ネトゲのキャラクターは死ぬべきである。でないと、時間をかけたプレイヤーほどレベルが上がって有利になるので、そのゲームばっかりやってる廃人の溜まり場になってしまう。たぶん、ポケモンとかダビスタみたいに「主人公ではないキャラクターを育てる」ようにして、そいつに寿命があるネトゲを作るのが一番いいと思う。できれば、ダビスタのように成長期があって、ピークがあって、そこからだんだん衰えて死んでいくことが望ましい。生物ってそういうものだし、育成ゲームは生き物を育てる楽しさをシミュレートしたものだから。 育てたキャラクターが死んでしまっても、プレイヤーはキャラクターの育て方を学んでいくことができるので、何も残らないわけじゃない。つまり経験値がプレイヤーに残る「不思議のダンジョン方式」だ。とはいえ、本当にゲーム上に何も残らないのもちょっと悲しいので、ダビスタみたいに「殿堂入り」の馬の記録を残すとか、レース
「希望を持つことは、うつ病の防止に効果的」という、さほど驚きではない研究結果が発表されたそうなのですが、そこで「希望を持つとはどういうことか」が解説されています: ■ You've Got To Have Hope: Studies Show 'Hope Therapy' Fights Depression (ScienceDaily) よく「希望を持て!」などと言われますが(実生活で言われることはそんなにないか)、いったいどうすれば希望が持てるのか。オハイオ州立大学の研究者らによると、希望はただの楽観主義とは異なるもので、「希望を持つ技術」を教育することができるのだそうです。 では希望とは何なのか?というと、 “If you feel you know how to get what you want out of life, and you have that desire to ma
昔から学校の役割について興味があって機会あるごとに考えてきた。最近強く思うことは、小、中、高、大学、大学院も含めて、学校の最終的な役割は、学生が適切な職業で仕事に励むのを支援することではないかということだ。 人生、大きな病気や事故を経験しなければ、70歳、80歳まで生きることができるようになってきた。こんな長寿社会では、学校に在籍する時間よりも、社会で仕事をしている時間の方が圧倒的に長いのだ。人生のメインイベントは、明らかにこの「仕事をしている時間」である。 「仕事」といっても狭い意味での話ではない。芸術家は芸術作品を作るのが仕事である。科学者は研究を通して未知の領域を明らかにしていくのが仕事である。社会に属する大半の人間が既に仕事に関わっている。学校はこのことを意識して、学生たちに接するべきだと思うようになった。 例えば小学校1年生で、「ひらがな」「カタカナ」を学ぶが、それは彼らが将来の
きのうの朝日新聞で、ホリプロの堀義貴社長がおもしろいことを言っている。制作プロダクションが花形職場だったのは昔の話で、かつて年間600〜700人いた志望者が、今はその1割以下に減っているそうだ。ITと同じように、見た目はかっこいいが、実際には「10年は泥のように働け」という経営者にボロ雑巾のように使い捨てられるという実態が知られてきたのだろう。 堀氏も指摘するように、今や若者にとってテレビはマイナーなメディアの一つにすぎないので、同じ欄で増田総務相のいう「全世帯デジタル化」という目標はナンセンスだ。鬼木甫氏も推定するように、2011年7月の段階で6000万台近いアナログTVが残るが、その半分以上は古い小型テレビを子供部屋に置いたりしているものだから、地デジに変換なんかしないで捨てられるだろう。つまり3000万台ぐらいがゴミになり、今ほぼ100%あるテレビの世帯普及率は(購買力の高い若年層
"画像とキャプションだけで、メッセージの8割は伝わる" ある人から「もっとブログに画像を入れた方がいいよ」と言われました。画像があった方が、目が引かれて読もうという気になるのだとか。その真偽はともかく、最近読んだ本『フォト・リテラシー―報道写真と読む倫理』の中に、写真の力を感じるこんな箇所がありました: 『ナショナル・ジオグラフィック』誌もまた、『ライフ』以上に徹底的な分業体制を誇っている。ここではまず、「ストーリーチーム」(ライター+写真家+写真編集者)がいくつもの(記事になり得る)テーマとストーリーリストを制作し、そこから編集部が決定を下す。次にそのストーリーに基づいた写真家の取材が行われる。取材後の写真がレイアウト部門で作業され、それが終わると、記事は最後に「キャプションライター」に回されるのが、この雑誌の特色である。というのも同誌の市場調査によると、同誌予約購読者の53パーセントは
いや、本当にどうでも良いのですがw 以前から気になっていた、ホカ弁などでよく入っている味のあまりしないスパゲティってあるじゃないですか。あれって、特に美味しくも無いし、付け合せにしては地味だしで、一体何のために入ってるんだろうか…、って思っていたんですが、ようやくわかりました。まあ仮説ですが。 「ポリ容器を溶かさないため」 なんでしょうね。 ハンバーグならともかく、から揚げとかだと、作ったものを冷ましてから弁当に盛り付けるわけにもいきませんし、そうなると200度近い物体と容器が密着するじゃないですか。そうしたらまず間違いなく溶けますよね。溶けたら…orz コンビニ弁当だって、大量に揚げたものを冷ましてから盛り付けるばかりでは無いでしょう。時にはあつあつを盛り付けることもあるでしょうから、だからから揚げの下にはあのスパゲティが入っている、と言うわけです。 ですので、まあ申し訳程度に味付けして
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