○姜在彦『西洋と朝鮮:異文化の出会いと格闘の歴史』(朝日選書) 朝日新聞社 2008.2 日本の洋学と西洋思想の受容史というのは、なんとなく気になっているテーマである。また、先行例(結果的には失敗例?)として、中国の洋学受容史にも興味がある。しかし、本書を目にするまで、朝鮮については、全く考えたことがなかった。いい本が出たなあ、と感謝と期待をもって読み始めた。 第1部(17世紀)は、ほとんど中国の洋学史である。イエズス会宣教師のマテオ・リッチは、1601年に北京入りし、キリスト教の教理書・科学書・世界地図などを次々に刊行した。毎年、ソウルから北京に往来した朝鮮の使臣たち(燕行使)は、その漢訳西洋書を朝鮮に持ち帰った。1602年刊行の『坤輿萬国全図』は、1603年には朝鮮に伝わっていたという。おお~さすが陸続きは早いな。日本には何年に伝わったんだろう? 鄭斗源(チョン・ドゥウォン)は山東省登
と言うワケで、ようやっと小前亮『十八の子 李巌と李自成』講談社 読了。森福都『楽昌珠』講談社 より先に買って、ずいぶん後になってから読んだ計算デスね。まあ、オーソドックスな李自成モノでした。 李巌をクローズアップしているのですが、何だか彼が孤軍奮闘空回りしているばかりで、紅娘子は途中退場するし、牛金星は気持ち悪いしでちょっとトーンダウンしましたが、洪承疇と孫伝庭も出てきますし(洪承疇が福建出身のホモだと言うことに触れてないのは残念…)、井上祐美子『海東青―摂政王ドルゴン』中公文庫 で縮んだドルゴンの身長が(何だか自分がイメージするよりスケールが小さかったと言うことです)また巨大になっていたので読み進むことが出来ました。呉三桂も自分がイメージする呉三桂に最もイメージに近かったです。話でしか陳圓圓出てこないのに、ちゃんと呉三桂してるのは凄いですね…。 勝手ながら、むしろ洪承疇や呉三桂メイン
朝鮮王朝代16代の国王・仁祖以後、11人の君主(追尊された君主を含む)に対し清から贈られた諡号(諸王や宰相の死後、功徳を褒め称えて付ける名)が、全て判明した。この諡号は、治世中の公式記録から徹底して取り除かれていた。 この事実は、国史編纂委員会・李迎春研究官の論文「金指南の通文館志と中国との関係」にて明らかにされた。この論文は、14日にソウル歴史博物館講堂で開催された学術発表会「朝鮮後期外交史の検討」(歴史実学会=ユン・ソクヒョ会長=主催)で発表された。 『通文館志』は、訳官だった金指南・金慶門父子により1708年に編纂、1720年に刊行された外交資料集だ。刊行後19世紀までに17度に渡って増補・増修され、清・日本との外交関係の格式と沿革、略史を記録している。今までこの史料に対しては、主として版本のような書誌学的な研究がなされたのみであり、内容が詳細に分析されたことはなかった。 今回
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