東京府東京市大森区(現:東京都大田区)南雪谷に生まれる[5]。役人の家系であり、父親は日本銀行に勤務していたが3歳の頃に死別している[2][5]。小学生時は第二次世界大戦の影響で、静岡県の畑毛温泉に集団疎開した[13]。 1945年、東京都立第一中学校に進学[5]。新学制度のため途中で東京都立日比谷高等学校となり、卒業まで5年間在籍する[2][5][13]。在学中は野球部に所属し熱中する一方で、授業をサボってまで映画館に通うほど映画も好んでいた。そんなある日、コメディ映画『虹を掴む男』でのダニー・ケイのコミカルな演技にひかれ、「人を楽しませるようなコメディを演じられる喜劇役者になりたい」という憧れを抱いた[14][15]。 大学受験の際、本人曰く「六大学野球内でレベルが低く、唯一レギュラーを取れそうな大学」として、東京大学を受験するも失敗。ただし、卒業時の成績は71位だったということであり