松江城(松江市殿町)はいつから「松江城」と呼ばれるのか。松江市の担当者が調べると、城を築いた堀尾氏治下の1633年の公式資料には「末次(すえつぐ)城」と記されていた。築城時に城下町「松江」の名も付いたとされ、城と城下町で名を使い分けていたことになる。藩主が京極氏、松平氏と移り変わり45年の資料は「松江城」と記され、城下町と城の名をそろえた可能性があるという。松江城を巡る新たな謎が加わり、歴史ファンの関心を呼びそうだ。 市史料調査課の稲田信副主任行政専門員(61)らが調べた。幕府の命令で出雲国(松江藩)の領主が領内の地理情報を報告した公式絵図「国絵図」に着目。江戸時代に描かれ、現存する出雲国絵図5点の写本を調べたところ、最古の1633年の絵図には「末次城」と書かれ、そばに城下町の名「松江」の記載もあった。次に古い38年には城の名前の記載がなく、その次の45年には「松江城」と書かれ、以降も松江