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教育と文章に関するlabochoのブックマーク (4)

  • 作文指導に見る個性と創造力のパラドックス | CiNii Research

    タイトル別名 A Paradox of Individuality and Creativity through Composition Lessons 作文指導に見る個性と創造力のパラドックス--日米初等教育比較から サクブン シドウ ニ ミル コセイ ト ソウゾウリョク ノ パラドックス ニチベイ ショトウ キョウイク ヒカク カラ A Comparison of Japanese and American Elementary Schools 日米初等教育比較から The words “individuality” and “creativity” have been frequently used in the philosophy of Japanese education since the Meiji period, and emphasis on individuality

    labocho
    labocho 2009/09/30
    「米国の国語の授業で中心になるのは、さまざまな書き物の目的と様式を教えることであった」「ほぼ1年間で15の異なるジャンルの作文が書かれていた」
  • ドッグフードを食べる - レジデント初期研修用資料

    コンピュータープログラムを開発する人たちには、開発途中の未完成なプログラムを無理矢理使って仕事をする 時期というものがあって、それを「自分のドッグフードをべる」なんて表現するらしい。 自分が今作っているものは、コンピュータープログラムほど複雑なものではないし、やっていることは、 開発というよりは「切り貼り」のほうが近いのだけれど、とりあえず出来上がったものは、 やっぱり「ドッグフード」であって、使いやすいものを目指すには、それを自分でべないといけない。 使って分かったこと 今回作った「テトリスみたいな鑑別診断表」は、たぶんそこそこ見やすいような気がする。 患者さんがいて、症状を抱えていて、特定の疾患を狙ったわけではないけれど、とりあえず何かの検査結果が その人にくっついているという状況は珍しくなくて、とくに地域で開業している先生がたから紹介された患者さんは、 たいていの場合、たくさんの

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    labocho 2009/05/08
    「文章の任意の場所を、自由に切り離せるようにしておくと、「直し」を受け入れやすい。」
  • 勝手に正しくなっていく教科書を作りたい - レジデント初期研修用資料

    たぶんどこの業界でも同じなんだろうけれど、そこで働いていくために必要な知識というのは、 ちょうど樹木のような形をしている。知識の体系を形作るために、あるいは全体の見通しをよくするために、 幹だとか、枝ぶりというものが絶対に必要なんだけれど、「薬草」として、実際に役に立つのは、 恐らく「葉っぱ」の部分なのだと思う。 幹から葉っぱまで、知識を樹木ごと丸呑みできれば、その人は業界を理解した、ということに なるのだろうけれど、それをやるのは難しい。 内科だと、たとえば「ハリソン内科学」みたいな成書を一冊、隅から隅まで理解できれば、 たぶんその人に文句を言う医師は相当に少なくなるけれど、世の中にはたぶん、 ハリソン内科学の原著を読み通した人は、そもそもそんなに多くない。 凡人に理解できる量というのは限られて、だから世の中には、神様みたいにあがめられる大きなとは別に、 小さくまとまった、知識の切り売

    labocho
    labocho 2009/05/08
    「知識の体系を形作るために、あるいは全体の見通しをよくするために、幹だとか、枝ぶりというものが絶対に必要なんだけれど、「薬草」として、実際に役に立つのは、恐らく「葉っぱ」の部分なのだと思う。」
  • 被弾したあとのことを考える - レジデント初期研修用資料

    1970年代前半、アメリカで新しい考えかたに基づいた攻撃機が設計されることになって、 アドバイザーとして、当時現役を引退していた、ベテランパイロットが招かれた。 実践というものをよく知っていたその人は、これから作られる航空機に対して、 「被弾しないようにするよりも、被弾したあとのことを考えよ」というアドバイスを出した。 飛行機は実際、その方針で設計されて、片翼がなくなろうが、エンジンが片方吹き飛ばされようが、 何があっても飛び続ける航空機が出来上がって、現場からの信頼を集めたその機体は、 今でも現役で活躍しているんだという。 注意書きは役に立たない 「○○の可能性があるから気をつけること」なんて、教科書にはたいてい書いてある。 ところがたぶん、たいていの場合、教科書を開くのは、「○○」をやってしまったあとだから、 慌ててページをめくった先に、「気をつけよ」なんて書かれていても、余計なお世話

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