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倫理に関するkash06のブックマーク (7)

  • 非暴力服従主義宣言 - 関内関外日記

    webronza.asahi.com ――あらためて「非暴力抵抗」とは具体的に何をすることなのか、説明していただけますか。 武力や物理的な暴力を使わずに、それ以外の政治的、経済的、社会的なあらゆる手段、具体的にはストライキやボイコット、サボタージュなどを駆使して、侵略者や独裁政権と戦うことです。 こういう考え方がある。だいたいボコボコに批判される。おれも批判する。しかし、おれの批判は多くの批判とは違うような気もするので、軽くメモ。 銃をつきつけられたら、おれは服従する。絶対に服従する。拷問するぞと脅されても服従するし、強制収容所送りだと言われても服従する。 おれは弱い。果てしなく弱い。弱い生き物だ。その上に卑怯者である。自分の命のためなら、同邦人の子供を殺せと言われたら殺すだろう。協力するやつは助ける、と言われたら、積極的に手を挙げるだろう。 祖国回復のあかつきには、敵国協力者として真っ先

    非暴力服従主義宣言 - 関内関外日記
    kash06
    kash06 2022/08/15
    人間の可能性というのは、範囲として幅広いとは思っていて、おっしゃる通りに怠惰なまま殺せる人もいれば、命令に抗する事も出来ず殺す事にも耐えられず壊れるだけの人も多いと思う。止めるのは、さらに難しく……。
  • 原作者として、 映画業界の性暴力・性加害の撲滅を求めます。

    私たち、物語の書き手と映画業界は、特殊な関係にあります。私たちは、映像化のお話をいただき、許諾することはできても、制作に関わることはほぼありません。演者の方々が登場人物に息を吹き込み、想像でしかなかった物語がスクリーンに映し出される感動は、作者として何にも代えがたい幸せです。けれどそれが、どのような環境で作られるか、私たちは知り得ないのです。 原作者の名前は、映画の冒頭にクレジットされ、その作品がいかなるものであっても、自分の生み出した物語である責務を負います。映画制作の現場での性暴力・性加害が明るみに出たことは、原作者という立場で映画に関わる私たちにとっても、無関係ではありません。不均等なパワーバランスによる常態的なハラスメント、身体的な暴力、恫喝などの心理的な暴力等が、業界の体質であるように言われるなかで、今回、女性たちが多大なリスクを背負って性被害を告白したことは、業界の内外を問わず

    原作者として、 映画業界の性暴力・性加害の撲滅を求めます。
  • その自殺願望には「安楽死」以外の言葉が必要ではないのか? - 関内関外日記

    ちょっと元記事を見失ってしまったが、安楽死をめぐる問題について、「安心して自殺できる制度を」的なコメントがちらほらとつく。 死後剖検(心理学的剖検)によれば、自殺者のかなりの割合の人が精神疾患を患っていたという。おれとて、社会の底の方の精神障害者だ。いつそうなるかもわからない。 苦痛なく、確実に自死できる制度、システム、技術があればいい……とまでは言わないが、考える余地はある、というくらいに考えていることは明らかにしておきたい。 その上で言うけれど、それを「安楽死」または「尊厳死」という話題に持ち込むのは、ちょっとやめたほうがいいんじゃないのか、ということだ。 「安楽死」という言葉については、その定義や是非についてわりと長く論じられてきたものだ。主に、もう、救いがたい身体的な病苦の末期について。 そこに、「生きるのは辛いが、自殺には失敗がありがちだし、苦痛も伴う。確実で、苦しくない方法で死

    その自殺願望には「安楽死」以外の言葉が必要ではないのか? - 関内関外日記
  • 喫緊の課題は未来 | Dr林のこころと脳の相談室

    1 いまは2021年7月である。 いま、喫緊の課題は未来である。 未来とは、新型コロナウィルスの国民へのワクチン接種が完了した後のことを指している。 2 私はこの文章を2021年7月4日の夜に書いている。 いま、日でもワクチン接種が着々と進みつつある。ワクチン供給の遅れや不均衡など数々の問題はあるが、コロナ禍はここ100年間における未曾有のパンデミックなのだから、誰にも完璧な対策などできようはずがない。世界は、そして日政府は、そして日の人々は、最大限の努力をし、最善に近い対応を続けてきている。その一つが迅速なワクチン接種だ。日のワクチン接種は世界に比べて遅れたものの、今年中のどこかの時点で完了するであろう(注1)。だがそれは真のコロナ対策の第一歩にすぎない。ワクチンは感染対策の万能の切り札には決してなり得ない。すでにずっと以前からワクチンがあるインフルエンザでも、毎年世界で数十万人

  • 生命倫理を語ることの難しさ 追記あり、カトリック文献資料の紹介 - あんとに庵◆備忘録

    カトリックは中絶を認めない。 これは動くことがない教えであるのは世俗も知るところであろう。当然ながら評判は悪い。 カトリック教徒であるが世俗に生きているわたくしなどは、東に「セクース愉し んでたらガキ出来ちゃった。堕しちゃったよ。へへへ。またやろうね。」などと言ってる馬鹿がいたら「地獄に堕ちろ」と呪いの言葉を吐きたくもなるが、西に「産めばあなたの命に関わると言われているけど、堕胎は罪深いしどうしたら」などと悩める人がいたら「そんなことで罪とかいわないと思うよ。堕胎を受け入れた方がいいんでは?」などと言うであろう、たいへんにアンビバレントな態度でいる。来、救いたるべき考えで為されていた考え方が、現実に応用するなら逆に救いとならない矛盾する事象が多々あるのがこの世の常である。聖と俗とは互いに補てんしあうものでもあるが互いに対立しあうものでもある。まこと人の世とは難しきもの也。「諸行無常也」な

    生命倫理を語ることの難しさ 追記あり、カトリック文献資料の紹介 - あんとに庵◆備忘録
  • http://www.asahi.com/national/update/0617/TKY200806170188.html

    kash06
    kash06 2008/06/18
    「慎重にも慎重な検討を加えたうえ」なのに「たまたま」とは、これ如何に…
  • 私のお金。- 性・宗教・メディア・倫理

    ほんの月4500円でスリランカの子の人生を劇的に変えられる。 100万でワーキングプアに貧困脱出チャンスを与えられる。 →なぜ助けようとしないのか? ↓ ひとつの答え。 ①自己犠牲教洗脳 ②自己犠牲教でたいした数を救えない →実際には自己犠牲を払わずに他人を助けるほうがはるかに多くの人を助けられる。 ③人類史上最強の「人助け生産性」を誇るビジネス装置 例:ユヌスのグラミン銀行 →“ビジネスというのは、それが利益を生み出す限り、無限に膨張できるという、永久機関のような性質を持っています。だから「貧者の救済」と「利益の創出」の二つの効果を生み出すビジネス構造を組み立てれば、自己犠牲によって貧困者を救う場合の何百万倍もの数の人々を救うことことができるわけです” ④自分の体力を温存したまま、「生産性の高い人助け」をする。 →自己犠牲を払わずに人助けすれば、より多くの人を気軽に助けることができる。

    私のお金。- 性・宗教・メディア・倫理
    kash06
    kash06 2008/03/19
    「誰の」もの、という概念自体が無意識の前提になっている
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