5 政治運動の高まり 香川県の再置 明治九年(一八七六)八月二一日、香川県が愛媛県に併合された。この年、政府は四月と八月の二回に分けて府県大廃合を断行した。廃藩置県直後につぐ第二次廃合であり、先の四〇万石に対し八〇万石を基準に狭少な県の隣県への併合を進めた結果、全国は三府三五県になった。香川県のほか鳥取・佐賀・富山・奈良などが廃県の運命に陥り、阿波国の名東県も高知県に統合された。 香川県は、明治四年一一月高松・丸亀両県が統合して生まれたが、同六年二月名東県に合併した。同八年九月再び香川県に戻ったのもつかの間、一年足らずして愛媛県に併合されたのであった。香川県民の受難は高松藩が朝敵藩であったことが大きい原因であるともいわれるが、高松・丸亀両藩合わせて三〇万石の県域では新しい地方政治の主体として財政的にも弱小であり、愛媛県への併合は行政効果の面からやむを得ない処置であったとも考えられる。しかし