現地にある記念石碑 ワイオミング州 グラッタンの虐殺(Grattan massacre)は、1854年8月19日に、ネブラスカ準州ララミー砦(現在のワイオミング州ゴーセン郡)のそばで、アメリカ陸軍とラコタ・スー族インディアンとの間で、牛一頭の賠償を巡って起こった軍絡みの紛争[1]。 事件の責任者であるアメリカ軍人ジョン・ローレンス・グラッタンの名を採ってこう呼ばれている。 「虐殺(massacre)」と名はついているが、実情は武装した米兵がインディアンの村に押しかけて、無理難題を要求したあげくに武力行使し、自業自得の返り討ちにあって全滅してしまったというものである。大平原地帯における「インディアン戦争」の最初期の事例とされる。 膨張する一方のアメリカ合衆国の植民は、19世紀に入って西部大平原地帯にも蚕食してきた。この一帯は、スー族をはじめとする、略奪狩猟騎馬民族である「平原インディアン」た