ハサンです。だんだん鬱陶しい季節になってきましたね。 こないだふとエミリー・ブロンテの『嵐が丘』が読みたくなり、手許には無かったので書店で購入しました。数年前に久々の新訳ということで注目された、鴻巣友季子の訳(新潮文庫)です。裏表紙に銘打ってある「新世紀決定版」という文句に興味を惹かれて選びました。で、読んだのですが、この人がねえ、ちょっと翻訳者としては酷いですねえ。いや、良い部分もあります。特に、翻訳文学において散見される「翻訳文体」に陥らないよう、なるべく読みやすく自然な日本語の文章を作ろうとしているのには、なかなか好感が持てます。しかし、その肝心の日本語の語義に対しては、残念ながらあまり気を配っていないという印象しか感じませんでした。 一般に我々は、翻訳家というと「外国語が出来る人」というイメージを持ちがちです。しかし、翻訳という作業は、「ある言語(この場合英語)での表現を別の言語で